丸の内時代(1970年 - 2015年)
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「富山市立図書館」の記事における「丸の内時代(1970年 - 2015年)」の解説
1969年(昭和44年)には富山県立図書館が呉羽山西麓の茶屋町に移転した。富山市は市制80周年記念事業として、富山県立図書館から分離する形で丸の内の富山城址公園内の北西部に新館の建設を計画。設計は日新建築設計事務所であり、施工は佐藤工業。1968年(昭和43年)10月2日に着工し、1970年(昭和45年)4月30日に竣工。1970年6月に富山市立図書館が開館した。鉄骨鉄筋コンクリート構造、地上7階・地下1階建であり、延床面積は6,961.74m2、富山市産業奨励館が同居する複合施設である。建設費は4億7574万円、総工費は5億4480万円であった。この際にはコクヨ創業者の黒田善太郎(富山市出身)が寄付による「黒田文庫」や、救心製薬社長の堀正由(富山出身)の寄付による「堀文庫」、著作家の翁久允(富山県上新川郡東谷村出身)が渡米中に収集した文献を基にして寄贈した「翁文庫」が設置された。 1971年(昭和46年)10月には移動図書館(自動車文庫)の巡回サービスを開始した。1972年(昭和47年)9月には第1号分館として水橋分館を開設し、以後は2000年(平成12年)に第15号分館として東部分館を開設するまで、旧富山市内で分館の整備を進めた。障害者向けのサービスとして、1973年(昭和48年)11月には録音図書の郵送サービスを開始し、1979年(昭和54年)5月には書籍小包郵送のサービスを開始している。 2005年(平成17年)3月には岩瀬公民館の移転にともない、岩瀬分館を岩瀬小学校図書館と統合して移設。2005年(平成17年)4月には旧富山市が上新川郡大沢野町、大山町、婦負郡八尾町、婦中町、山田村、細入村と合併して新富山市が誕生した。合併前の6町村には移動図書館サービスが存在せず、また八尾町以外の5町村は図書館が1館しかなかったため、図書館の利用者が図書館周辺の住民に偏る傾向があった。合併後の富山市は旧6町村に計18か所の巡回場所を設置。合併から2006年(平成18年)1月末までに旧6町村で14,688冊を貸し出しており、旧6町村に限れば移動図書館の貸出冊数は年平均15冊に達している。 2006年度から2年間かけて、旧富山市と旧6町村の図書館で異なっていた電算システムの統合を行った。蔵書データの移行作業が必要なため、旧6町村それぞれの館では2週間から1か月程度臨時休館して移行作業を行っている。2006年6月14日午後3時頃、2階ベランダの外壁に張られていた大理石の化粧板1枚が落下し、通路に駐車していた乗用車に直撃して屋根に50センチの穴が開く事故が起こった。この事故による負傷者はいない。その日は通常通り午後7時まで開館したが、富山市長の指示により翌日からは2週間ほど臨時休館して原因の解明にあたった。6月27日には補強工事に着手し、化粧板228枚をボルトで留めた上でステンレス製の網をかぶせ、8月10日に工事を終了した。図書館自体は工事中の7月4日に再開館している。 2008年(平成20年)2月から6月には、本館各階の天井に使用されていたアスベスト(石綿)を除去する作業のために長期休館した。1970年に開館してから初の長期休館であり、この間の予約図書の受取や返却は地域館や分館が肩代わりしたほか、本館が購入している雑誌や新聞は富山駅前CiCビルのとやま市民交流館が肩代わりした。 本館のTOYAMAキラリ移転を1年後に控えた2014年(平成26年)4月には、全館で利用者カードをバーコード式から磁気式に変更した。2016年(平成28年)1月19日からは、利用者のお勧めコメントをそのまま推薦本の帯に巻いた本の展示と貸出を開始した。2015年7月22日には本館がTOYAMAキラリに移転。移転時には旧館より約7万冊多い約45万冊を所蔵する。
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丸の内時代
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1996年4月の放送開始より、甲府市丸の内のFM富士旧本社第2スタジオから生放送されていた。 RADIO-izmでは1996年の番組開始当初から、16:00 - 18:30(一時期15:30より受け付けていたこともある)の時間帯で電話によるリクエストの受付を行っていた。 ただリクエスト曲をかけたり電話やFAXで寄せられたメッセージを紹介したりするだけにとどまらず、個性的な企画に当初から力を入れてきた。初期は、リスナーから寄せられた喜怒哀楽を紹介する「FEELING NOW〜今日の喜怒哀楽」や、DJそれぞれの感性を生かした「HEAT UP」といったコーナーが人気であった。なお「HEAT UP」はのちに「IZM DJ's 5」へと継承されることになる。 DJは毎日1名ずつが担当し、番組開始当初から2001年12月までは月・火曜、水・木曜、金曜と、週3人制のシフトを置いていた(ただし1999年10月から2000年3月までは月・火曜(宮沢光邦)、水曜(奥居俊二)、木・金曜(みんしる)の変則シフトを取っていた)。その後、2002年1月より月 - 金曜まで毎日、週5人制の日替わりシフトとなる。
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