クラウディオ・ジェンティーレ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/23 22:50 UTC 版)
|
|||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]()
1975年のジェンティーレ
|
|||||||||||
名前 | |||||||||||
愛称 | 鮫 | ||||||||||
ラテン文字 | Claudio Gentile | ||||||||||
基本情報 | |||||||||||
国籍 | ![]() |
||||||||||
生年月日 | 1953年9月27日(69歳) | ||||||||||
出身地 | ![]() |
||||||||||
身長 | 182cm | ||||||||||
体重 | 76kg | ||||||||||
選手情報 | |||||||||||
ポジション | DF/MF | ||||||||||
利き足 | 右足 | ||||||||||
クラブ1 | |||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||||||||
1971-1972 | ![]() |
34 | (4) | ||||||||
1972-1973 | ![]() |
34 | (1) | ||||||||
1973-1984 | ![]() |
283 | (9) | ||||||||
1984-1987 | ![]() |
70 | (0) | ||||||||
1987-1988 | ![]() |
20 | (0) | ||||||||
代表歴 | |||||||||||
1975-1984[1] | ![]() |
71 | (1) | ||||||||
監督歴 | |||||||||||
2000-2006 | ![]() |
||||||||||
2014 | ![]() |
||||||||||
|
|||||||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クラウディオ・ジェンティーレ(Claudio Gentile, 1953年9月27日 - )は、リビア・トリポリ出身の元イタリア代表サッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
人物
執拗なまでのマンマークを武器に「エースキラー」の異名を取ったユヴェントスFC黄金期の中心選手。また、1982 FIFAワールドカップではジーコ(ブラジル)、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)といった選手たちを抑え込み、イタリア代表の優勝に貢献した。決勝の西ドイツ戦では、パオロ・ロッシの先制ゴールをアシストした[2]。
2000年から2006年までイタリアU-21代表監督を務め、アントニオ・カッサーノやアルベルト・ジラルディーノら若手選手の育成に尽力した。
出典
- ^ “Claudio Gentile - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “COPPA DEL MONDO 1982 Italia vs Germania”. Transfermarkt. 2023年8月15日閲覧。
外部リンク
- クラウディオ・ジェンティーレ – FIFA主催大会成績 (英語)
- Gentile: We knew we would win - FIFA.com (英語)
|
---|
固有名詞の分類
イタリアのサッカー選手 |
ワルテル・ゼンガ ジャンパオロ・パッツィーニ クラウディオ・ジェンティーレ マッテオ・ルビン フランチェスコ・ルナルディーニ |
イタリアのサッカー指導者 |
ダヴィデ・バッラルディーニ ワルテル・ゼンガ クラウディオ・ジェンティーレ マッシミリアーノ・アッレグリ ブルーノ・コンティ |
- クラウディオ・ジェンティーレのページへのリンク