窯分け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 14:35 UTC 版)
和物茶入、特に瀬戸茶入について話すときに避けて通ることができないのが「窯分け」である。「窯分け」とは和物茶入の分類法で、形や釉薬の調子を参考にグループ分けをしたものである。1811年出雲松江藩主で茶人の松平不昧(1751〜1818)が『瀬戸陶器濫觴』で提唱した。不昧によれば、和物茶入は瀬戸茶入を中心として次の8段階の歴史がある。 第1段階 瀬戸の伝説の名工、加藤四郎左衛門かげまさ(かとうしろうざえもんかげまさ)(藤四郎とも春慶ともいう)が中国に渡る以前の茶入(ただしこれは実例がない)。 第2段階 古瀬戸(こせと) 景正が1227年に中国から帰国して制作した時代。 第3段階 春慶(しゅんけい) 景正の晩年に当たる。 第4段階 真中古(まちゅうこ) 2代目景正の時代。 第5段階 金華山窯(きんかざんがま) 3代目景正の時代。 第6段階 破風窯(はふがま) 4代目景正の時代。 第7段階 後窯(のちがま) 千利休(1522〜1591)や古田織部(1543〜1615)の時代となる。後半には小堀遠州が登場する。 第8段階 国焼(くにやき) 瀬戸以外の窯で焼かれた茶入が登場する。ほぼ小堀遠州(1579〜1647)の時代となる。
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