第二次マレー上陸作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:14 UTC 版)
12月12日午後7時、カムラン湾から輸送船「智利丸」「錦隆丸」が出撃しシンゴラへ先行したのに始まり、英領ボルネオ攻略部隊、マレー上陸部隊などが続き、13日午後12時20分、最後に小沢中将が「鳥海」「鬼怒」を率いて出撃した。マレー上陸のために分離した輸送船は途中敵襲を受けることなく、16日午前4時45分コタバル、午前10時シンゴラ、午前11時パタニ、午後11時ナコン、17日午前6時バンドンの各泊地で揚陸を開始した。 この作戦は英軍の戦艦2隻を撃沈した後だったので水上部隊に反撃される公算は低く、陸軍第三飛行集団の作戦成果により航空部隊の反撃を受けることも全くなく終了した。唯一潜水艦が脅威であり、すでに揚陸を終えたものを中心に輸送船が数隻撃沈されたが、日本もオランダ潜水艦「O20」を撃沈した。
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