ザウバー時代
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「シャルル・ルクレール (レーシングドライバー)」の記事における「ザウバー時代」の解説
2017年は、ザウバーのリザーブドライバーに就任し、計4戦においてFP1に出走した。 2018年は、チームは31年ぶりにF1復帰のアルファロメオをタイトルスポンサーとして迎え、フェラーリとのパートナーシップを強化した「アルファロメオ・ザウバーF1チーム」へ改名すると同時にルクレールの起用を発表。これにより、1994年のオリビエ・ベレッタ以来、24年ぶりの生まれながらのモナコ人F1ドライバーとなる。また、GP2時代から通算すると、2010年にチャンピオンを獲得し翌年にウィリアムズからデビューしたパストール・マルドナド以来7年ぶりに直下カテゴリーから直接のフル参戦デビューが決まった。カーナンバーは「16」を選択した。 序盤はチームメイトのマーカス・エリクソンに対して苦戦が続いたが、第4戦アゼルバイジャンGPで初のQ2進出を果たすと、波乱のレースをかいくぐり6位入賞を果たした。その後、第8戦フランスGPでは初めて予選Q3進出の8番手を獲得し、決勝では10位入賞を記録した。その後も入賞を重ね、最終的に39ポイントのドライバーズランキング13位に入った。さらに、ペナルティポイントを一切受けずにシーズンを終了するなど、ルーキーとは思えない走りを見せた。 シーズン半ばから将来性を考慮して早くもキミ・ライコネンの後任ドライバーとしてフェラーリに移籍するという情報が流れていたが、そのルクレールを推していた当時フェラーリCEOを務めていたセルジオ・マルキオンネが急逝した。フェラーリ首脳陣はライコネン続投を推していたため、来季のフェラーリ入りの可能性は消滅したかと思われたが、Auto Motor und Sportは「フェラーリはマルキオンネの遺志通りにルクレール抜擢」予定という内容をいち早く報道した。9月11日に翌年からのフェラーリ加入が発表され、ほぼ同時にザウバーがライコネンと契約を結んだことが発表され、事実上フェラーリとザウバーの間でのドライバートレードとなった。これによりフェラーリ・ドライバー・アカデミーのドライバーとして初、かつモナコ人初のフェラーリ正ドライバーとなる。フェラーリF1代表のマウリツィオ・アリバベーネは、ルクレールが「少なくとも2022年までは確かに」フェラーリに在籍すると語っており、長期の契約が存在することを示唆した。 この年のベルギーGPのスタート直後、ルクレールは多重クラッシュに巻き込まれたが、マシンのHaloが損傷を受けながらも無傷でマシンを降りた。2016年チャンピオンのニコ・ロズベルグは、この事故によってこの年から義務化されたHaloの効果が実証されたと述べた。FIAによる事故調査の最終報告書は、Haloが無かった場合アロンソ車のフロントウィング翼端板(エンドプレート)がルクレールのヘルメットのバイザー部分に直撃していたと結論付けた。
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ザウバー時代
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「ハインツ=ハラルド・フレンツェン」の記事における「ザウバー時代」の解説
1994年、ジュニアチーム時代の監督ペーター・ザウバーが興したザウバーからF1デビューを果たした。デビュー戦のブラジルグランプリでは、初体験となるセミオートマチックトランスミッションを使いこなし予選5位を獲得した。参戦2年目のチーム、初めてのサーキットでのデビュー戦で、アイルトン・セナ、シューマッハ、ジャン・アレジ、デイモン・ヒルに次ぐポジションは周囲を驚かせた。セナがサンマリノGPで事故死した後、その代役としてウィリアムズチームからオファーを受けたが、翌戦のモナコGPにてチームメイトのヴェンドリンガーが瀕死の重傷を負ったことから、せっかく自分をF1へステップアップさせてくれた恩義に背くわけにはいかないとして[要出典]、この時は断ることとなった。シーズン中4戦で入賞し、日本GPでは予選3位を獲得した。 1995年はメルセデスがエンジン供給をマクラーレンへ変更したため、ザウバーはフォードのワークスエンジン供給チームとなりゼテックR・V8エンジンを搭載したザウバー・C14をチームのエースとしてドライブし、17戦中8戦でポイントを獲得。イタリアGPでは3位でフィニッシュし、自身及びチームにF1初表彰台をもたらした。 ザウバー3年目となる1996年は、フォードエンジンがV8からV10エンジンになりパワーアップが期待されたが、同年のザウバー・C15は特別な速さは無く、入賞は計3回のみと低迷。逆にリタイア9回と前年より成績および完走率が下降してしまった。しかしザウバーでの走りを見ていたフランク・ウィリアムズから好評価され翌年に向けて移籍交渉、チャンピオンチームであるウィリアムズへの移籍が実現する。
