丸の内時代とは? わかりやすく解説

丸の内時代(1970年 - 2015年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 07:09 UTC 版)

富山市立図書館」の記事における「丸の内時代(1970年 - 2015年)」の解説

1969年昭和44年)には富山県立図書館呉羽山西麓茶屋町移転した富山市市制80周年記念事業として、富山県立図書館から分離する形で丸の内富山城址公園内の北西部新館の建設計画設計日新建築設計事務所であり、施工佐藤工業1968年昭和43年10月2日着工し1970年昭和45年4月30日竣工1970年6月富山市立図書館開館した鉄骨鉄筋コンクリート構造地上7階・地下1階建であり、延床面積は6,961.74m2、富山市産業奨励館が同居する複合施設である。建設費は4億7574万円総工費は5億4480万円であったこの際にはコクヨ創業者黒田善太郎富山市出身)が寄付による「黒田文庫」や、救心製薬社長堀正由(富山出身)の寄付による「堀文庫」、著作家翁久允富山県上新川郡東谷村出身)が渡米中に収集した文献を基にして寄贈した「翁文庫」が設置された。 1971年昭和46年10月には移動図書館自動車文庫)の巡回サービス開始した1972年昭和47年9月には第1号分館として水橋分館開設し以後2000年平成12年)に第15号分館として東部分館開設するまで、旧富山市内で分館整備進めた障害者向けのサービスとして、1973年昭和48年11月には録音図書郵送サービス開始し1979年昭和54年5月には書籍小包郵送サービス開始している。 2005年平成17年3月には岩瀬公民館移転にともない岩瀬分館岩瀬小学校図書館統合して移設2005年平成17年4月には旧富山市上新川郡大沢野町大山町婦負郡八尾町婦中町山田村細入村合併して新富山市が誕生した合併前の6町村には移動図書館サービス存在せず、また八尾町以外の5町村図書館が1館しかなかったため、図書館利用者図書館周辺の住民偏る傾向があった。合併後富山市は旧6町村に計18か所の巡回所を設置合併から2006年平成18年1月末までに旧6町村14,688冊を貸し出しており、旧6町村に限れば移動図書館貸出冊数は年平均15冊に達している。 2006年度から2年間かけて、旧富山市と旧6町村図書館異なっていた電システム統合行った蔵書データ移行作業必要なため、旧6町村それぞれの館では2週間から1か月程度臨時休館して移行作業行っている。2006年6月14日午後3時頃、2階ベランダ外壁張られていた大理石化粧板1枚落下し通路駐車していた乗用車直撃して屋根50センチ穴が開く事故起こった。この事故による負傷者はいない。その日は通常通り午後7時まで開館したが、富山市長の指示により翌日からは2週間ほど臨時休館して原因解明あたった6月27日には補強工事着手し化粧板228ボルト留め上でステンレス製の網をかぶせ、8月10日工事終了した図書館自体工事中7月4日再開館している。 2008年平成20年2月から6月には、本館各階天井使用されていたアスベスト石綿)を除去する作業のために長期休館した。1970年開館してから初の長期休館であり、この間予約図書受取返却地域館分館肩代わりしたほか、本館購入している雑誌新聞富山駅前CiCビルのとやま市民交流館肩代わりした。 本館TOYAMAキラリ移転1年後控えた2014年平成26年4月には、全館利用者カードバーコード式から磁気式変更した2016年平成28年1月19日からは、利用者お勧めコメントそのまま推薦本の帯に巻いた本の展示貸出開始した2015年7月22日には本館TOYAMAキラリ移転移転時には旧館より約7冊多い約45冊を所蔵する

※この「丸の内時代(1970年 - 2015年)」の解説は、「富山市立図書館」の解説の一部です。
「丸の内時代(1970年 - 2015年)」を含む「富山市立図書館」の記事については、「富山市立図書館」の概要を参照ください。


丸の内時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 05:53 UTC 版)

RADIO-izm」の記事における「丸の内時代」の解説

1996年4月放送開始より、甲府市丸の内FM富士本社第2スタジオから生放送されていた。 RADIO-izmでは1996年番組開始当初から、16:00 - 18:30一時期15:30より受け付けていたこともある)の時間帯電話によるリクエスト受付行っていた。 ただリクエスト曲かけたり電話FAX寄せられメッセージ紹介したりするだけにとどまらず個性的な企画当初から力を入れてきた。初期は、リスナーから寄せられ喜怒哀楽紹介するFEELING NOW今日喜怒哀楽」や、DJそれぞれの感性生かしたHEAT UP」といったコーナー人気であった。なお「HEAT UP」はのちに「IZM DJ's 5」へと継承されることになる。 DJ毎日1名ずつが担当し番組開始当初から2001年12月までは月・火曜水・木曜、金曜と、週3人制シフト置いていた(ただし1999年10月から2000年3月までは月・火曜(宮沢光邦)、水曜(奥居俊二)、木・金曜(みんしる)の変則シフト取っていた)。その後2002年1月より月 - 金曜まで毎日、週5人制日替わりシフトとなる。

※この「丸の内時代」の解説は、「RADIO-izm」の解説の一部です。
「丸の内時代」を含む「RADIO-izm」の記事については、「RADIO-izm」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「丸の内時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「丸の内時代」の関連用語

丸の内時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



丸の内時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの富山市立図書館 (改訂履歴)、RADIO-izm (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS