ドラマ撮影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:50 UTC 版)
おしん少女時代の撮影は山形県の中山町岩谷地区で撮影された。ここで出演者の控室や囲炉裏のセットのモデルとなった築150年の農家の家が、地元有志によって「おしんの生家」として保存されていたが、2012年(平成24年)冬に雪の重さで倒壊。その後、鶴岡市の庄内映画村オープンセットに移築されている。 当初NHKが山形での現地撮影に便宜を図って貰おうと山形の権威ある人物に協力をお願いに行ったところ、「山形はそれでなくても日本のチベットのように言われている。そんな貧乏物語に力は貸せない」と追い返された。 最上川の川下りのシーンの撮影は大江町役場の全面的な協力で筏(いかだ)が再現された。当時ほとんど見られなくなっていた筏を地元の元船頭72歳の男性の指導の下で製作。また、この男性が撮影でも船頭をつとめた。 両親が口減らしのため丁稚奉公に出す『おしんを見送る最上川の川下りのシーン』は、貧困による窮乏と悲惨さを象徴し、本ドラマの代表シーンとして、必ず引き合いに出されるほど有名なシーンである。このシーンの撮影が終わるとスタッフや見物の人々から大きな拍手がわきあがった。しかし、父の作造が登場する場面は別撮りで、後年になって伊東四朗は、おしんの姿を見ずに演じることが大変であったことを明かした。なお伊東は、2000年の連続テレビ小説『私の青空』に、ヒロインの父親として登場し、船に乗って旅立つヒロインとその子供を港で見送るという、当作のようなオマージュシーンが存在する。 小林綾子演じる少女時代のおしんが奉公先から脱走するシーンは、ロケ地の雪山で本物の雪を巨大な扇風機で飛ばして撮影された。その後の山小屋暮らしの撮影も雪山で行われ、麓の旅館と雪山を30分かけて往復したという。 中村雅俊が演じる脱走兵・俊作がハーモニカで奏でている曲はアイルランド民謡原曲の『庭の千草』という明治時代の小学唱歌で、何度かおしんも吹いている。 東てる美、並木史朗の回想によれば、橋田壽賀子の脚本特有の長台詞に役者たちは皆苦労しており、撮影の合間も食事中も雑談する暇もなくひたすら台詞の練習をしていた。 田中裕子は脚本と評判のいい少女編を受け継ぐプレッシャーの中、撮影中に倒れて救急車で運ばれて入院、1か月撮影が中断した。このため、ドラマ放送を1週分中断し「#番外編『もうひとりのおしん』」が放送された(後述)。
※この「ドラマ撮影」の解説は、「おしん」の解説の一部です。
「ドラマ撮影」を含む「おしん」の記事については、「おしん」の概要を参照ください。
- ドラマ撮影のページへのリンク