コンストラクタ史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:05 UTC 版)
「ブルン・モータースポーツ」の記事における「コンストラクタ史」の解説
ウォルター・ブルンはブルン・モータースポーツを運営した期間はずっと車両を開発し続けたが、自らの名を冠したものは一つだけだった。ブルン・モータースポーツの設立時には、前身のGS-スポーツのザウバー・SHS C6を保有していた。ブルンはこの車両をC2クラスには有望と考え、フォード・コスワースのV8を搭載できるように改造した。この車両に発生した問題により、コスワースエンジンはザウバー時代に搭載されていたBMWターボに再度換装されたが、この車両でレースを続けることに困難を感じ、ブルンはポルシェ・956を購入することを選択した。 956と962での経験と成功を得たブルンは、大メーカーのジャガーやメルセデス・ベンツに追いつく試みを始めた。962の車体を改良するため、1987年に保有する車両のシャシー開発を開始した。ファクトリーチームも悩まされていた車体が捩れる問題を克服するため、ブルンはモノコックを自製し、それに通常の962の部品を取り付けた車両を作成した。このような車両は通算で8台が作成された。8台のうち、新しい車両を投入した際に置き換えられた古い車両の一部は、他のチームに売却された。 ブルンの最大のプロジェクトは、1992年からのレギュレーションを見越して製造した、1991年のC91のものだった。車両は新規に設計され、同様に1992年のレギュレーションを見越したプジョー・905、ジャガー・XJR-14、メルセデスベンツ・C291のような、大きな2枚エレメントのリアウィングと低いボディワークに背の高いコクピットデザインを採用した。新しいレギュレーションではポルシェのターボ付きの水平対向エンジンは禁止され、ブルンはF1で使用されるものと同様の規定を満たす自然吸気エンジンが必要になった。ブルンは、ユーロブルンチームがF1で使用していたジャッド製のエンジンを使用した。ただし、ユーロブルンのF1は古いCVエンジンを使用していたが、ブルンはC91にCVよりも設計の新しいEVエンジンを採用した。C91は1991年のシーズン中盤にデビューを果たしたが、このシーズン中はメカニカルトラブルに悩まされ続けた。ブルンは、C91のトラブルを解消する前に資金を使い果たした。
※この「コンストラクタ史」の解説は、「ブルン・モータースポーツ」の解説の一部です。
「コンストラクタ史」を含む「ブルン・モータースポーツ」の記事については、「ブルン・モータースポーツ」の概要を参照ください。
- コンストラクタ史のページへのリンク