シンセサイザー音楽作家としての活動とは? わかりやすく解説

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シンセサイザー音楽作家としての活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:10 UTC 版)

冨田勲」の記事における「シンセサイザー音楽作家としての活動」の解説

シンセサイザー用いた習作として、TBSブリタニカ発行世界子供百科付録2枚組ピクチャーLPアルバム音楽ってたのしいな』(1972年)の中で発表した銀河鉄道の夜」が上げられる。「銀河鉄道の夜」はシンセサイザー入手してから3か月製作されたものであるという。1972年MOOG III使用した『スイッチト・オン・ヒット&ロック』がCBSソニーからSQ-4方式4chステレオ作品として既に出ていた。 シンセサイザー導入から1年4か月費やしシンセサイザー音楽作品として『月の光』のマスターテープ制作当時このアルバム日本の各レコード会社持ち込んだところ、「クラシックでもポピュラーミュージックでもなく、レコード店に置く場所がない」などの営業的な理由ですべて断られとされるそののち当時日本RCA東京出張所長(後にワーナーパイオニアレコードの社長山本徳源頼んで米国RCAニューヨーク本社テレックス打ってもらったところ、直ちに「会おう」という回答を貰った。ハンス・ウールマンによるシンセサイザー音楽作品革命エチュード』などをリリースした経験があったRCAレコード持ち込みレコード発売契約締結成功1974年4月アルバム Snowflakes Are Dancingアメリカで発売大好評得て1975年1月18日付けビルボード全米クラシカル・チャートで第2位ランキングされた。日本ではジャケット替え、『月の光』のタイトル1974年8月25日発売された。 1975年3月開催第17回グラミー賞日本人として初めノミネートされた。NHKなど国内マスコミ報じ米国RCAレーベルレコードが、『月の光 - ドビッシーによるメルヘン世界』として日本逆輸入されるなど、作品知られるようになった。NARM(National Association Of Record Merchandiserers 全米レコード販売者協会)の1974年最優秀クラシカル・レコードに選ばれた。 1975年2月発表の『展覧会の絵』 は、1975年8月16日付けのビルボード・キャッシュボックスの全米クラシックチャートの第1位を獲得し1975年NARM同部門最優秀レコード2年連続受賞1975年日本レコード大賞企画賞を受賞した同年9月発表『火の鳥』1976年3月20日付けビルボード全米クラシックチャート第5位を記録した1976年12月20日発表の『惑星』 も1978年2月19日付けビルボード全米クラシック部門で第1位にランキングされた。『バミューダ・トライアングル』では発売翌年グラミー賞で “Best Engineered Recording” に2回目ノミネート受けた1983年アルバム大峡谷』では3回目グラミー賞ノミネート受けた以降『バッハ・ファンタジー』(1996年)まで、冨田アルバムはいずれ世界的なヒット記録している。 1979年に米コンテンポラリー・キーボード誌の読者投票により “ベスト・スタジオ・シンセシスト” に選ばれた。冨田シンセサイザー作品群は、全ての音色作りはもちろん、全パート演奏録音編集までを含めて冨田自身一人の手による制作であり、現在のパーソナルスタジオによる音楽制作先駆けであったといえる。 ここで教えを受けながら助手として働いた松武秀樹は、後にイエロー・マジック・オーケストラのシンセサイザー・マニピュレーターとして役割就いた海外ではスティービー・ワンダーが、来日した際に最も尊敬している音楽家として冨田の名前を挙げている。後に長良川サウンドクラウド登場している。マイケル・ジャクソンも、1987年9月24日来日の際に冨田スタジオ訪問した。『惑星』の立体音響深く感銘したフランシス・フォード・コッポラ監督は、映画地獄の黙示録』の音楽冨田要請したが、レコード会社との専属契約の関係で実現には至らなかったとされる1979年日本武道館でピラミッド・サウンドによる立体音響ライブ「エレクトロ・オペラ in 武道館」を小松左京プロデュース開催した1980年ジャパンレコード社長に就任したが、アーティストとしてRVC所属のままであったその後徳間ジャパンからの作品リリースはなかった。 1984年オーストリアリンツドナウ川両岸地上川面上空一帯使って立体音響構成し、8万人聴衆を音宇宙包み込む壮大な野外イベント「トミタ・サウンドクラウド(音の)」と銘打ったコンサートを催す。以後サウンドクラウド世界各地公演してきた。ドナウ川では「宇宙讃歌」、続いて1986年ニューヨークハドソン川では「地球讃歌」、1988年日本長良川では「人間讃歌」を成功させ、共感するミュージシャンと共に音楽通じた世界平和訴え続けてきた。1990年から1992年まで3回にわたりBunkamuraオーチャード・ホール東京都渋谷区道玄坂)で「トミタ・サウンドクラウド・オペラ “ヘンゼルとグレーテル”」を上演1998年日本の伝統楽器西洋オーケストラシンセサイザーによる『源氏物語幻想交響絵巻』を作曲東京ロサンゼルスロンドン初演、自ら指揮棒振った1999年、メディア・アーティスト協会創設参加した2001年東映50周年記念作品映画千年の恋 ひかる源氏物語』の音楽作曲し日本アカデミー優秀音楽賞受賞また、東京ディズニーシー・アクアスフィアのための3面立体音響シンフォニー手掛ける2002年作曲活動50周年シンセサイザーでの音楽制作30周年節目の年を迎えた2005年3月開催愛・地球博愛知万博)の公式催事である前夜祭セレモニープロデュースした

※この「シンセサイザー音楽作家としての活動」の解説は、「冨田勲」の解説の一部です。
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