コンストラクター「無限」を設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 01:52 UTC 版)
「本田博俊」の記事における「コンストラクター「無限」を設立」の解説
経営者を世襲制にしないという宗一郎の方針により、大学卒業後は本田技研工業に入社せず、1970年にはホンダ・S800のエンジンをベースにしたスポーツカー「神威(カムイ)」を製作した。しばらくヨーロッパを放浪して帰国の後、1973年に川本信彦らと株式会社『無限』を創設し、二輪モトクロス用マシンの開発や、4輪ホンダ系チームへのレーシングエンジン供給、ホンダ車用アフターパーツの開発販売などを行う。 1992年からはホンダF1撤退の後をついでF1に参戦し、フットワーク、ロータス、リジェ、ジョーダンへエンジン供給を行う。2000年までに通算4勝を記録したが、経営が悪化したことやホンダとの関係が冷却化したことなどを理由に撤退した。また、童夢と組んでF1参戦を計画し、テストカー童夢・F105を開発、カート時代より支援してきた中野信治のF1デビューをバックアップした。 2002年12月、無限の元監査役 広川則男が横領の疑いで東京地検に告発され、広川は本田の指示に基づいたものと主張した。2000年10月期までの3年間に約28億円の所得を隠し、約10億円を脱税したという法人税法違反により、2003年7月、本田は広川と法人としての無限と共に逮捕・起訴された。本田は「脱税の意図はなく広川被告に資産を横領された」と無罪を主張した。 2006年5月、一審さいたま地裁は本田と広川の共謀を認めず、広川に懲役3年、本田に無罪判決を下した。これを不服として検察は控訴した。 2007年9月、二審東京高裁は「(本田の財務知識からして、)不正な会計処理の詳細まで認識していたとは認められないが、広川による脱税計画の概要は理解し了承していた」として逆転有罪判決を下した。これを不服として本田は上告した。 2010年1月、最高裁第一小法廷(裁判長・横田尤孝)は、本田と法人としての無限、広川の上告をいずれも同月27日までに棄却、本田を懲役2年、無限を罰金2億4000万円、広川を懲役3年とした二審判決が確定した。2011年6月に収監された(詳細はM-TECを参照)。
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