ディエゴ・マラドーナ 代表経歴

ディエゴ・マラドーナ

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代表経歴

マラドーナは、プロデビューから間もなくアルゼンチン代表に招集され1977年2月16日、ハンガリーとの親善試合に途中出場しフル代表の最年少出場記録を樹立した。翌年に地元開催された1978 FIFAワールドカップには最終候補の25人に残りながら、セサル・ルイス・メノッティ代表監督はマラドーナを「これから世界に飛躍する逸材をプレッシャーの懸かる重要な大会で潰す訳にはいかない」として最終的に大会登録22名のメンバーから外すことになった。マラドーナはこの落選を「人生に永遠に残る、決定的な、一番大きな失望だった」と語る[55]。1979年6月2日、スコットランドとの親善試合で代表初ゴールを決めた。

1979 FIFAワールドユース選手権

ワールドユースでのマラドーナ(1979年)

マラドーナは20歳以下代表チームのキャプテンとして、日本で開催された1979 FIFAワールドユース選手権に出場。6試合中5試合で6ゴールを決め、ワールドユース初優勝に貢献した。チームメイトのラモン・ディアスが8ゴールを挙げてゴールデンシューズ賞(得点王)となり、マラドーナはゴールデンボール賞(MVP)に選出された。圧倒的な攻撃力をみせたアルゼンチンユース代表について、マラドーナは「文句なしに、自分のキャリアの中で一番素晴らしいチームだった」[56]、「僕らは猛獣のようにプレーしていたけど、大いに楽しんでもいたんだ。一番大事なことだけど、ファンがとても喜んでくれた。(中略)いずれにしろ、あのチームのことは決して忘れない。素晴らしいチームだった」[57]

1982 FIFAワールドカップ

アルゼンチン代表は1978年大会優勝メンバーにマラドーナ、ディアスらユース世代を加え、1982 FIFAワールドカップに出場した。21歳のマラドーナは10番を付けて出場し、第1ラウンド2戦目のハンガリー戦でワールドカップ初ゴールを含む2得点を挙げた[58]

第2ラウンド初戦イタリア戦では、「殺し屋」ことクラウディオ・ジェンティーレに徹底的にマークされた[58]。続くブラジル戦では味方選手がファウルを受けた際、マラドーナはバチスタの下腹部を蹴り、報復行為でレッドカードを受けた[59]。マラドーナはブラジルの「黄金の中盤」のパス回しに翻弄されており、本当はパウロ・ロベルト・ファルカンに対して怒っていたと述べている[60]。チームは1-3で敗れ、大会を去ることになった。

1986 FIFAワールドカップ

1985年5月に約3年ぶりに代表に復帰。カルロス・ビラルド代表監督はマラドーナをキャプテンに指名し[61]、その個人能力を活かすチーム作りを行った[62]。しかし、マラドーナは右膝に負傷を抱え、チームの成績も芳しいものではなく当時のチームはメディアから「史上最弱」と酷評されていたが[63]1986 FIFAワールドカップが始まると一転して華々しい活躍を見せた。グループリーグ初戦の韓国戦では、チームの3ゴールすべてをアシストした。イタリア戦ではボレーで同点ゴールを決め、ブルガリア戦でも1アシストを記録した[64]

準々決勝、イングランド戦での「神の手」ゴール。

準々決勝のイングランド戦試合前には、3年前のフォークランド紛争(マルビナス戦争)の因縁もあって両国メディアの舌戦が続いたが、その試合はいわゆる「神の手」ゴールと「5人抜き」ドリブルを記録した試合として知られている。後半6分、ペナルティエリアに走りこんだマラドーナと浮き玉を処理しようとしたイングランドのGKピーター・シルトンと交錯したが、マラドーナは空中のボールを素早く左手ではたき、ボールはそのままゴールインした。シルトンをはじめイングランドの選手はマラドーナのハンドを主張したが、審判はマラドーナの得点を認めた。その4分後には、センターライン付近でパスを受けると単独で60m近くドリブルし、5人を抜いて無人のゴールにボールを蹴りこんだ[65][66]。前者の得点については「本当は手で触れたのだが、神の思し召しにより許された」という趣旨の発言をしたことから「神の手」ゴールという呼称が広まった[67]。2007年には後者の得点がイギリスのワールドサッカー誌によって史上最優秀得点に選ばれた[68]

