カティリナ事件とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > カティリナ事件の意味・解説 

カティリナ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 16:32 UTC 版)

マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス」の記事における「カティリナ事件」の解説

元老院議員となったカト頑固な性格であり、元老院会議全て出席した上で会議の席で政敵批判した紀元前63年カト翌年護民官選出された。この年ローマ揺るがせていたルキウス・セルギウス・カティリナ一派による国家転覆陰謀発覚し元老院はカティリナへ「セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムム」を決議したカトはこれに対処していた執政官マルクス・トゥッリウス・キケロ支援する立場取りキケロローマにいたカティリナの共謀者たちを捕らえた元老院ガイウス・ユリウス・カエサルはカティリナの共謀者有罪であることには同意したが、死刑とすることには反対し、財産没収した上で一連の騒動鎮静するまで獄に繋ぐべきと論陣張った一方でカトはカティリナによる国家転覆陰謀鎮圧する為にプブリウス・コルネリウス・レントゥルス・スラらのカティリナの共謀者死刑にするように提案、カティリナに関るあらゆる人間告発しクィントゥス・ルタティウス・カトゥルスイタリア語版)らもカト提案賛意示した結局はキケロによる裁断で、カティリナの協力者対す死刑決定イタリア北部挙兵準備していたカティリナは反乱起こしたが、ローマ軍との戦いで敗死した。 カトにとって、生涯政敵となったカエサルとの関係はこのカティリナ事件から始まることとなったカトは、カエサルがカティリナ一派共謀して国家転覆企んでいたとしてカエサル激しく追及した元老院でのカエサルとカト議論が行われていた最中に、カエサルに対して一通文書届けられた。カトはその文書に関して追及しカエサルからその文章受取ったが、カト異父姉でカエピオの同父姉に当たるセルウィリアが、カエサル宛てたラブレターであった為、カト大いに恥をかき、以降カエサルとセルウィリアの間の醜聞議論移ってしまい、上記話題吹き飛んでしまったと伝わっている。なお、セルウィリアは後に離婚余儀なくされた。

※この「カティリナ事件」の解説は、「マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス」の解説の一部です。
「カティリナ事件」を含む「マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス」の記事については、「マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス」の概要を参照ください。


カティリナ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 16:20 UTC 版)

ガイウス・ユリウス・カエサル」の記事における「カティリナ事件」の解説

この年激動の年であった前年行われた執政官選挙では、あまり有力な候補者がおらず、ルキウス・セルギウス・カティリナガイウス・アントニウス・ヒュブリダ、そしてキケロ争いとなり、カティリナが落選した。カティリナとヒュブリダは、クラッススカエサル支援されていた。 年初始まった護民官によって提出され土地分配法審議では、キケロはこの法案狙いを、農地分配する十人委員会から戦場にいるポンペイウス排除するため、クラッススカエサルが裏で糸を引いていると読んで反対演説行い成立阻止した(『農地法について』)。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}少数人間があなたの財産狙っているとする。そのときまず何を考えだろうか。あなたを守る権力委員会、そして手段から、ポンペイウス排除するそのこと考えない人間がいるだろうかあなたがた軽率に、何も考えずにこの法案通した後になって欠陥に気が付きポンペイウス頼ったところで、後の祭りになることを望んでいるのだ。 —キケロ、『農地法について(De Lege Agraria)』2.25 カティリナはこの年執政官選挙にも立候補したが、再度落選しエトルリアでの反乱企てた。このことが明るみに出ると、この年執政官であったキケロ対し、「執政官国家に害が及ばぬよう対処せよ」と命じ元老院決議10月21日成立11月にはカティリナに対し国家の敵(ホスティス)」宣言が発せられる。ところがこのカティリナには中央にも共謀者がおり、その中には執政官経験者であるプブリウス・コルネリウス・レントゥルス・スラ含まれていた。12月3日謀反証拠掴んだキケロは5人の関係者逮捕元老院キケロ追い込まれた彼らは罪を認め12月5日元老院で対応が協議されることになった翌年予定執政官14人の執政官経験者極刑求める中、予定プラエトルであったカエサル陰謀加担した者の死刑反対する演説行いあくまでも終身投獄主張する立場をとる。クィントゥス・カトゥルス以外の多く議員カエサル意見賛同示し始めた中、マルクス・ポルキウス・カト小カト)は謀反には極刑をもって臨むべしと強く主張し結局陰謀者たちは執政官キケロによって処刑された。 あなた方冷静さ失っておられるではないか誰しも自分が害を受けた場合にはそれを大仰にとらえるものだ。しかし、大いなるインペリウムを預かる我らには、下々のような自儘許されるものではない。スッラ行なったプロスクリプティオ思い起こして欲しい。これが悪しき前例となって将来我らに牙を剥かない誰が言えるのか。 サッルスティウス『カティリーナの陰謀カエサル演説より要約 私は語りかけよう国家よりも自身資産財産大事に思われている方々に。目を覚ましたまえ。狙われているのは我らの自由と生命なのだ。これまであなた方怠惰であっても国家揺るがなかったのは、その偉大さゆえに他ならない。だが今、それが脅かされているというのに、寛容であれという人間がいる。最高神祇官たるカエサル殿は、悪人死後どのような扱いを受けるか信じておられぬ様子我ら弱腰な対応を見れば奴ら喜び勇んでここになだれ込んでくるだろう。あなた方自身のことだけを考え欲望カネ仕えるなら、空虚な国家痛撃加えられたとて、何の思議があろうか。 サッルスティウス『カティリーナの陰謀小カト演説より要約 サッルスティウスは『カティリーナの陰謀』の中で、この二人演説にほぼ1/6割いている。ノウス・ホモであったキケロ12月3日には「国家の父(パーテル・パトリアエ)」と呼ばれ軍事的勝利によらず感謝祭開催され最初の人となったカエサル方針決定後も更に妨害続けたが、キケロカト意見支持する一団打ち殺されそうになった為、すっかり腰が引けてしまい、その年は家に引篭もったという。 翌紀元前62年には陰謀さらなる追及のため委員会設置された。その中でキケロ陰謀何たる報告事前に受けていたという証言があったが、彼は容疑潔白証明し逆に自分告発した人物、そして委員会メンバー1人も獄につながれる事態となったその間プラエトルカエサル一貫して処罰連座制反対の立場貫いた。なお、カエサルクラッススと共に裏で陰謀画策していたとも伝えられた。。 また、カエサルがこの陰謀に関わっていたという会議中に、彼は手紙部下から受け取った。それを見たカトは、陰謀加担した証拠だと中身見せろ詰め寄ったカエサルは「これは大したものではない」と見せることを躊躇う様子見せたが、カト執拗に要求してきたので中身見せると、それは愛人セルウィリア(カト異父姉)からの恋文だったという。カトは「この女たらし!」と罵倒したが、それでカエサル追及できなくなり議場大爆笑となった。これでカエサルへの疑いはかき消されたという。

※この「カティリナ事件」の解説は、「ガイウス・ユリウス・カエサル」の解説の一部です。
「カティリナ事件」を含む「ガイウス・ユリウス・カエサル」の記事については、「ガイウス・ユリウス・カエサル」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「カティリナ事件」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カティリナ事件」の関連用語

カティリナ事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カティリナ事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのマルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス (改訂履歴)、ガイウス・ユリウス・カエサル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS