サッカー大韓民国代表
(サッカー韓国代表 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/11 14:11 UTC 版)
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国または地域 | ![]() |
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協会 | 大韓サッカー協会 | |||
FIFAコード | KOR | |||
愛称 | アジアの虎、太極戦士 | |||
監督 | ![]() |
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キャプテン | 孫興ミン | |||
最多出場選手 | 車範根 洪明甫(136試合) |
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最多得点選手 | 車範根(58[1]得点) | |||
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初の国際試合 | ||||
![]() ![]() (ロンドン, イングランド; 1948年8月2日) |
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最大差勝利試合 | ||||
![]() ![]() (仁川, 大韓民国; 2003年9月29日) |
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最大差敗戦試合 | ||||
![]() ![]() (ロンドン, イングランド; 1948年8月5日) |
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FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 11回(初出場は1954) | |||
最高成績 | 4位 (2002) | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 15回 | |||
最高成績 | 優勝 (1956, 1960) | |||
朝: 대한민국 축구 국가대표팀)は、大韓サッカー協会(KFA)によって構成される大韓民国(韓国)のサッカーのナショナルチームである。アジアサッカー連盟(AFC)および東アジアサッカー連盟(EAFF)所属。
(サッカーだいかんみんこくだいひょう、概要
チームカラーは赤で、愛称は協会のシンボルである虎にちなんだ「アジアの虎」아시아의 호랑이 (アシアエ・ホランイ)、あるいは韓国国旗の別名「太極旗(テグッキ、태극기)」に由来する「太極戦士(テグッ・ジョンサ、태극전사)」である。また代表サポーターは「Red Devils」という愛称で呼ばれ、正式にこの集団は「붉은악마(プルグンアンマ:赤い悪魔)」と命名された。
FIFAワールドカップ出場11回はアジア地区で最多である。なお、韓国代表のユニフォームは1996年からは大手スポーツメーカーのナイキが手掛けている。
テコンサッカー
サッカー大韓民国代表は、「相手との接触をまったく恐れない肉弾戦」、「ラフプレーとは紙一重の荒々しいタックル」などで知られ、格闘技のテコンドーを踏まえ「テコンドーサッカー」[2]ないし「テコンサッカー」と称されることもある[3]。激しいプレースタイルは、1986年と1990年のワールドカップに代表として出場した曺敏國が「VARもある今のサッカー界で、同じことをやったらきっと全員退場だ」と冗談を言うほどである[2][4]。
このような荒々しいプレースタイルは、女子代表にも通じるものとされる[3]。
歴史
20世紀
FIFAワールドカップには、当時の李承晩大統領が日本代表選手の韓国入国を拒否したため2試合とも日本で行われた1954年スイス大会アジア予選に1勝1分で勝利し初出場を果たした。ただ、スイスまでの移動に列車と船で日本を経由、さらにはエールフランス機からアメリカ合衆国空軍機まで乗り継ぎ1週間を要した上、試合開始十数時間前に到着するという悪条件で本大会に臨むことになった。当時「マジック・マジャール」と呼ばれ3年間で32試合無敗を誇っていたハンガリーと初戦を戦うことになり、FIFAワールドカップ史上最悪記録となる0-9の大差で大敗。続くトルコとの試合でも0-7で敗れた。AFCアジアカップでは第1回大会(1956年)、第2回大会(1960年)と連覇を果たした経験があるが、それ以降は今日に至るまで優勝から遠ざかっている。韓国のメディアは、「アジアカップ・ジンクス」という言葉を用いるなどアジアカップへの苦手意識を持っている[5]。準優勝は4回。
2度目の出場は1986 FIFAワールドカップ(32年ぶり)であり、1次リーグでアルゼンチン、イタリアに敗れたもののブルガリアに引き分けて初の「勝点1」を獲得した。