優勝トロフィーを掲げるマラドーナ(1986年)

マラドーナは準決勝のベルギー戦でも2得点を挙げ、決勝の西ドイツ戦ではローター・マテウスのマークにあいながらも、ホルヘ・ブルチャガに絶妙なラストパスを供給し決勝点をアシストした。マラドーナは大会中チームの総シュート数のうち約半分を放ち、全14得点のうち5得点5アシストを記録[69][70]。アルゼンチンを2度目のワールドカップ優勝に導いた事から大会最優秀選手に選ばれ、同大会は「マラドーナのための大会」と呼ばれ、「たった一人の力で自国を優勝に導いたのは(1962年大会の)ガリンシャ(ブラジル)と1986年大会のディエゴ・マラドーナだけだ」と評する者も存在する[71]

1990 FIFAワールドカップ

マラドーナは、本大会では不調といわれながらもグループリーグ全試合に出場し、ソ連戦では自陣ペナルティエリア内で手を使ってシュートを防ぐ2度目の「神の手」を見せた。決勝トーナメント1回戦のブラジル戦では、ドリブルで相手4人を引きつけながら右足でクラウディオ・カニーヒアへ絶妙のパスを送り、決勝ゴールをお膳立てした。

準決勝は、所属クラブの本拠地ナポリで開催国イタリアと対戦した。試合前にイタリアファンを煽るような発言をしたことや、PK戦で最後に蹴って勝利を決めたのがマラドーナであったことから、イタリア国民やSSCナポリファンとの関係が悪化した。決勝の西ドイツ戦ではアルゼンチンの国歌吹奏に場内から大ブーイングが浴びせられ、マラドーナはカメラに向かって「イホス・デ・プータ(英語の『サノバビッチ』に相当する侮蔑語)」と吐き捨てた[44][72]。試合ではギド・ブッフバルトにほぼ完全に抑えられた[73]。敗戦後は人目をはばからず号泣し、イングランド代表のポール・ガスコインが準決勝で流した涙とともに人々に記憶されている[74]

1994 FIFAワールドカップ

薬物使用によるブランクを経て、1993年2月に代表復帰。アルフィオ・バシーレ代表監督はマラドーナ抜きのチーム編成を進めていたが、南米予選コロンビア戦で完敗したため、オーストラリアとの大陸間プレーオフでレギュラー復帰が実現した。

1994 FIFAワールドカップでは再びキャプテンに就任し、カニーヒアやガブリエル・バティストゥータと強力な攻撃陣を組んだ。1次リーグ緒戦のギリシャ戦では豪快なミドルシュートでワールドカップ通算8ゴール目を決め、ナイジェリア戦でも好調なプレーを見せた。だが、試合後のドーピング検査でマラドーナは尿から使用禁止薬物が検出され、大会からの即時追放と15か月の出場停止処分を受けた(#薬物と健康問題の節を参照されたい。)。このニュースは世界中に衝撃を与え、選手としての華々しい代表経歴を閉じることになった。


注釈

  1. ^ この時現役時代以来25年ぶりにカンプ・ノウを訪れ、FCバルセロナのジョゼップ・グアルディオラ監督と歓談した。
  2. ^ 結局、カストロは参列しなかった。
  3. ^ 1986年からはエル・パイス紙による選考も行われ、そちらが公式の選考扱いになっている。
  4. ^ ファン投票による結果。
  5. ^ 1986 FIFAワールドカップのイングランド戦で決めた2点目が選ばれた。

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