マケドニア呼称問題とは? わかりやすく解説

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マケドニア名称論争

(マケドニア呼称問題 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/18 05:55 UTC 版)

マケドニア名称論争(マケドニアめいしょうろんそう、: Macedonia naming dispute)は、1991年に独立したマケドニア共和国(現・北マケドニア共和国)の国名を巡り、マケドニア共和国とギリシャとの間で発生した一連の対立を指す。

28年後の2019年、マケドニア共和国が北マケドニア共和国に国名を変更することで決着した。

「マケドニア」と呼ばれる地域 灰色線内:地理上のマケドニア地方
赤色線内:古代マケドニア王国(大凡)

背景

マケドニア」という広域地名は、アレクサンドロス3世(大王)を出した古代マケドニア王国の故地として知られているが、現在はギリシャ領・北マケドニア共和国領にまたがる地域(このほか一部はブルガリア領・アルバニア領)がこの名で呼ばれており、その面積の半分強はギリシャに属している。古代マケドニア王国は古代ギリシア人によって建国された国であり、王都ペラは現在のギリシャ領に存在する。

後に「マケドニア」地域にはスラヴ系の人々が定住するようになった。19世紀末、オスマン帝国支配下のマケドニアにおいて、スラヴ系住民は自らをマケドニア人と呼称して、民族意識を育んでいった(内部マケドニア革命組織参照)。彼らの中には、マケドニア地域をスラヴ系マケドニア人によって統一しようとする「統一マケドニア」を主張する人々も現れた。このような主張はギリシャ人からは攻撃的なものとしてとらえられた。

1946年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国構成国としてマケドニア社会主義共和国が樹立される。

沿革

マケドニア共和国が1991年に独立して以来、ギリシャは自国の文化遺産だとして国名への使用に反対してきた。さらにギリシャは、マケドニア共和国の北大西洋条約機構欧州連合への加盟を阻むなど、対立は多岐にわたった[1]

2018年6月にマケドニア共和国のゾラン・ザエフ首相が主導し、同国が「北マケドニア共和国」に国名変更することでギリシャのアレクシス・ツィプラス首相と合意に至った(プレスパ合意英語版)。両国内で国名変更合意に反対する勢力が存在する中、野党勢力の切り崩しなどが行われ、まず2019年1月11日にマケドニア共和国議会が国名変更のために必要な憲法改正案を承認(賛成81票・反対39票)し[2]、同年1月25日にはギリシャ議会で改名合意が承認(賛成153票・反対146票・棄権1票)され、マケドニアの国名変更で論争は決着した[3]。同年2月12日に改名が発効し、翌13日には国名変更を国際連合に通知した[4]

出典

外部リンク


マケドニア呼称問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:17 UTC 版)

北マケドニア」の記事における「マケドニア呼称問題」の解説

マケドニア名称論争」および「統一マケドニア」も参照 アレクサンドロス大王有名な古代マケドニア王国領地自国にあったギリシャは、「本来のマケドニアギリシャである」と主張している。実際マケドニアとは北マケドニア共和国のほかにギリシャギリシャ領マケドニア)やブルガリアピリン・マケドニア)、アルバニアマラ・プレスパおよびゴロ・ブルド)のそれぞれ一部にもまたがる地域の名称である。特にギリシャ領マケドニア地方の5割ほどを占めており、北マケドニア共和国領土全体の4割に満たない事に加えアイガイ(現ヴェルギナ)やペラテッサロニキ等の古代マケドニア王国当時主要都市多くも現ギリシャ領である。このように歴史的な古代マケドニアとの継承性、および地理的にマケドニア地方全体の4割に満たない北マケドニア共和国が「マケドニア共和国)」と名乗ることへの警戒感から、この国をマケドニアの名称で呼ぶことを嫌い、ヴァルダルスコピエなどと地名使って呼んだ同時に1990年代よりマケドニア共和国国号改めるよう要求した。これに対してマケドニア共和国の側は、共和国にはギリシャ領マケドニアへの領土的野心がないことを説明し国名自国決め権利認められるべきであると主張した北マケドニアマケドニアという国名独立した1991年以降ギリシャマケドニア経済制裁科しマケドニアという国号古代マケドニア類似したヴェルギナの星用いた国旗、「周辺国に住むマケドニア人権利擁護する」という内政干渉的な憲法条項3つ改めるよう圧力加えたこのためマケドニア国際的な暫定呼称変え国旗ヴェルギナの星とは無関係のものに改めギリシャ領マケドニアへの領土的野心明確に否定する憲法改正行い1995年経済制裁解除された。この当時マケドニアは、ユーゴスラビア崩壊によってかつてのユーゴスラビアという市場失い、またユーゴスラビア紛争伴って北に隣接するセルビア経済混迷し、また国際的な経済制裁下に置かれていた。また、冷戦終結によって東西隣接するアルバニアおよびブルガリア経済混乱状態にある中、海を持たないマケドニアにとって、南に隣接するギリシャの経済制裁威力絶大であったマケドニア1993年に「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」(英語表記:The Former Yugoslav Republic of Macedonia、略称「FYROM」または「FYR Macedonia」) を国際社会における暫定的呼称として国際連合加盟した。これ以後多く国々国際的組織は、この暫定名称でマケドニアとの関係を持った。しかし、2008年11月時点で、アメリカ合衆国ロシア連邦等約125カ国の国々は、暫定名称の「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国ではなく憲法上の国名である「マケドニア共和国」の名でこの国と外交関係結んでいる。 2008年マケドニアアルバニアクロアチア北大西洋条約機構NATO加盟についてルーマニア首都ブカレストにてNATO加盟国の間で議論持たれた。この時、クロアチアおよびアルバニア加盟承認され一方マケドニア加盟ギリシャ拒否によって否認された。このことはマケドニア国内激し怒りを生み、「ブカレスト」は「ひどい仕打ち」の同義語みなされるようになったマケドニア側は国名に関して一定の譲歩をする代わりに国民や国を表す形容詞として単に「マケドニアの」または「マケドニア人」と呼ばれることを望んだが、ギリシャ側はこれらを否定し全て統一的に変更されなければならないとして譲歩を示さなかった。マケドニア側は、国名問題に関して国際司法裁判所提訴した。 しかし2017年発足したゾラン・ザエフ政権NATOEU加盟目指すため従来強硬姿勢改め、これをギリシャ側も好感呼称問題解決する機運高まり2018年1月には両国外相会談作業部会設置決定され国連による仲介再開される見通しとなった2018年2月ゾラン・ザエフ首相新し国名の案として「北マケドニア共和国Republic of North Macedonia)」「上マケドニア共和国Republic of Upper Macedonia)」「ヴァルダル・マケドニア共和国Republic of Vardar Macedonia)」および「マケドニア・スコピエ共和国Republic of Macedonia (Skopje))」の4つ挙がっていることを明らかにした。 2018年6月12日マケドニア国名北マケドニア共和国とすることでギリシャとの政府間合意(プレスパ合意英語版))が成立17日には両国外相暫定的な合意文書署名した正式決定には両国議会了承されることが必要となったが、両国国内には改名反対する世論存在したマケドニアでは議会最大野党合意非難し、またイヴァノフ大統領承認拒否する方針表明したギリシャでも議会最大野党合意対す不支持表明、またアテネ国会前、および署名式典開かれた両国国境に近いサラデス(英語版)の周辺において、抗議デモ対し警察催涙弾などで鎮圧にあたる事態となったマケドニアでの国民投票同年9月30日実施されたが、野党側がボイコット呼び掛けたこともあり、投票率は約37%にとどまり成立条件50%下回ったため無効となった今回投票結果法的拘束力持たないことから、ザエフ首相引き続き改名の手続き進め野党同意しなければ総選挙早期実施する意向表明した議会承認プロセスでは両国内で野党勢力切り崩しなどが行われ、まず2019年1月11日マケドニア議会国名変更のために必要な憲法改正案承認し同年1月25日にはギリシャ議会改名合意承認され呼称問題マケドニア国名変更決着した2月12日改名発効し、翌13日には国名変更国際連合通知した

※この「マケドニア呼称問題」の解説は、「北マケドニア」の解説の一部です。
「マケドニア呼称問題」を含む「北マケドニア」の記事については、「北マケドニア」の概要を参照ください。

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