京都編「映画村・奮闘」パート(1983年 - 1993年)
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「カムカムエヴリバディ」の記事における「京都編「映画村・奮闘」パート(1983年 - 1993年)」の解説
るいと錠一郎の長男・桃太郎が誕生してから7年後の1983年(昭和58年)4月初旬、高校三年生になったひなたは同級生らが将来を見据えて進学などを決める中、家庭の経済事情で進学は諦めつつも進路が決まらずにいた。ある日、独りで店番をしていると「無愛想な男」が来店し、回転焼きを焼けないひなたを嘲笑するなど悪印象を残して立ち去る。後日、同級生の藤井小夜子の提案で家業の手伝いを進路に考えたひなたは、るいに教わり初めて回転焼きを作るが大失敗し、将来を悲観し落ち込む。気が付くと癒しの場である映画村に到着したひなたは、「ミス条映コンテスト」 参加者募集のポスターを見つけてひらめき、応募する。 書類選考を通過し最終選考会に進んだひなたは、演技審査で「侍に告白される茶屋の娘」を演じることとなるが、相手役演者の五十嵐文四郎が「無愛想な男」と気づき、演技中であることを忘れて刀を奪い、相手を斬り倒す芝居をする。その結果コンテストには落選するが、後日ベテラン大部屋俳優・伴虚無蔵に映画村のアルバイトに誘われる。「このままでは滅び去る時代劇を救ってほしい」と懇願する伴の言葉に、責任の重大さを感じたひなたは当初辞退するも、五十嵐と再会して言い争う内に考えが変わり、翌日から映画村の俳優会館休憩所でアルバイトを始める。 時代劇関係者が集う環境を「パラダイス」と感じながら働くある日、幼い頃からのファンである時代劇ドラマ「棗黍之丞シリーズ」の嘗てのレギュラー女優・美咲すみれが映画村を訪れる。時代劇ドラマ撮影現場を見たひなたは、監督に脚本変更を要求するすみれのわがままを作品向上への熱意と勘違いして感動する。そして、協力のつもりで茶道の作法の間違いを指摘したことがすみれの気に障り、撮影は中断する。現場で出番待ちをしていた五十嵐は苛立ち、ひなたに時代劇ドラマ撮影の現実を突きつけ口論になるうちに「棗黍之丞シリーズ」ですみれが出演した名場面に話が及び、意気投合し盛り上がる。二人は現場を追い出されるが、当時を思い出して懐かしむすみれとスタッフとの間で談笑が始まり、殺伐としていた現場は和やかな空気に変わる。撮影が無事終了し、初心を思い出しドラマ出演へのこだわりを捨てたすみれは、ドラマの台本にサインを入れてひなたに渡し、侍のように潔く現場を後にする。 翌年の春、高校を卒業したひなたは映画村に就職。業務部に配属され、五十嵐と小競り合いしながらも充実した毎日を送っていた。ある日、二代目桃山剣之介が、父である初代桃山剣之介の遺作で世間で駄作と評された映画「妖術七変化 隠れ里の決闘」を自身の主演で再映画化すると発表する。それについての記者会見の場で敵の小野寺左近役をオーディションで決めると知った五十嵐は応募を決め、当時この役を演じた伴に稽古を懇願するが断られる。一方ひなたは、すみれの口から桃山親子の不仲や「妖術七変化」の制作経緯の噂を聞く。後日、謎の振付師からもらったチケットで五十嵐と一緒に「妖術七変化」のリバイバル上映を観に行き、ひょんなことから一家団欒に彼も交え食事をしたひなたは、時代劇俳優の大成を目指し努力する彼を知り、気づけば応援していた。五十嵐は再び伴に頭を下げ、ひなたも説得に協力する。しかし再度断られ、伴もオーディションを受ける事とともに、「妖術七変化」制作の経緯の真相と、自分のセリフ回しが下手で初代の遺作が駄作となった後悔を聞く。五十嵐と伴は順調に審査を通過していき、参加者が二人一組で殺陣を披露する最終審査では二人が刀を合わせることが決まる。その前日、ひなたは密かに練習してきた回転焼きを作り、出来立てを彼に渡し応援する。 最終審査当日、様子を覗き見ていたひなたは、二代目剣之介が語る今回のオーディションの意図や、初代剣之介が当時伴を選んだ真意を聞く。そして審査終了後に二代目剣之介に呼び止められ、棗黍之丞を演じることに迷う中、サイン会でひなたから質問されたことや、その時にもらった回転焼きを食べたことで父の思いに気づき「妖術七変化」再映画化に繋がったことを打ち明けられる。五十嵐は左近役には落選するも名前とセリフのある端役をもらい稽古に打ち込む。一方その頃、ひなたは仕事に忙殺され、互いにすれ違いの日々が続く。寂しさが限界となり、やっと五十嵐に会えたひなたは、同じ思いをしていた彼に抱きしめられる。後日、ひなたは五十嵐に告白され相思相愛となる。 「妖術七変化」再映画化は成功するが、その後はスポンサー離れなどから時代劇は次々と終了し、それに比例して条映が自社映画の制作費調達のために開設した映画村の来客数も下降していた。1992年、五十嵐を励ましながら映画村で働き続けるひなたは、来客増加と仕事が減った大部屋俳優らに活躍の場を与えるため、映画村内にお化け屋敷を開業させることを思いつき運営を始め、この企画は順調な滑り出しを見せる。その頃五十嵐は、斬られ役の大部屋俳優から栄進出来ないまま8年となり焦燥していた。そんなある日、彼はやけ酒をあおり酩酊し、偶然その場に居合わせた人気時代劇俳優・星川凛太朗に暴言を吐き、条映から「破天荒将軍」への一年間の出演禁止処分が下る。監督の轟強から「星川に気兼して他の監督も出演させないかもしれない」と告げられ絶望した五十嵐は、東京の実家で働くことを決め、ひなたに対して結婚を前提に帰郷の同行を求める。しかし彼女に夢を諦めることを反対されると共に明るく励まされて辛くなり、別れを告げる。そんな彼に自身の過去と重ねた錠一郎は、自分の選んだ道ならきっとひなたの道になると五十嵐に語り穏やかに送り出す。一方、ひなたはひどく落ち込むが、るいが歌う「On the Sunny Side of the Street」と自分の名前の由来を聞き、笑顔を取り戻す。 1993年4月、お化け屋敷は好評ながらも時代劇の終了は止まらず、映画村への来客数は更に減少する。ひなたは更なる打開策として外国人向けツアーを提案するが、英語に対応したガイドの高額な人件費を理由に却下される。その後小学生時代にラジオ英語講座でわずかながらも学習した経験を思い出し、自身がガイドしようと考え、五十嵐との結婚資金だった定期預金を崩し英会話教室に3ヶ月通ったり本を買ったりとさまざまな術を試行錯誤するが実用的な会話は身に付かない。そんな中、長年の恋に敗れた桃太郎が自棄になり、ひなたが欲しがっていたCDプレイヤーを万引きする。ひなたは桃太郎に対する怒りに任せて自身の現状を打ち明けた挙句姉弟喧嘩に発展し、二人を見かねたるいは仲裁に入る。そこにトランペットを手にした錠一郎が現れ、ジャズトランペッターだった過去を初めて子供達に明かし、挫折から10年間、密かに復活への希望を持ち続けたことを語り、それでも人生は続いていくと諭す。
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