窯業との関わりとは? わかりやすく解説

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窯業(陶磁器・七宝・ガラス)との関わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:41 UTC 版)

ゴットフリード・ワグネル」の記事における「窯業陶磁器七宝ガラス)との関わり」の解説

ワグネルドイツ学んだ化学知識を基に日本窯業深く関わった。有田での窯業指導上述通りであり、伊万里焼有田焼)の近代化先鞭付けた1870年から1881年まで続いた京都舎密局では、工業化学関連品製造技術普及職務含まれており、永樂和全協力得て陶磁器七宝ガラス製法などを指導した陶磁器については、石炭双方燃料とし、火熱2段階に利用して第1段本焼成、第2段素焼きのできる新式陶器焼成窯を発明し耐火煉瓦用いて局内新造した。 ワグネル1873年7月8日顧問として石田と共に京都到着し万国博覧会紹介するのに相応し工芸家作品を選ぶのに協力した1877年から1年間七宝研究専念しており、その成果譲り受けた七宝会社1881年第2回内国勧業博覧会名誉賞受賞している。1878年からは京都府槙村正直府知事)に月給400円で雇われた。1879年には五条坂陶磁器実験工場建設し青磁焼成試みている。また、それまで七宝不透明釉に替わる透明釉開発し京都七宝鮮明な色彩導入した透明釉日本七宝美しさ飛躍的に高め4年後のパリ博覧会では濤川惣助が名誉大賞並河靖之金賞受賞し国際的にも大変評価されることになる。 これらの経験経た1883年から新し陶器研究し、旭焼を開発した。旭焼は、それまで陶磁器が主に釉薬をかけて本焼成した後に絵付け行い再度焼成していたのに対し先に絵付け行ってから釉薬をかけて焼成する釉下彩呼ばれる手法作られていた。これにより陶磁器貫入歪みを嫌うヨーロッパ嗜好合った製品作られると、1890年には渋沢栄一らの出資で旭焼組合設立されストーブタイルなどが輸出された。しかし、コスト高かったことなどからワグネル没後1896年組合解散し東京工業学校生産同時期に終了した。なお、渋沢栄一らによって設立された「大日本東京深川東元町旭焼製造所」は1986年3月26日に「旭焼陶磁器窯跡」として江東区史跡となっている。

※この「窯業(陶磁器・七宝・ガラス)との関わり」の解説は、「ゴットフリード・ワグネル」の解説の一部です。
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