ザウバー・メルセデス誕生(1985年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「ザウバー・メルセデス誕生(1985年)」の解説
1985年、あくまで非公式なものではあるが、メルセデス・ベンツはザウバーにエンジンを供給するという形でトップレベルのスポーツカーレースに復帰した。この年の時点では、エントリー名は単に「ザウバー」とし、メルセデス・ベンツの名は車両にも刻まない形となった。 この年から1987年にかけての活動はダイムラー・ベンツとして正式に認めたものではなく、エンジンはダイムラー・ベンツが製造した量販車用エンジン(M117)をハイニ・マーダー(ドイツ語版)がレース用にチューニングしてザウバーに送っている、と、表向きには説明されていた。しかし、実際には、ハイニ・マーダーでチューンしたのは数基のみで、大部分はウンターテュルクハイムで用意したレース用エンジン(M117HL)がザウバーに直接送り届けられており、このことは当時から公然の秘密だった。 一方、あくまで非公式な活動であることから、ダイムラー・ベンツのエンジニアたちはザウバーに協力するにあたって、それまでの「リビングルームテーブルクラブ」と同様、余暇を充てるか、同社に休暇届を出して参加した。 C8の不発 C8は春も終わろうかという時期になってようやく完成し、6月のル・マン24時間レースに参戦すべく準備が整えられた。準備は順調とはいかず、ホッケンハイムリンクで行われたシェイクダウンで、スプリングが柔らかすぎたことと車高設定のミスからピッチングが発生して、車両前部を破損するというトラブルが発生した。ル・マンの直前に再びホッケンハイムでテスト走行が行われたが、今度はスプリングが固すぎて操縦困難となり、ル・マンには2台エントリーしていたところを1台のみ送り出すこととなる。 ル・マンでもC8の操縦性は最悪で、サルト・サーキットの6㎞に及ぶ「ユノディエール」ストレートでは強力なM117HLエンジンにより370 km/hを軽々と上回ったが、ダウンフォースの不足によりコーナーが致命的に遅く、ライバルのポルシェ・962Cや956Bなどが練習走行で3分20秒台のラップタイムを刻む中、C8は3分37秒を出すのがやっとという有様だった。挙句の果てに、練習走行でユノディエールを走行中、シェイクダウン走行時と同じようにピッチングを起こして車両前部が破壊され、ダウンフォースを失った車両前部が浮き上がって車両が宙を舞う事故を引き起こした。幸い、ドライバーのジョン・ニールセンは無事だったが、この事故により、ザウバーはこの年のル・マンを棄権した。
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