ロベルト・ベッテガとは? わかりやすく解説

ロベルト・ベッテガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/02 02:36 UTC 版)

ロベルト・ベッテガ
ユヴェントスFCでのベッテガ(1973年)
名前
愛称 白い羽
ラテン文字 Roberto BETTEGA
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1950-12-27) 1950年12月27日(72歳)
出身地 ピエモンテ州トリノ県トリノ
身長 184cm
体重 74kg
選手情報
ポジション FW
ユース
1961-1969 ユヴェントス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1969-1983 ユヴェントス 326 (129)
1969-1970 ヴァレーゼ(loan) 30 (13)
1983-1984 トロント・ブリザード英語版 48 (11)
通算 404 (153)
代表歴
1975-1983[1] イタリア 42 (19)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロベルト・ベッテガRoberto Bettega1950年12月27日 - )は、イタリアピエモンテ州トリノ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。1970年代のユヴェントスを象徴する選手。

クラブ経歴

父親はFIATで働き、母親は小学校の教師をしている中流階級の家に生まれた[2]。7歳の頃トリノダービーを見てユヴェントスの大ファンになり、サッカー選手を夢見るようになった[2]。父親に連れられて、ユヴェントスのトレーニングスクールに通うようになると、13歳の頃には体格に恵まれ、テクニックもあり目立つ存在となっていた[2]。この頃はMFとしてプレーしていたが、1964-65年にかけてFWとしてプレーするようになった[2]。1968-69シーズンの終わり頃にはトップチームに加えられたが、1969-70シーズン、経験を積ませるため、当時セリエBのヴァレーゼへとレンタルに出され、ウイングとして実力を証明、30試合で13得点を挙げた[2]

1970-71シーズンからユヴェントスのレギュラーとして活躍、1970年9月27日のカターニャ戦でセリエAの舞台にデビューし、初得点も決めた[2]。このシーズンのリーグ戦28試合で13ゴール、公式戦全体では46試合で22得点を記録した[2]。1971-72シーズン、この年のリーグ戦、14試合で10得点を挙げていたが、12月以降、呼吸器系炎症性疾患により約8ヵ月間の長期欠場を余儀なくされた[2]。それでもチームはスクデットを獲得した[2]。その後の3シーズンは二桁ゴールに届かずに終わった[2]。その後、1975-76シーズン以降、再びリーグ戦で二桁ゴールを記録するようになった[2]。1976-77シーズンにUEFAカップで優勝した。

その後もユヴェントスの中心選手としてピッチに君臨した。1979-80シーズンにはセリエA得点王に輝いた。しかし1981-82シーズンは、11月の怪我で殆ど出場出来ずに終わった[2]。1982-83シーズンのチャンピオンズカップでは決勝に進んだが、ハンブルガーSVに敗れ準優勝に終わった[2]ユヴェントスでは、7度のリーグ優勝、2度のコッパ・イタリア優勝、1度のUEFAカップ優勝をチームにもたらした。1977年、1978年にはバロンドール投票でそれぞれ4位に入った[2]

1983年から2年間、トロント・ブリザード英語版でプレーし、33歳で現役を引退[2]

代表経歴

イタリア代表としては、1975年6月5日にフィンランド戦でデビュー[2]。1978年のワールドカップアルゼンチン大会において1次リーグのハンガリー戦、アルゼンチン戦でそれぞれ1ゴールを挙げた[2][3]。1980年のUEFA欧州選手権にも出場したが、1981年11月の怪我により、エンツォ・ベアルツォット代表監督は最後メンバーを決めるぎりぎりまで、回復を待ったが、回復せず、ワールドカップ・スペイン大会に出場出来なかった[2]

その後

引退後、ユヴェントスの副会長を務めていた時、ジネディーヌ・ジダンの才能に惚れ込み、獲得を進めた[2]カルチョ・スキャンダルが発覚すると、その解決のために奔走し、騒動終結後にユヴェントスの副会長の座を辞した[2]。このスキャンダルで唯一潔白となった人物であった[2]

息子のアレッサンドロ・ベッテガもサッカー選手である。

タイトル

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
1969-70 ヴァレーゼ セリエB 30 13
1970-71 ユヴェントス セリエA 28 13
1971-72 14 10
1972-73 27 8
1973-74 24 8
1974-75 27 6
1975-76 29 15
1976-77 30 17
1977-78 30 11
1978-79 30 9
1979-80 28 16
1980-81 25 5
1981-82 7 5
1982-83 27 6
アメリカ リーグ戦 リーグ杯 USオープン杯 期間通算
1983-84 トロント・ブリザード NASL 48 11
通算 イタリア セリエA 326 129
イタリア セリエB 30 13
アメリカ NASL 48 11
総通算 404 153

代表歴

出典





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