窯跡の位置と性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/23 01:09 UTC 版)
七尾瓦窯跡は、千里丘陵の東南端、地元で紫金山と呼ばれる支丘陵に位置する、後期難波宮の瓦を焼成した窯の跡である。付近には、古墳時代に須恵器を焼成した千里古窯跡群の釈迦ヶ池支群があった。紫金山の南面には吉志部神社が鎮座し、その近くには七尾瓦窯跡より60年ほど時代の下る、平安京の瓦を焼成した吉志部瓦窯跡がある。七尾瓦窯跡は、吉志部神社の東方300メートル、東西に伸びる紫金山の東端、比高2ないし2.5メートルの丘陵に位置する。 この丘陵の斜面の灰層には瓦が包含されており、この場所が瓦窯跡であることは1964年頃には認識されていた。1979年に至り、この地で宅地開発が計画されたため、吹田市教育委員会が調査を行った結果、瓦窯の存在が確認された。1980年3月24日付けで国の史跡に指定されている。 窯跡からは多量の瓦が出土しているが、そのなかには難波宮6303形式(軒丸瓦)と難波宮6664B形式(軒平瓦)と呼ばれる瓦と同范のものが含まれている。これらは聖武天皇が神亀3年(726年)に造営に着手した後期難波宮使用の瓦と胎土や技法が一致し、このことから、当瓦窯は後期難波宮の瓦を焼成していたことがわかった。 6303形式は複弁八葉蓮華文軒丸瓦で、細長く彫りの明瞭な蓮華文が特色である。中房は小さめで、中心に1つ、その周囲に6つの蓮子をあらわす。外区内縁には21個の珠文、外区外縁には18個の線鋸歯文をあらわす。6664B形式は均整唐草文軒平瓦で、外区には珠文をあらわす。他に6664A形式の均整唐草文軒平瓦も3点のみ出土している。この形式は、6664Bにくらべると、内区の幅が狭く、外区の珠文の間隔が広い。 なお、難波宮から多数出土する重圏文系軒瓦は出土せず、当瓦窯では生産されていなかったとみられる。
※この「窯跡の位置と性格」の解説は、「七尾瓦窯跡」の解説の一部です。
「窯跡の位置と性格」を含む「七尾瓦窯跡」の記事については、「七尾瓦窯跡」の概要を参照ください。
- 窯跡の位置と性格のページへのリンク