初めての連続出場となった1990 FIFAワールドカップではグループリーグ3連敗を喫した。1994 FIFAワールドカップではスペイン相手に2点ビハインドを背負ってからドローに持ち込み、ドイツ戦では0-3の敗北濃厚ムードの中2点を返すなど健闘を見せたが、2分1敗で決勝トーナメント進出にあと1歩届かず。アジア最終予選首位チームとして臨んだ1998 FIFAワールドカップでは1分2敗でいずれもグループリーグで敗退した。
21世紀
2000年代
2002 FIFAワールドカップではオランダ人のフース・ヒディンクが監督を務め、初戦のポーランド戦に2-0で勝利した(W杯初勝利)[6]。2戦目のアメリカ戦では前半、アメリカに先制されるが78分に安貞桓が同点ゴールを決め、1-1の引き分けにもつれ込んだ。最終戦のポルトガル戦では70分、朴智星がゴールを決めて1-0で勝利を収め[7]、グループリーグを2勝1分の首位で突破した。決勝トーナメント1回戦では強豪イタリアと対戦、延長戦の末に安貞恒のゴールデンゴールでこれを下し、続く2回戦はスペインと対戦してPK戦の末に破った。アジア勢として初めてのベスト4に進出するも、準決勝は強豪のドイツの前に惜敗を喫した。3位決定戦でもトルコに敗れたものの、過去最高の4位となった。ところがイタリア戦、スペイン戦では誤審が取り沙汰され、特に当事者のイタリア、スペインにおいては韓国に対する一種の陰謀論も起こった。当時の主審は後にテレビ番組内で誤審だったと認めている。FIFAはこの件を調査し、不正はないという結論を出している(詳細については、2002 FIFAワールドカップの項目を参照されたい。)。この大会で韓国は、チームとしては大会に参加したチームの中で最もファンを魅了したとされるチームに贈られるエンターテイニングチーム賞を受賞し、個人では洪明甫と柳想鐵がオールスターチームの先発メンバーに選出された。なお、洪明甫が大会最優秀選手を決める記者投票でオリバー・カーン、ロナウドに次いで3位となり、ブロンズボールを受賞した。
中国で開催されたAFCアジアカップ2004は、準々決勝でイランのアリ・カリミにハットトリックを決められるなど3-4と競り負け、2大会ぶりにベスト8敗退に終わった[8]。
2006 FIFAワールドカップでは初戦のトーゴ戦に2-1で逆転勝利し、自国大会以外でのワールドカップ初勝利を挙げた[9]。2戦目のフランス戦では先制されるも、後半で同点に追い付き何とか引き分けに持ち込んだ[10]。しかし、最終戦のスイス戦ではスイスの堅守を崩すことができず0-2で敗れた。フランスとスイスが無敗だったため、1勝1分1敗の3位に終わりグループリーグでの敗退が決まった[11]。
AFCアジアカップ2007では、1次リーグでバーレーンに敗れる不覚をとる[12]も、1勝1分1敗でサウジアラビアに次いで2位通過。決勝トーナメントでは準決勝でイラクにPK戦で敗退しベスト4が確定。3位決定戦では日本相手に数的不利に陥るも耐え忍んでPK戦に持ち込み、その末勝利して3位となった。
2010年代
2010 FIFAワールドカップでは初戦のギリシャ戦に2-0で快勝し韓国人監督(許丁茂)でのワールドカップ初勝利を挙げた[13]。しかし2戦目のアルゼンチン戦ではゴンサロ・イグアインにハットトリックを決められるなど相手の攻撃に耐えられず、1-4と完敗した[14]。最終戦のナイジェリア戦では一時は逆転しながら追いつかれるも相手の猛攻に耐えきり2-2で引き分け、1勝1分1敗でグループリーグB組を2位で通過して自国大会以外で初の決勝トーナメント進出を勝ち取った[15]。その決勝トーナメント1回戦ではウルグアイと対戦した。前半8分にルイス・スアレスから先制ゴールを決められるも、68分にイ・チョンヨンのゴールで同点に追いついた。だが、80分に先制ゴールを奪ったスアレスにも勝ち越しのゴールを決められてしまい1-2で敗れ、ベスト16で敗退した[16]。
AFCアジアカップ2011は、準決勝で日本にPK戦で敗退した。エースの朴智星を欠いて臨んだウズベキスタンとの3位決定戦では3-2と接戦の末、勝利して2大会連続の3位となり、次回大会の予選免除を勝ち取った[17][18]。なお、同大会でフェアプレー賞を受賞している。
2014 FIFAワールドカップではアジア最終予選で苦しみ、3位ウズベキスタンを得失点差で1上回っての出場権獲得と間一髪だった[19][20][21]。本大会ではグループHに入り、初戦のロシア戦ではイ・グノのゴールで先制するも追いつかれ1-1で引き分け[22]、2戦目のアルジェリア戦では前半だけで3失点を喫したが50分にはソン・フンミンのゴールで1点を返すと、62分にはさらに突き放され72分にク・ジャチョルのゴールで1点を返した。が、反撃も及ばず前半だけで3失点を喫したことが重く響き、2-4で敗れた[23]。3戦目のベルギー戦にも0-1で敗れ、1分2敗の成績で4大会ぶりに1勝もできずにグループリーグ敗退が決まった[24]。
AFCアジアカップ2015では、グループリーグで開催国のオーストラリアを破る快進撃で首位通過[25]。決勝トーナメントでもウズベキスタン、イラクを圧倒して1988年大会以来の決勝進出を決めた[26]。しかし決勝まで進んできたオーストラリアに敗れ、55年ぶりの悲願は果たせず準優勝に終わった[27]。
2018 FIFAワールドカップではグループFに入り、初戦のスウェーデンに0-1、2戦目のメキシコに1-2と連敗を喫した[28]。なお、メキシコ戦では大会最多ファウル数を記録し話題になった[29]。自力でのグループリーグ突破が不可能となった最終戦のドイツ戦ではGKチョ・ヒョヌの再三の好セーブなどで後半アディショナルタイムまで0-0の状態から、93分にキム・ヨングォンのゴールが一旦オフサイドと判定されるもVARにより判定が覆り先制する。なお、勝たなければグループリーグ敗退が決まるドイツがパワープレイに出た96分には韓国陣内にいたドイツのGKマヌエル・ノイアーからボールを奪い前線にフィード、追いついたソン・フンミンが無人のゴールに蹴り込み2-0としそのまま試合終了。これで1勝2敗・勝ち点3となったが、スウェーデン、メキシコが共に勝ち点6で3戦目を終えたためグループF3位に終わり、2大会連続でグループリーグ敗退となった[30][31]。
2020年代
2022 FIFAワールドカップではグループHに入り、ポルトガル、ガーナ、ウルグアイと同じ組に入った。初戦のウルグアイ戦では攻め合いの展開となったものの、決め手を欠き0-0で引き分けて勝点1を獲得[32]。だが、2戦目のガーナ戦では前半に2失点を喫し後半にチョ・ギュソンの2ゴールで追いつくも、直後にモハメド・クドゥスのゴールで勝ち越しを許して2-3で敗れた(試合終了後にはパウロ・ベント監督にレッドカードが提示されるトラブルが発生した。)[33][34]。勝利以外ではグループリーグ敗退が決定する最終戦のポルトガル戦では、前半5分にリカルド・オルタのゴールで先制を許す苦しい展開となったものの前半27分、CKからキム・ヨングォンの2大会連続ゴールで同点にもつれ込んだ。後半は選手交代をしながら勝ち越しゴールを狙い続け、後半アディショナルタイムにはソン・フンミンのカウンターからファン・ヒチャンが勝ち越しゴールを決め、終了間際の大逆転劇で見事な逆転勝利を収めた。もし、韓国が勝利以外ならグループリーグ突破が決まっていたウルグアイがガーナに2-0で勝利したが、韓国とウルグアイで勝ち点と得失点差で並んだが総得点でウルグアイを2点上回った韓国がグループH・2位に入り、2010年南アフリカ大会以来3度目の決勝トーナメント進出を決めた[35][36]。迎えた決勝トーナメント1回戦では優勝候補のブラジルと対戦、76分にペク・スンホのゴールで1点を返したがこの試合で復帰したネイマールにPKを決められるなど前半だけで4失点を喫したことが重く響き、1-4で敗れベスト16で敗退した。大会終了後、ベント監督の退任が発表された[37]。
AFCアジアカップ2023は、準決勝でヨルダンに0-2で敗れ、2大会ぶりの決勝進出はならなかった[38]。
EAFF E-1サッカー選手権
EAFF E-1サッカー選手権の優勝は5回であり、2022年大会終了時点の最多記録である。
EAFF E-1サッカー選手権2017は、初戦の中国戦は前半に9分に韋世豪に先制ゴールを奪われ、キム・シヌクとイ・ジェイクのゴールで前半のうちに逆転したが、76分に于大宝に失点を献上して2-2のドロー。第2戦の北朝鮮戦は、64分のオウンゴールで1-0と競り勝ち2連勝。勝利しなければ優勝はないという状況で挑んだ最終戦の日本戦は前半3分にPKで先に失点したが、キム・シヌクの2ゴール、チョン・ウヨンの直接フリーキック、ヨム・ギフンの3人の活躍で4-1と快勝。日本を逆転し大会2連覇を達成した。
EAFF E-1サッカー選手権2019は、初戦の香港戦はファン・インボムとナ・サンホのゴールで2-0と勝利し大会3連覇へ幸先の良いスタートを切った。第2戦の中国戦は13分にキム・ミンジェが先制ゴールを決めた。1点リードで折り返した後半はかなりの接戦となり追加点は奪えなかったが、1-0で逃げ切り2連勝。勝利以外優勝はないという状況で挑んだ最終戦の日本戦は前半28分にファン・インボムがミドルシュートを決め先制点を奪う。後半こそ得点はなかったものの、相手には最後まで同点にさせず1-0で勝利。日本を逆転し大会3連覇を達成した(この大会では史上初となる開催国優勝という快挙も成し遂げられた)。
EAFF E-1サッカー選手権2022は、初戦の中国戦はオウンゴールで先制するとその後もクォン・チャンフン、チョ・ギュソンのゴールで3-0で勝利。続く香港戦も同じく3-0で勝利し、1位で2位日本との最終戦に臨んだ。負け以外で優勝という試合だったが、49分に失点するとその後も64分・72分と立て続けに失点し、0-3で敗戦。日本に逆転され2位に終わり、大会4連覇を逃した。
成績
- 赤枠は自国開催
FIFAワールドカップ
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
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不参加 | ||||||
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グループリーグ敗退 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 16 |
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不参加 | ||||||
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予選敗退 | ||||||
