ジャンドメニコ・メストとは? わかりやすく解説

ジャンドメニコ・メスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/15 21:26 UTC 版)

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ジャンドメニコ・メスト
ナポリ時代のメスト (2014年)
名前
ラテン文字 Giandomenico MESTO
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1982-05-25) 1982年5月25日(36歳)
出身地 モノーポリ
身長 180cm
体重 79kg
選手情報
ポジション DF (RSB)
利き足 右足
ユース
1995-2000 レッジーナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2007 レッジーナ 138 (1)
2000-2001 クレモネーゼ (loan) 19 (0)
2001-2002 フェルマーナ (loan) 31 (6)
2007-2008 ウディネーゼ 28 (1)
2008-2012 ジェノア 132 (8)
2012-2015 ナポリ 34 (1)
2016-2017 パナシナイコス 31 (0)
代表歴
1998 イタリア U-15 3 (0)
1999 イタリア U-17 1 (0)
2002-2003 イタリア U-20 7 (2)
2004  イタリア U-21 5 (0)
2004 イタリア オリンピック 3 (0)
2005-2007 イタリア 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャンドメニコ・メストGiandomenico Mesto, 1982年5月25日 - )は、イタリアモノーポリ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF。元イタリア代表

経歴

クラブ

南部にあるレッジーナ・カルチョ下部組織出身で、各年代のイタリア代表に選出された。レッジーナでは2002年から2005年まで、中村俊輔のチームメートでもあった。2006-07シーズンにはワルテル・マッツァーリ監督の指導の下、左サイドのフランチェスコ・モデストと共にサイド攻撃を支える。その活躍が認められインテル・ミラノも関心を示す程であったが、出場機会を得る事を優先したメストは中堅クラブのウディネーゼ・カルチョへ移籍。ウディネーゼの攻撃サッカーを支え、次いでジェノアCFCに移籍し、着実な成長を見せていた。一方で、戦術的柔軟性に欠ける嫌いがあり、2011-12シーズンからアルベルト・マレザーニ監督に変わった影響もあり、システムがメストが得意とする3バックから4バックに変更されたことで、出場機会がやや減少した。

2012-13シーズンはジェノアでのリーグ戦・カップ戦1試合ずつの出場を経て、恩師マッツァーリ監督率いるSSCナポリに移籍。

2015年12月31日、ギリシャ・スーパーリーグパナシナイコスFCと2017年6月までの契約を結んだ[1]。2017年6月、契約満了につき退団し現役を引退した。

代表

2004年アテネオリンピック代表に選出され、ダニエレ・デ・ロッシアルベルト・ジラルディーノらと共に銅メダルを獲得。イタリア代表には2005年より選出されている。

所属クラブ

ウディネーゼ・カルチョ (Loan) 2007-2008

タイトル

クラブ

ナポリ

代表

イタリア U-21

脚注

  1. ^ Απόκτηση του Μέστο”. ΠΑΕ Παναθηναϊκός (2015年12月31日). 2016年6月19日閲覧。

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