陶磁器窯跡
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「長崎県指定文化財一覧」の記事における「陶磁器窯跡」の解説
県内で三川内焼と比肩される波佐見焼関係の史跡は、世界最長クラスの登り窯といわれる肥前波佐見陶磁器窯跡が国指定史跡となっている。 名称位置指定日解説中野窯跡 平戸市山中町 1960年7月13日 慶長3年(1598年)、朝鮮陶工の巨関・頓六らが開いた窯とされる。陶工は文禄・慶長の役に際し、松浦鎮信が連れてきた。中野窯は最初の平戸焼工房で、茶陶類や日用雑器が中心。1620年代から1650年代に三川内での磁器製作が本格化して移転した。 葭之本窯跡 佐世保市木原町 1960年7月13日 元和8年(1622年)に開かれた最初の三川内焼窯跡といわれる。巨関の子は帰化して今村三之丞を名乗り、白磁の本格製作に着手した。葭之本窯は10連以上の登り窯で、昭和57年(1982年)の調査で隣接地に登り窯・工房・物原跡が発見された。 市ノ瀬窯跡 佐々町鴨川免 1950年4月10日 宝暦元年(1751年)に開かれた窯跡。福本新左衛門を中心とする三川内陶工5人が移転して開いた。製品は三川内焼の白磁と同じ技巧で、絵付でも識別は困難。文化元年(1804年)から瀬戸焼陶工加藤民吉が潜伏した伝説がある。 現川焼陶窯跡(田中宗悦の墓石一基 窯観音一基) 長崎市現川町 1963年5月8日 元禄4年(1641年)に始まったといわれる現川焼の工房跡。佐賀藩諫早家被官田中刑部左衛門(田中宗悦)が退職後に始め、60年ほどで断絶した。短期間に佳作を生み、人気がある。昭和58年(1983年)の追加調査で窯跡や物原が確認された。 智惠治登窯跡 波佐見町永尾郷 2004年8月27日 明治期に築造された近代の登り窯。昭和10年(1935年)に小柳智恵治が改修し、昭和27年まで使用したことから通称が生まれた。石炭・石油窯の時代に築造された大型の薪炭窯として貴重とされる。5連の窯のうち3連が現存する。周辺には物原が検出された。
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