カテガット海峡での喪失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/27 13:58 UTC 版)
「シール (グランパス級潜水艦)」の記事における「カテガット海峡での喪失」の解説
1年間の洋上任務を経て商船との接触により幾らかの損傷を受けたシールは、チャタム工廠の乾ドックへ戻る必要があったが、姉妹艦のHMS カチャロット(HMS Cachalot)が衝突による損傷により乾ドックでの大掛かりな修理を必要としていた。シールに対する修理の幾つかはノーサンバーランドのブライスで行われ、カチャロットの機雷敷設任務を引き継ぐように命じられた。シールは、デンマークとスウェーデンにあるカテガット海峡への機雷敷設作戦のDF-7作戦(Operation DF 7)に割り当てられたが、これはとりわけ危険な仕事であり、シール程の大型艦にとっては尚更そうであった。艦隊指揮官のベスオール(Bethall)大佐は、ホートン提督にこの命令の再考を説得することができなかった。 4月29日にシールは、50基の機雷を搭載してイミンガム(Immingham)を出港した。スカゲラク海峡に差し掛かったところで、6発の魚雷を6発命中させてドイツの防衛網を引っ掻き回してからちょうどその海域を離れようとするHMS ナールワル(HMS Narwhal)に邂逅した。5月4日の02:30時頃、浅瀬を定速で航行しつつ活動抑制を実施していたときにドイツ軍機ハインケル He 115に発見され、深度90フィートまで潜航したが爆弾により若干の損傷を受けた。後刻その日の朝にロンズデールは、ドイツ軍の対潜トローラー(anti-submarine trawler)が目標地点周辺でシールの捜索行っているのを発見し、第2目標地点への進路をとらざるを得なかった。09:00時頃シールは50基の機雷の敷設を開始し、この任務は約45分後に完了した。 シールは、進路を変更し帰港への途についたが、対潜トローラーが後を追ってきていた。ロンズデールは回避コースをとり、対潜トローラーが聴音のために停船しているときに探知用のアスディックを使用した。その後15:00時に別の方向から接近してくる哨戒中のドイツ軍対潜MTB 9隻を探知した。日没までにはまだだいぶ間があり、カテガット海峡は浅すぎてシール程の大型艦が深く潜り潜水航行することはできなかった。ロンズデールは回避のためにジグザグ・コースを航走し、18:00時頃に艦を海底に着床させた。乗組員は知らなかったが艦は海図に記されていない機雷原に迷い込んでいた。艦の潜舵(Hydroplane)の一つが機雷の係留索を引っ掛けていて、18:30頃には艦尾のほうに流されてきていたこの機雷は大規模な爆発を起こし、シールに甚大な損傷を与えた。 苦痛を感じるほどの気圧の上昇は、膨大な量の海水が艦に流入していることを示していた。乗組員の夕食は食堂中にぶちまけられ、この混沌とした状況は艦首側が約10度上方に傾いていることを示していた。全ての水密扉は素早く閉鎖され、最後尾区画に閉じ込められた2名が何とか司令区画にたどり着くと全乗組員の所在が確認された。驚くべきことにシールを追っていた敵艦は、この爆発に気付かず立ち去ってしまった。様々な点検と修理がなされた後、十分な暗闇が訪れる22:30時まで艦を浮上させるのを待たねばならなかった。 22:30時にバラストタンクが「ブロー」(排水)されると共に主モーターが始動されたが、艦尾は強固に海底に食い込んで離れなかった。艦首は急角度で屹立し、浮上の試みは諦めねばならなかった。この時点で艦内の空気は酷く汚濁していた。排水が実行され、艦尾のトリムタンクに空気を送り込むポンプを始動させるための緊急修理が行われた。2度目の浮上を試みるために重量11トンの落下キールが分離されたが、これは艦が2度と潜水できなくなることを意味していた。残りのタンクをブローするためにより高圧の圧縮空気が使用されたが、再び浮上の試みは不成功に終わった。二酸化炭素による空気汚濁は乗組員の状況を悪化させ、エンジンとメインバラストを使用した3度目の試みが求められた。これも再び艦を浮上させることに失敗した。 5日の01:10時に敬虔なキリスト教徒であるロンズデールは、祈りを捧げるために乗組員を呼び、主の祈りを唱和した。その後に乗組員は多くが衰弱し疲弊していたが、重心を傾けるためにできる限り艦の前方へ移動するようにという艦長の命令を実行に移した。デーヴィス脱出装置(the Davies escape gear)を使用するという案が出たが、この方法では脱出には数時間を要し、数名が脱出する間に艦全体に浸水が広がる危険があることが分かった。機関部員がサルベージ・ブローを開くことができることに気付き、艦を浮上させるための最後の試みが実行された。エンジンが点火されたが酸素不足のために停止してしまった。バッテリーはほぼ空で、圧縮空気は使い果たしていた。機関員が甲板昇降口へ上がる所に少量の空気を蓄えている1本の圧縮空気系統があることを思い出し、バルブまでたどり着くとそれを開いた。シールは上方に向かい動き始めた。 シールは01:30時に海面に浮上し、艦内圧力が開放されると新鮮な外気が酸素欠乏に苦しんでいた乗組員の頭痛を解消した。ロンズデールは、艦橋に這い上がると陸地を視認し、スウェーデン領海に向けて航行することを決めた。機密書類は海底に沈められ、アスディックも破壊されて破片は海へ投棄された。ロンズデールは海軍本部へ「ワレ、スウェーデン沿岸へムカフ。」と電文を送った。暗号表は破棄されたためロンズデールは、「了解、賛同ス。幸運ヲ祈ル。」と「アスディックヲ破壊シタ後ワ、貴官ノ最優先事項ワ乗組員ノ安全確保ナリ。」という2通の返信を受け取ることができなかった。もしこの電文を受け取ることができていれば、これ以降の意思決定に覆いかぶさるロンズデールの甚だしく多大な苦悩を和らげることができたであろう。横舵は損傷して艦を操舵することはできなかったが、後進することは可能であることが分かった。僅かながら前進はできたが、泥濘が潤滑系統に入り込み稼動していた1基のエンジンも停止してしまった。 02:30時にシールは、ドイツ軍の2機のアラド Ar 196機ともう1機のハインケル機に発見され、攻撃を受けた。攻撃を受けたときに艦橋にいたロンズデールは、ルイス軽機関銃でこれを撃退しようとしたが2丁とも装填不能になってしまった。潜水できないシールは、動力源を失い、数名の乗組員は負傷し、防御兵装も残されておらず、降伏する以外にとれる手段は無かった。食堂の白いテーブルクロスがマストに掲げられた。シュミット(Schmidt)少尉は操縦する水上機をシールに横付けすると艦長に自分の元に泳いで来るように求めた。35回目の誕生日の日にロンズデールは泳いで敵の水上機へ向かう破目になった。その後直ぐに曹長(Chief Petty Officer)が泳いでもう1機のアラド機へ向かった。乗組員は艦上で06:30時に到着する対潜トローラーUJ-128を待った。破孔して傾いた艦が自然に任せて沈むことが期待されたが、自沈させる試みも実行された。ドイツ側の拿捕部隊は乗組員を退艦させ、シールをフレゼリクスハウンへ曳航した。 シールにより設けられた機雷原は、5月5日から6月5日の間にドイツの貨物船1隻(Vogesen, 4,241 BRT)と3隻のスウェーデン籍船の合計トン数7,000 BRTにも及ぶ船舶を沈めた。
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