京都舎密局とは? わかりやすく解説

京都舎密局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:28 UTC 版)

舎密局」の記事における「京都舎密局」の解説

明治3年1870年10月大阪舎密局ハラタマ学び京都府出仕した明石博高により中京区夷川通河原町東入に設立され同年12月開所した。石鹸氷砂糖ガラス漂泊粉を始めとするさまざまな工業製品製造指導薬物検定行った舎密局自体京都府管轄であったが、明治8年1875年2月には文部省管轄の「京都場」が併設されオランダ人教師ヘールツ(ゲールツ)による理化学講義翌年8月廃止まで行われた舎密局後任外国人教師としてワグネル招聘して化学教師とするとともに七宝焼などの製造改良指導させた(彼に師事したうちの一人島津源蔵である)。 明治14年1881年)に京都府舎密局廃止したさい、主宰者たる明石設備払い下げを受けしばらく経営続けたが、明治17年1884年)には高木文平譲渡され京都倶楽部」と改称された。 跡地には現在京都市銅駝美術工芸高等学校が建つ。

※この「京都舎密局」の解説は、「舎密局」の解説の一部です。
「京都舎密局」を含む「舎密局」の記事については、「舎密局」の概要を参照ください。

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