WSPC・ル・マン24時間レース・ADACスーパーカップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:11 UTC 版)
「日産・R89C」の記事における「WSPC・ル・マン24時間レース・ADACスーパーカップ」の解説
R89CはWSPC第2戦ディジョンでデビューした。デビュー戦ながら予選6位の好位置を獲得。しかし決勝ではウインドスクリーンにクラックが入るトラブルが2度も起こり15位に終わった。 この年WSPCシリーズから外れたル・マン24時間にはNME、NISMO、エレクトラモーティブから1台ずつの3台がエントリー。予選12位からスタートした24号車(NME)は、2周目5位、3周目4位、4周目3位とレース開始とともに大きく順位を上げたが5周目のミュルサンヌでザウバー・メルセデスをかわそうとしてスピンしレースを終えた。日本人クルーの乗る23号車は予選19位から着実に走り、5時間目には4位にまで順位を上げていた。しかし深夜になってオーバーヒートでリタイヤした。エレクトラモーティブが走らせる25号車も予選15位から5位にまで順位を上げていた16時間目にエンジントラブルによってリタイヤした。 WSPC第3戦ハラマでは予選6位からスタート。決勝はタイヤの摩耗に苦しみ8位に終わった。 続くWSPC第4戦ブランズハッチからマシンをモデファイ。リヤに19インチタイヤを採用し、ブレーキディスクをカーボン化。またリヤタイヤのスパッツは撤去された。予選は4位。決勝では順調に順位を上げザウバー・メルセデス61号車に次ぐ2位につけていた19周目、ザウバーを抜こうとしてコースアウトしリタイヤ。 NMEは第4戦ブランズハッチの後、ドイツ国内スプリントレース・ADACスーパーカップ第4戦ディープホルツに出場。マーティン・ドネリーの手により優勝した。 WSPC第5戦はニュルブルクリンクで行われた。これまでスタートドライバーを担当していたジュリアン・ベイリーはル・マン、ブランズハッチでのミスによってその座をはく奪されアンドリュー・ギルバート=スコットがスタートドライバーを務めた。予選4位からスタートしたR89Cは18周目ザウバー・メルセデスを交わしてトップに立ち後続との差を広げた。しかし次第に燃費が苦しくなり、終盤にザウバーの2台とヨーストポルシェにかわされ4位に後退。その後ラストラップの最終コーナーで燃料切れによりリタイアした。 WSPC第6戦ドニントン。予選3位の好位置からスタートしたR89Cは決勝でも序盤の混戦を抜け出し独走、ザウバー・メルセデスの2台がこれを追う展開となる。ニュルブルクリンクの時のような燃費の不安もなく優勝の可能性もあったが、終盤ピット作業でペナルティを受け、さらに右リヤタイヤのスローパンクチャーにも見舞われペースを落としたが3位に入り本格参戦後初の表彰台を獲得した。 予選7位からスタートしたWSPC第7戦スパ・フランコルシャンではソフトタイヤでスタートした序盤はペースが上がらなかったが、ハードタイヤ交換後着実に順位を上げて3位に入り2戦連続表彰台を獲得した。 スパの後、再びADACの第5戦ニュルブルクリンクにジュリアン・ベイリーのドライブにより参戦し3位表彰台を得た。 WSPC最終戦メキシコではバンピーな路面に苦しみ予選8位。決勝では上位グループでレースを進めたが、残り2周になってエンジントラブルが起こり12位に終わった。 シリーズランキング5位は、1989年からフル参戦した4メーカー(日産・トヨタ・アストンマーティン・マツダ)の中では最高の成績である。 1990年のル・マン24時間レースにはフランスのクラージュがR89Cで出場し予選29位。決勝はトラブル続出の中22位で完走した。
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