カティーサークとの対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 02:59 UTC 版)
「サーモピレー」の記事における「カティーサークとの対決」の解説
1872年には、カティーサークとの有名な紅茶輸送競争が展開された。1872年6月18日、両船は同時に上海を出港、貨物として紅茶を積載し一路ロンドンを目指した。どちらの船も、速達を優先し積み荷はやや減らしていた。 上海を発した直後、東シナ海はほとんど凪の状態であり、両船は船足の遅さに苦しみ、ほとんど付かず離れずの状態にあった。スンダ海峡を抜けるときには、サーモピレーがややリードしていたものの、その差はわずか2.4kmほどである。インド洋に入り、貿易風の影響を強く受けるようになると、カティーサークが一気にサーモピレーを引き離し、サーモピレーは8月14日には650kmちかく引き離されていた。ところが、この日、強風で舵を失ったカティーサークは、ケープタウンでの修理を余儀なくされる。これに対し、順調な航海を続けたサーモピレーは抜き返し、10月11日ロンドンに入港し、逆転勝利を収めることになる。カティーサークがロンドンへ入港したのは10月18日である。サーモピレーは115日、カティーサークは122日の航海であった。 もっとも、この競争でより高性能を発揮したのは、舵を失う難航にもかかわらず、7日遅れまで挽回したカティーサークであると評され、カティーサークとムーディー船長以下乗組員たちは、高く評価されることになった。サーモピレーにとっては、その最速船としての名誉にやや傷が付く結果になったという。そしてこの頃がティークリッパーの絶頂期だった。
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