ボルネオ島攻略作戦とは? わかりやすく解説

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ボルネオ島攻略作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 01:04 UTC 版)

狭霧 (駆逐艦)」の記事における「ボルネオ島攻略作戦」の解説

12月11日馬來部隊水上部隊カムラン湾ベトナム中南部)に集結し続いて第二次マレー上陸作戦と、ボルネオ島攻略作戦を発動する北部ボルネオ島攻略投入される日本陸軍は、第18師団より抽出され川口支隊歩兵第三十五旅団長川口清健陸軍少将であった。ここで馬來部隊兵力部署変わり第七戦隊司令官栗田健男少将指揮官とする護衛隊本隊編成された。このうち第七戦隊第1小隊熊野艦長田中菊松大佐〉、鈴谷艦長木村昌福大佐〉)、駆逐艦2隻(吹雪狭霧〉)はボルネオ作戦支援命じられる本隊の他にも、第五潜水戦隊第二航空部隊第二護衛隊ボルネオ上陸作戦支援命じられ各部隊所属艦艇特設水上機母艦神川丸軽巡洋艦由良、第12駆逐隊叢雲白雲東雲〉、第七号駆潜艇輸送船10隻)もボルネオ島西岸に向かう。 12月13日午前第二次マレー上陸部隊第三水雷戦隊他)、ボルネオ攻略部隊指揮官小川延喜12駆逐隊司令駆逐艦叢雲白雲東雲〉、軽巡由良〉、特設水上機母艦神川丸〉、第七号駆潜艇海軍輸送船5隻、陸軍輸送船5隻)、栗田少将直率の護衛隊本隊熊野鈴谷吹雪狭霧)、小沢中将巡洋艦2隻(鳥海鬼怒)は順次カムラン湾出撃目的地向かった12月15日深夜から16日未明にかけて、船団部隊ボルネオ北部サラワク王国ミリ到着する上陸作戦成功し油田施設占領した。だが12月17日朝、ミリ攻略部隊度重なる空襲を受ける。同日午前中には、駆逐艦東雲(第12駆逐隊)がミリ沖合轟沈した。同日小沢中将馬來部隊指揮官)は第一掃海第1小隊第三号掃海艇第六号掃海艇)と野島丸を、東雲喪失した第二護衛隊編入した。また軽巡洋艦鬼怒も、護衛隊本隊栗田少将旗艦熊野)に編入された(鬼怒19日1045に熊野他と合同)。 12月18日以降ボルネオ島西部天候不良となり、ミリ飛行場整備遅延していた。日本陸軍側は「飛行場海軍基地航空部隊進出しない限りクチン攻略延期する」と申し入れた攻略部隊連日連合軍機の空襲を受け、神川丸水上機部隊奮戦切り抜ける12月20日1410、小沢中将クチン攻略3日延期決定した12月22日1500ミリ飛行場零式艦上戦闘機15陸上攻撃機9が進出クチン上陸作戦準備が整う。 12月22日1500第二護衛隊叢雲白雲掃海艇2隻)、陸軍輸送船香取丸日蘭丸、日吉丸)、海軍特設艦船北海丸、第三図南丸第二洋丸)、軽巡由良特設水上機母艦神川丸ミリ出撃した。洋上待機していた護衛隊本隊巡洋艦3隻〈熊野鈴谷鬼怒〉、駆逐艦2隻〈吹雪狭霧〉)も攻略船団近接船団斜前20附近航行した同日、伊号54潜水艦よりクチン方面に敵潜水艦行動中の情報があり、各隊対潜警戒厳重にする。12月23日朝より、攻略部隊連合軍飛行艇触接された。同日夕刻零戦が去ると再び連合軍飛行艇出現神川丸観測機がこれを撃墜している。前路掃蕩中の第6号駆潜艇や、哨戒中の伊五四潜からはクチン方面に敵潜水艦所在報告入った実際にオランダ海軍潜水艦3隻が泊地接近していた。2240以降オランダ潜水艦K XIVクチン泊地周辺日本軍輸送船団襲撃した輸送船香取丸歩兵第三十五旅団長川口清健少将乗船)、日吉丸北海丸、第三図南丸相次いで魚雷攻撃を受け、大破する(香取丸24日午前9時に沈没)。第七戦隊司令官栗田健男少将熊野)は、救援のため狭霧泊地派遣した一方小沢中将命令受けて第七戦隊第2小隊三隈最上)、第11駆逐隊第1小隊初雪白雪)、給油艦襟裳は、第七戦隊第1小隊熊野鈴谷)に合流するため急行していた。 クチン攻略部隊12月24日午前3時頃より上陸作戦開始、これは予定より三日遅れであった連合軍機による空襲を受けるが、クチン占領順調に進んだ狭霧同日午前8時30分クチン泊地到着損傷船の救助作業従事した救助活動一段落すると、駆逐艦3隻(叢雲狭霧白雲)は泊地周辺警戒任務従事した同日20時45分クチンから約35マイル沖を航行中狭霧は、オランダ海軍潜水艦のK XVIから雷撃された。魚雷狭霧右舷後部命中爆雷誘爆による火災弾薬庫及び搭載魚雷引火、大爆発引き起こし狭霧被雷後約15分間で沈没した第三号掃海艇僚艦短艇救助おこない叢雲周辺海域制圧(2115に魚雷2本を回避爆雷攻撃により敵潜撃沈確実を報告)、白雲護衛および救助実施した12月28日時点において、狭霧生存者駆逐艦長以下119名、戦死者121名と報告されている。 狭霧沈没報告受けた栗田少将第七戦隊司令官)は、第七戦隊護衛中の第11駆逐隊より2隻(吹雪初雪)を現場急派する12月25日午前8時、11駆2隻(吹雪初雪)は現場到着狭霧生存者吹雪移乗した。その後小沢中将命令により、3隻(熊野鈴谷吹雪)はカムラン湾帰投した。 1942年昭和17年1月15日日本海軍前年度中に喪失した駆逐艦4隻(東雲狭霧如月疾風)および潜水艦掃海艇除籍する本艦吹雪型駆逐艦第20駆逐隊帝国駆逐艦籍のそれぞれから除籍された。同日附で岡幸七中佐狭霧駆逐艦長職務解かれ第十港務部員となる。他の狭霧幹部達も職務解かれた(水雷長諸石高大尉航海長小泉申平中尉砲術長田中健一中尉、乗組河原崎少尉後日駆逐艦秋月沈没時水長〉)。 3月10日解隊された第12駆逐隊から吹雪型8番艦白雲編入され第20駆逐隊定数4隻(天霧朝霧夕霧白雲)を回復した狭霧乗組員一部藤永田造船所建造中の夕雲型駆逐艦2番艦「巻雲」(艤装員長/駆逐艦長藤田勇中佐)に配属され3月14日の同艦竣工迎えた(諸石高大尉巻雲水雷長、田中健一中尉巻雲砲術長)。狭霧沈没時の艦長だった中佐9月10日附で駆逐艦大潮艦長任命され続いて第4駆逐隊所属駆逐艦艦長転任ベラ湾夜戦における嵐沈没時に戦死した

※この「ボルネオ島攻略作戦」の解説は、「狭霧 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「ボルネオ島攻略作戦」を含む「狭霧 (駆逐艦)」の記事については、「狭霧 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

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