ザウバー・メルセデスとは? わかりやすく解説

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ザウバー・メルセデス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 19:12 UTC 版)

レオ・レス」の記事における「ザウバー・メルセデス」の解説

メルセデス・ベンツエンジンを搭載するため、レスはC7を手直しする形で1985年車両としてザウバー・C8開発した同時にフルタイムデザイナーを必要としたペーター・ザウバーから誘われ1985年にはBMWからザウバー移り正式にチーム一員となった完成したC8トラブル悩まされ1985年のル・マン24時間レースでは練習走行宙を舞う事故起こしチーム棄権余儀なくされた。翌年改良施したC8世界スポーツプロトタイプカー選手権臨んだ初期トラブルこそ解消されたものの、ポルシェ・962C先進的なジャガー・XJR-6などのライバル比べて性能面大きく劣っており、その差は容易に縮められそうになかった。 そんな中同年8月ニュルブルクリンク1000km英語版)では、レースで他チーム棄権したことと、C8駆るマイク・サックウェル力走もあってザウバー・メルセデスは初勝利を手にした。これはメルセデス・ベンツとしてはサーキットレース世界選手権では1955年以来31年ぶりとなる重要な勝利となった1987年 - 1988年1987年投入したザウバー・C9トラブル多かったものの、速さの点では他チーム上位を争うことも可能となったそれまでザウバーへのエンジン供給ダイムラー・ベンツとしては非公式なのだったが、上位争い始めたザウバー活躍徐々にダイムラー・ベンツ中枢の関心引き付けるようになっていった。そうして、1988年1月同社取締役会モータースポーツへ復帰決定しザウバーへの関与同年からは正式なものとした。 ダイムラー・ベンツ資金人員面のバックアップ充実させた一方でレス中心とした開発体制そのものには干渉せずレスそれまで資金面断念していた改良C9に施すことも可能となった。この変化レース戦績にも大きな改善もたらし1988年の世界スポーツプロトタイプカー選手権では、ザウバー・メルセデスチームは全11戦中5勝を挙げ僅差ジャガー敗れたものの、タイトル獲得まであと一歩のところまで迫った1989年タイトル獲得ル・マン24時間レース優勝 1989年チーム銀色塗装されC9同年選手権挑み、全8戦中7勝する圧勝で、初の選手権タイトル獲得したこの年変更されたのは塗装だけではなくエンジンC8以来使っていたM117HL(英語版)から、より強力なM119HL(英語版)に換装し、これは1989年C9強力な武器となったレス選手権レース距離500km弱の短距離レース優位性があることは前年自信持っていたため、この年ル・マン用のローダウンフォース仕様開発重点的に取り組んだ。それもあってC9この年ル・マン24時間レース席巻し、1-2フィニッシュ制覇した1990年タイトル連覇1990年レスは、C9以前予算制約から断念していたカーボンモノコックなどの新機軸取り入れ、完全な新型車であるメルセデス・ベンツ・C11完成させた。同車は完全なワークス体制下で開発され車両で、空力面などについてダイムラー・ベンツからの知見協力得て開発された。C11擁したザウバー・メルセデスは前年遜色のない圧勝劇を繰り返しこの年の全9戦中8勝を収め、5回の1-2フィニッシュ遂げた1991年撤退 レス1991年向けてメルセデス・ベンツ・C291開発したが、バンク角180度のV型12気筒のM291エンジン採用したことで多くトラブル悩まされることとなり、チーム低迷したレス雪辱を期してC292の開発進めたが、ダイムラー・ベンツ経営上の事情により、1991年をもってメルセデス・ベンツスポーツカーレースから撤退した

※この「ザウバー・メルセデス」の解説は、「レオ・レス」の解説の一部です。
「ザウバー・メルセデス」を含む「レオ・レス」の記事については、「レオ・レス」の概要を参照ください。

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C11の再登場元々の計画では、スポーツカー世界選手権は、1991年から排気量3,500ccの自然吸気エンジンを搭載したグループC「新規定」の車両のみで争われるようになるはずだった。しかし、それだけでは参加台数を確保できないと判断したFISAは、前年までの旧規定の車両を「カテゴリーC2」車両として参加させることを認めた。「C2」の車両には、新規定車である「C1」の車両以上に活躍してしまわないよう、最低重量や燃料の使用量などでハンデが課されていたため、ザウバー・メルセデスは当初、選手権の「短距離」レースでC11を使用する予定はなかった。しかし、C291の開発が思ったように進まなかったために、序盤戦ではシュレッサーとマスが組んだベテラン組は万全を期して旧型のC11を使用し、ヴェンドリンガーとシューマッハの「Lチーム」は新型のC291を使用するという布陣になった。C291は選手権の500㎞弱で争われるレース用に開発されているため、ル・マン24時間レースの距離には対応しておらず、ザウバー・メルセデスはル・マンの決勝レースは3台のC11で戦った。これは当初から予定されていたもので、レオ・レスはル・マンのために1991年もC11の開発をC291と並行して行った。戦闘力は健在でル・マンの予選では最速タイムを記録したものの、カテゴリーC1規定の車両を優先する規則のため、決勝は11番手からスタートした。終盤までレースをリードしたものの、最後はエンジントラブルによりリタイアしている。撤退
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