任官から終戦までとは? わかりやすく解説

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任官から終戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/25 14:17 UTC 版)

澤木元雄」の記事における「任官から終戦まで」の解説

1915年大正4年)から陸軍士官学校教官勤務し、同6年4月には将校生徒試験常置委員経験する1917年大正6年8月から参謀本部部員就任翌年1919年大正8年陸軍兵器本廠付を任じられる1920年大正9年8月陸軍少佐進み1922年大正11年2月歩兵第44連隊大隊長を命ぜられる。翌年第13師団参謀を命ぜられる。1924年大正13年8月陸軍中佐進み陸軍戸山学校教官その後研究部主事を命ぜられる。1928年昭和3年3月陸軍大佐任じられ高崎連隊区司令官を命ぜられる。1930年昭和5年3月歩兵第46連隊長を命ぜられる。1932年昭和7年8月陸軍少将進級翌年8月予備役編入される。1933年昭和8年8月、叙従四位1943年昭和18年2月陸軍司政長官任じられジャワ(島) 瓜蛙軍監部付で瓜同年4月赴任のため福岡出発同年5月ボゴル州長官命じられる1944年昭和19年8月勲二等瑞宝章賜る同年8月陸軍省軍務局付となり同年9月ジャカルタ出発し福岡上陸同年12月依願本官免じられる。 1945年昭和20年3月臨時召集により徳島連隊区司令官を命ぜられる。1945年昭和20年9月28日終戦により召集解除

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任官から終戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 05:11 UTC 版)

岡村寧次」の記事における「任官から終戦まで」の解説

1914年大正3年)から参謀本部勤務し、同6年には北京駐在員として中国勤務経験する1921年大正10年6月から半年欧米出張する1921年大正10年)の欧米出張の際には10月スイス公使館武官永田鉄山ロシア公使館付武官小畑敏四郎ドイツバーデン・バーデン合い翌日には東條英機合流した会合では派閥解消人事刷新軍制改革総動員体制等について密約したという(バーデン・バーデンの密約)。尚、この密約について詳細は明らかではないが後の極東国際軍事裁判検察側が軍部独裁に繋がる端緒であるとして取り上げている。 帰国して1922年大正11年2月歩兵第14連隊大隊長就任する。 翌1923年大正12年)から上海駐在となる。 1927年昭和2年7月陸軍大佐進み歩兵第6連隊長を命ぜられる。 翌1928年参謀本部内国戦史課長就任1929年昭和4年8月から陸軍省人事局補任課長就任する補任課長在任中に三月事件関わる。これは宇垣一成陸軍大臣首班とする軍事政権樹立企てたものであったが、テロ等の非合法手段用いた計画であり当の宇垣直前になって反対した為頓挫した事件幾許か関わったのであれば本来なら何らかの処分を受けるところだが、小磯國昭軍務局長二宮治重参謀次長建川美次参謀本部第二部長等陸軍上層部事件に関わっていた事からこの件は隠滅され岡村処罰はなかった。 1932年昭和7年2月上海派遣軍参謀副長として転出し同年8月には関東軍参謀副長就任1933年昭和8年2月から満州帝国駐箚陸軍武官兼ねる。 同年5月31日には国民政府軍全権だった何応欽塘沽協定締結こぎつける1935年昭和10年3月参謀本部第二部長として中央復帰翌年3月陸軍中将に補せられ第2師団長に任じられる師団内地にあったが、1937年昭和12年4月満州派遣され同年7月には盧溝橋事件発生し日中間で全面戦争発展していく。 1938年昭和13年6月新設第11軍司令官就任する第11軍中支那派遣軍隷下部隊で7個師団1個独立混成旅団統括し同年10月武漢攻略作戦では大い活躍した司令官在任中の1940年昭和15年2月勲一等旭日大綬章受章し3月には軍事参議官へ移る。 1941年昭和16年4月陸軍大将進級する同年7月には北支那方面軍司令官に就任する。岡村司令官着任時に滅共愛民」との理念から同年11月に「焼くな、犯すな、殺すな」という三戒遵守訓示した。岡村三戒始めとする風紀粛正によって放火殺人強盗常態化していた北支那方面軍規律崩壊食い止め1943年昭和18年)ごろまでにはかなり規律取り戻していたと言われている。 1944年昭和19年)の大陸打通作戦では河南作戦指揮した同年8月第6方面軍司令官転じ湘桂作戦を行う。 1944年昭和19年11月中国大陸部隊統括する支那派遣軍総司令官就任する兵力100万大所帯である。中国大陸では武漢三鎮広東手中に収めこれ以上攻略難しいと判断した大本営部隊そのまま駐屯させる方針とっていた。

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