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ザウバー時代
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1993年、スポーツカー世界選手権で活躍してきたザウバーのF1初参戦ドライバーに抜擢される(ベネトンとの契約が残っていたため移籍を断念したミハエル・シューマッハの実質上の代役)。開幕前のテストでは、四強の一角だったフェラーリ、ベネトンを上回るタイムを叩き出すなど、好調さをアピールしていた。迎えた開幕戦南アフリカGPでも予選6位を得ると、決勝レースでも5位入賞。この結果によりF1では新参チームであったザウバーは参戦1戦目にしてポイント獲得という快挙を成し遂げる。また第4戦サンマリノGPでも、4位に入賞している。しかし、この年のマシン「C12」は高い競争力を持っていたが信頼性に欠けており、チームメイトのカール・ヴェンドリンガー共々、予選で上位に付けるものの、決勝ではリタイヤとなる戦いが続いた。最終的にはヴェンドリンガーと同数の、シーズン半数を超える9度のリタイヤを喫している(入賞回数および獲得ポイントはヴェンドリンガーに敗れたものの予選順位は互角であった)。また、モナコGPで同士討ちをして以降、元々ゲルマン系のスタッフが大半だったチームはオーストリア人のヴェンドリンガーを優遇するようになり、居心地の悪さを感じたレートは移籍を決意した。
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ザウバー時代
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「カール・ヴェンドリンガー」の記事における「ザウバー時代」の解説
1993年 メルセデス・ジュニアチームを運営していたザウバーのF1参戦に伴い、ザウバーへの加入が決定。シーズンオフのテストではウィリアムズに次ぐタイムを記録して注目された。第3戦ヨーロッパGPと第4戦サンマリノGPで予選5位につけるなど、随所で速さを見せ、イタリアGPの4位を含めて計4度の入賞を果たした。しかし、一方でマシンは信頼性に問題を抱えており、リタイヤは序盤の5戦連続をはじめ9回を数えた。 1994年 ザウバーに残留し開幕戦ブラジルGPで6位入賞、第3戦サンマリノGPでも4位入賞と、順調なシーズンを送っていた。 しかし、第4戦モナコGPにおいてフリー走行中に大クラッシュを喫する。トンネル出口でスピンしたマシンは左向き真横の姿勢で滑りながらヌーベルシケインを直進し、その先のプラスチック製防護壁にコクピット側面から衝突した。この際、頭部を激しく打ちつけて昏睡状態に陥り、病院で生命維持装置を付けられた状態となった。直前のサンマリノGPにおいて、ローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナの12年ぶりとなる死亡事故が発生したばかりということもあり、F1界に大きな衝撃を与えた。 一時は「2度と意識が戻ることは無い」とまで言われたが、事故から25日後の6月5日になって意識が回復した。「今日は何日だ?」と尋ねられ日付を答えると、その日付は実際より1ヶ月もずれており、その後も時間の感覚のずれに悩まされたという。秋にはマシンに乗れる状態まで回復し、第15戦日本GPから復帰する予定だったが、テスト走行で首の痛みを訴えたため、シーズン中のカムバックは見送られた。 1995年 開幕戦ブラジルGPよりF1に復帰。ザウバーチームは、復帰可能か不明だったヴェンドリンガーの為に、シートを空けて待っていたという。 しかしシーズンが始まってみると、以前の速さは消えうせており、自身も「どうしてこんなに遅くなってしまったのか分からない」と発言するほどだった。第5戦モナコGP以降はジャン=クリストフ・ブイヨンにシートを譲り、終盤戦の第16戦日本GPから復帰を果たすものの、思うような結果を残せず、最後の出場となったオーストラリアGPは体調不良により途中棄権することになった。結局この年は6戦の参戦に止まり、翌1996年シーズンはシートを失った。
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