フロイトの説
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オリジナルの「抑圧された記憶」の概念を提唱したのはジークムント・フロイトである。彼によるとこの記憶は性的虐待の記憶の耐えられない苦痛から発生し、その記憶は無意識の領域に封印され、それが意識に影響を与え続けるのだという。 フロイトは1896年に『ヒステリーの病因について』を発表し、ヒステリー患者の女性は幼児期の性的虐待が独: Trauma(トラウマ→心的外傷)となり精神疾患を引き起こすとする「誘惑理論」を公表した。彼は女性12人、男性6人の患者を診察し、一人の例外もなく幼児期に性的虐待を受けていた事実を突き止めていた。ところが、この1年後、前説が変わり、性的虐待の事実は無く幼児性欲による幻想であると唱えた。ただし、同時にそれらの外傷的な記憶は心の真実として意味を持つとしたため、決していい加減に扱っていいと唱えたのではない。 なお、転換後のフロイト自身の説は前期と後期とで大きく違っている。前期においてはLibido(リビドー)を一種の生命力と捉え、それを抑圧することが病理を引き起こすというものであった。この段階でフロイトは初めの「誘惑理論」の説を変化させ、「エディプスコンプレックス」の概念を提唱した。 フロイトは問題の説の転換のさらに後にその説を再び変化させ、内在化された社会的な禁令(タブー)に目を向けだす。1923年、フロイトは『自我とエス』を発表。深層心理の考えに基づいたそれまでの独: Bewusstsein(「意識」)、独: Vorbewusste(「前意識」)、独: Das Unbewusste(「無意識」)から変化し、新たなる独: Über Ich(「超自我」)、独: Ich(「自我」)、独: Es(「エス」)の局所論的観点を唱える。 それによると、社会的禁令が内面化されたものが「超自我」と呼ばれるものであり、人間が欲動に駆られた際に、それと反発する超自我との葛藤が起こり、これにより精神が不安定になるのだという。つまり、リビドーの抑圧が精神の不安を引き起こすのではなく、精神の不安こそが抑圧を引き起こすと自らの説を訂正したのである。フロイトは元々抑圧の概念を防衛そのものとして扱っていたのだが、1926年にフロイトが発表した『制止、症状、不安』においては、もはや抑圧は数ある防衛機制のうちの一つに過ぎない存在として扱われている。 また、一方で彼は「対象リビドー」(性欲動)と「自我リビドー」(自己保存欲動、自我欲動)の当初の二元論を変化させ、独: Lebenstrieb(生の欲動 アメリカでの訳エロス )と独: Todestrieb(死の欲動 アメリカでの訳タナトス )という概念も提唱した。1920年フロイトは『快感原則の彼岸』を発表し、この新たなる二元論を表明した。この概念は後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)と呼ばれることになる外傷神経症の患者の悪夢の研究で考え出されたものであった。この新たな二元論は、生命は非生命から生まれたものであるため最終的には回帰点として死を本能的に欲求しているという考えから来た理論であり、戦争体験といった外傷性の悪夢にはタナトスの概念が働いていて、何度も何度も反復強迫的に過去の体験についての悪夢を見続けることは自身の目的として死を目指すその欲動が働いている結果なのだという。フロイトは、『夢判断』の時点では夢は欲望を充足するものだという考えを表明していたが、外傷性の悪夢においては当てはまらないため、無意識が反復を求めているだけと解釈し、自らの「快感原則」及び「現実原則」の概念から逸脱したこの原則をバーバラ・ロウの概念を借用して涅槃原則(ニルヴァーナ原則)と呼んだ。
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フロイトの説
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「死の欲動」概念を展開する前のフロイトは、「愛する者の死を願う」といった両価的感情を伴う殺害願望から自殺を説明しようとした。つまり「攻撃性(Aggression)」の内向という解釈であるが、この時点では説自体は「生の欲動」の従属的位置にとどまる。一方彼の「破壊性(Destruction)」という言葉も混乱を招きやすかった。 「死の欲動」以前の攻撃性の説明はとても複雑である。例えば1905年に発表された『性理論三篇』においてはリビドーには本質的にサディズム・マゾヒズム的な性質が付随しているといわれた。また『精神分析学入門』時代においては、フロイトは無意識と意識の対立という構造で考えていたので、人間の本質的エネルギーであるリビドー(性欲動)に対抗するものとして、自我保存欲動を想定していた。この自我保存欲動は、外界の危険や不快な状態から避けるためにリビドーに対抗する場合がある。その場合に支配感情や攻撃性が露にされたりすると考えられていた。 また精神分析の臨床においても、「死の欲動」のようなものは陰性治癒反応(分析に反抗して医師に抵抗したり症状をむしろ悪化させること)から想定されたが、それがいったい何によって引き起こされているのは謎であった。 このような精神分析の状況の中で、フロイトが最初に「死の欲動」という語を用いたのは1920年に著した『快楽原則の彼岸』である。彼は人間の精神生活にある無意識的な自己破壊的・自己処罰的傾向に注目した。この時期に彼の考え方は「快楽が生」から「死の欲動との闘いが生」へと大きく転換したとされる。彼は神経症における強迫観念、第一次世界大戦帰還兵の心的外傷のフラッシュバック現象、少女の「いる・いない」遊び観察で見られた不快なはずの母の不在の反復などから、従来の持論であった快感原則からは説明できない心理を見出した。死の欲動理論はそれ以後のフロイト理論を改定する大きなきっかけとなっていく。 以下、『死の欲動―臨床人間学ノート』112〜114項から、フロイトにおける「死の欲動」の要約を抜き出す。 自我が抵抗しがたい衝動である。 衝動の存在に通常自我は気付きにくく、無言の内に支配される。快楽原則に従わず反復そのものを目的とし、エネルギーが尽きるまで繰り返される。それは強大なエネルギーで日常的なものではなく、自我はその前に無力である。 最も蒼古的(原初的)な欲動である。 死の欲動は個体発生上、最も古い欲動とされた。退行の究極点であり生命発生以前の原初への回帰を目的とする。それは生死や存在非存在の区別もなく明示的言語で表現するのは困難なので「死」というメタファーでフロイトは命名した。ただし人間の「死」のイメージとは関係なく非生命に向かうという意味でしかない。欲動はこの地点から巨大な破壊エネルギーを手に入れる。 「悪魔的」な生命の破壊衝動である。 自己と他者の区別無く反復強迫的に無意味に生命破壊を目指す。また「生の欲動」に先立つ。フロイトは死の欲動をエロスによって容易に懐柔されることはないと考えた。憎しみのような攻撃的衝動はエロスの一属性としても理解し得るが、愛と憎しみを超えたところに破壊衝動を想定した。 死の欲動はフロイトの『快感原則の彼岸』や『自我やエス』から見ると、一般的にはリビドーとの混合で対象に備給されると書かれている。しかしその死の欲動が多くなると、サディズムやマゾヒズムのような形態として現れることもある。また死の欲動は肉体の筋肉活動を通じて発散されることもある。それが身体の怒りの発作として確認される。 精神分析の臨床では死の欲動を確認する術は少ないとフロイト自身言っている。事実この概念を想定するのはマゾヒズムやサディズムの発生機序や、陰性治癒反応、それに外傷神経症という夢の願望充足の例外を捉えるためである。しかしこの概念は超自我の破壊性を説明するものとして考えられており(エディプスコンプレックスを通して父親からの去勢不安や父親自身への子供の怒りが超自我という分裂した自我に引き継がれて、死の欲動は子供の中心的な自我から分裂して存在するという理論)、それ故にフロイトにおいては重要なものとして後年まで考えられた。
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