レース用エンジン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 04:29 UTC 版)
「水平対向12気筒」の記事における「レース用エンジン」の解説
水平対向12気筒は主にF1や耐久レースの参加車両に用いられていたが、1970年代後半にシャーシ底面の地面効果によりダウンフォースを得る設計のウイングカー(グランド・エフェクトカー)が登場すると、シャーシ底面の多大なスペースを必要とし、地面効果の気流を妨げる水平対向12気筒は時代遅れと見なされるようになり、レースの世界からも姿を消していくようになった。 F1で水平対向12気筒が活躍したのは1960年代中盤で、フェラーリは1.5L規定の最後の時代である1964年から1965年に掛けて、フェラーリ・1512F1に水平対向(180°V型)12気筒を使用したが、1966年にF1の排気量が最大3Lに拡大されると新マシンのフェラーリ・312にはより古典的なV型12気筒を採用した。 ポルシェ・917 水平対向12気筒 グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード2009に出走したポルシェ・917のエンジン音 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 1969年にポルシェが耐久レースに投入したポルシェ・917は空冷水平対向12気筒を搭載していた。このエンジンはポルシェ・908で用いられた水平対向8気筒エンジンの発展型であるが、クランクシャフトは908エンジンの水平対向型ではなくV型12気筒と同じ形式のものが用いられた。 このエンジンとポルシェ・917は当時の耐久レースで大きく活躍し、後のフェラーリのF1エンジン開発にも影響を及ぼす事になった。当時、フェラーリが耐久レースに投入していたV型12気筒のフェラーリ・512は最後までポルシェ・917に苦戦を強いられ続けたからである。1970年、フェラーリはF1に水冷3L水平対向(180°V型)12気筒エンジンを搭載したフェラーリ・312Bを投入。1980年のフェラーリ・312T5まで約10年間、水平対向12気筒でF1世界選手権を戦い抜くことになった。 フェラーリの水冷3L水平対向12気筒は何度も選手権を制する成功作となり、後にアルファロメオも鬼才カルロ・キティ率いるアウトデルタの設計で1973年にグループ6にアルファ・ロメオ・ティーポ33/TT12を投入。1976年にはアルファ・ロメオ・33SC12を送り出し、このエンジンをブラバムに供給するかたちでF1復帰を果たすことになる。しかし、同時期の1972年に同じイタリアのテクノが投入した水平対向12気筒は全くの失敗作に終わり、テクノはわずか2年でF1から撤退することになった。フェラーリは後に4.4-5.0Lの排気量の水平対向(180度V型)12気筒を、フェラーリ・365GT4BBやフェラーリ・テスタロッサに搭載して市販した。 アウトデルタでアルファ・ロメオの水平対向12気筒エンジン開発に携わったカルロ・キティは、後にモトーリ・モデルニを設立。水平対向エンジンを自社のアイデンティティとしていたスバルをパトロンに迎え、1988年に3.5L水平対向12気筒DOHC60バルブエンジンのSUBARU-M.M.を共同開発。1990年のF1世界選手権にイタリアのコローニに供給するかたちでスバル・コローニとして正式参戦を果たすが、すでに参戦当時には他メーカーのエンジンに比べて性能不足の様相を呈しており、参戦した6戦全て予備予選落ちという悲惨な結果となってしまった。同年、このエンジンはグループCカー(アルバAR20)にも搭載され、世界スポーツプロトタイプカー耐久選手権(WSPC)に参戦したが、成績不振から5戦を走っただけでシーズン途中に姿を消した。SUBARU-M.M.は童夢が開発していた日本のスーパーカーのジオット・キャスピタに搭載され市販される計画もあったが、スバルのF1参戦計画があまりにも早期に頓挫したことでこの計画も幻のまま終わった。カルロ・キティは1994年に死去したが、死から5年が経った1999年、スウェーデンのスーパーカーメーカーであるケーニグセグが、キティが生前に残した4.0L水平対向12気筒エンジンの青図と工作機械、及びパテントをキティの遺族より買い取り、このエンジンを組み立てて自社のスーパーカーであるケーニグセグ・CCのスペシャルバージョン「B12S」に搭載した。これがキティが設計した水平対向12気筒が搭載された最後の車両となった。 1990年代前半、メルセデス・ベンツは自然吸気3.5Lに統一されるグループCレースに投入する目的でM291エンジンを開発、C291に搭載したが、このM291エンジンは非常に独特であり、3気筒分のシリンダーヘッドとシリンダーブロックが一体化された「モノブロック」を4つ組み合わせて水平対向(180°V型)12気筒とし、クランクシャフトの中間からギアで上方に出力を取り出すセンターアウトプット構造となっていた。シリンダーヘッドのデザインも通常の水平対向エンジンと異なり、エンジン上方に排気ポートを配置し、吸気ポートはヘッド内の2本のカムシャフトの間を通すトップフィードと呼ばれる特殊なものであった。これによりエンジン両側から吸気しエンジン上方に排気する事が可能となり、C291ではコクピットから後のボディ下面を平らで大きなディフューザーとし、ダウンフォースを稼ぐことと低重心化の両立を図ることができた。しかし、この極めて複雑な構造が災いして性能や耐久性が安定せず、公称12,500rpmで600馬力を発生するこのエンジンは「金曜は600馬力、土曜は500馬力、日曜は400馬力」などと揶揄されることとなった。後にいくどかの改良を行い問題の多くが解決に向かって、C291が1勝を上げることはできたが、その頃にはFIAとACOはレギュレーションの変更を行ったために、同エンジンを搭載する後継のC292がレースを走ることはなく、結局このエンジンは成功することなく終わってしまった。
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