ザウバー・メルセデス誕生とは? わかりやすく解説

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ザウバー・メルセデス誕生(1985年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)

モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「ザウバー・メルセデス誕生(1985年)」の解説

1985年、あくまで非公式なものではあるが、メルセデス・ベンツザウバーエンジン供給するという形でトップレベルスポーツカーレース復帰したこの年時点では、エントリー名は単に「ザウバー」とし、メルセデス・ベンツの名は車両にも刻まないとなったこの年から1987年にかけての活動ダイムラー・ベンツとして正式に認めたものではなくエンジンダイムラー・ベンツ製造した量販車用エンジンM117)をハイニ・マーダー(ドイツ語版)がレース用にチューニングしてザウバー送っている、と、表向きには説明されていた。しかし、実際には、ハイニ・マーダーでチューンしたのは数基のみで、大部分はウンターテュルクハイムで用意したレース用エンジン(M117HL)がザウバー直接送り届けられており、このことは当時から公然の秘密だった。 一方、あくまで非公式な活動であることから、ダイムラー・ベンツエンジニアたちはザウバー協力するにあたってそれまでの「リビングルームテーブルクラブ」と同様、余暇充てるか、同社休暇届を出して参加したC8の不発 C8は春も終わろうかという時期になってようやく完成し6月ル・マン24時間レース参戦すべく準備整えられた。準備は順調とはいかず、ホッケンハイムリンク行われたシェイクダウンで、スプリング柔らかすぎたことと車高設定ミスからピッチング発生して車両前部破損するというトラブル発生したル・マン直前に再びホッケンハイムテスト走行が行われたが、今度スプリングが固すぎて操縦困難となり、ル・マンには2台エントリーしていたところを1台のみ送り出すこととなる。 ル・マンでもC8操縦性最悪で、サルト・サーキットの6に及ぶ「ユノディエール」ストレートでは強力なM117HLエンジンにより370 km/h軽々上回ったが、ダウンフォースの不足によりコーナー致命的に遅くライバルポルシェ・962Cや956Bなどが練習走行で3分20秒台のラップタイムを刻む中、C8は3分37秒を出すのがやっとという有様だった。挙句の果てに、練習走行でユノディエールを走行中、シェイクダウン走行時と同じようピッチング起こして車両前部破壊されダウンフォース失った車両前部浮き上がって車両宙を舞う事故引き起こした。幸い、ドライバージョン・ニールセン無事だったが、この事故により、ザウバーこの年ル・マン棄権した

※この「ザウバー・メルセデス誕生(1985年)」の解説は、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の解説の一部です。
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