ボルネオ開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:01 UTC 版)
1910年(明治43年)、神戸製鋼所専務取締役の依岡省輔(省三の実弟)の紹介で鈴木商店の金子直吉と相会し後援を得る。ビンタン島では首長と会見し精密な調査を行い、また、ボルネオ島ではサラワク王国政府を訪れ、1700エーカーの土地租借と開発の許可を得、ゴム園経営に着手した。 その後一時帰国の途でマラリアを発症し、翌1911年(明治44年)逝去。弟省輔が省三の遺志を継承してゴムプランテーションを業とする日沙商会を経営した。 1936年(昭和11年)4月10日、「故依岡省三氏二十五年祭」が執り行われる。現在は、依岡省三を祀った依岡神社がクチン郊外に残る。
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