陶磁器窯跡とは? わかりやすく解説

陶磁器窯跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)

長崎県指定文化財一覧」の記事における「陶磁器窯跡」の解説

県内三川内焼比肩される波佐見焼関係の史跡は、世界最長クラス登り窯といわれる肥前波佐見陶磁器窯跡が国指定史跡となっている。 名称位置指定日解中野窯跡 平戸市山中町 1960年7月13日 慶長3年1598年)、朝鮮陶工の巨関・頓六らが開いたとされる陶工文禄・慶長の役際し松浦鎮信連れてきた。中野窯は最初平戸焼工房で、茶陶類や日用雑器中心1620年代から1650年代三川内での磁器製作が本格化して移転した。 葭之本窯佐世保市木原町 1960年7月13日 元和8年1622年)に開かれた最初三川内焼窯跡といわれる。巨関の子帰化して今村三之丞を名乗り白磁本格製作に着手した。葭之本窯10連以上の登り窯で、昭和57年1982年)の調査隣接地登り窯工房・物原跡が発見された。 市ノ瀬窯跡 佐々町鴨川免 1950年4月10日 宝暦元年1751年)に開かれた窯跡福本新左衛門中心とする三川内陶工5人が移転して開いた製品三川内焼白磁と同じ技巧で、絵付でも識別は困難。文化元年1804年)から瀬戸焼陶工加藤民吉潜伏し伝説がある。 現川焼陶窯跡(田中宗悦の墓石一基観音一基長崎市現川町 1963年5月8日 元禄4年1641年)に始まったといわれる現川焼工房跡佐賀藩諫早家被官田中刑部左衛門田中宗悦)が退職後に始め60年ほどで断絶した短期間佳作を生み、人気がある。昭和58年1983年)の追加調査窯跡や物原が確認された。 智惠登窯波佐見町永尾郷 2004年8月27日 明治期築造された近代登り窯昭和10年1935年)に小柳智恵治が改修し昭和27年まで使用したことから通称生まれた石炭石油窯の時代築造された大型薪炭窯として貴重とされる。5連の窯のうち3連が現存する周辺には物原が検出された。

※この「陶磁器窯跡」の解説は、「長崎県指定文化財一覧」の解説の一部です。
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