![]() |
不参加 | ||||||
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予選敗退 | ||||||
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|||||||
![]() |
|||||||
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![]() |
グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 4 | 7 |
![]() |
3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 6 | |
![]() |
3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 5 | |
![]() |
3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 9 | |
![]() ![]() |
4位 | 7 | 3 | 2 | 2 | 8 | 6 |
![]() |
グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 4 |
![]() |
ベスト16 | 4 | 1 | 1 | 2 | 6 | 8 |
![]() |
グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 3 | 6 |
![]() |
3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 3 | |
![]() |
ベスト16 | 4 | 1 | 1 | 2 | 5 | 8 |
合計 | 出場11回 | 38 | 7 | 10 | 21 | 39 | 78 |
オリンピック
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
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ベスト8 | 2 | 1 | 0 | 1 | 5 | 15 |
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不参加 | ||||||
![]() |
予選敗退 | ||||||
![]() |
|||||||
![]() |
グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 20 |
![]() |
予選敗退 | ||||||
![]() |
|||||||
![]() |
|||||||
![]() |
|||||||
![]() |
|||||||
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グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 |
合計 | 3/11 | 8 | 1 | 2 | 5 | 7 | 37 |
アジア競技大会
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
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不参加 | ||||||
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準優勝 | 4 | 1 | 2 | 1 | 15 | 12 |
![]() |
5 | 4 | 0 | 1 | 15 | 6 | |
![]() |
5 | 4 | 0 | 1 | 9 | 5 | |
![]() |
グループリーグ敗退 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 |
![]() |
優勝 | 6 | 3 | 2 | 1 | 5 | 3 |
![]() |
ベスト8 | 5 | 1 | 1 | 3 | 4 | 10 |
![]() |
優勝 | 7 | 6 | 1 | 0 | 15 | 3 |
![]() |
グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 3 |
![]() |
優勝 | 6 | 4 | 2 | 0 | 14 | 3 |
![]() |
3位 | 6 | 5 | 0 | 1 | 18 | 1 |
![]() |
4位 | 6 | 3 | 0 | 3 | 17 | 7 |
![]() |
ベスト8 | 6 | 4 | 0 | 2 | 12 | 6 |
合計 | 12/13 | 61 | 36 | 8 | 17 | 128 | 63 |
AFCアジアカップ
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
優勝 | 3 | 2 | 1 | 0 | 9 | 6 |
![]() |
3 | 3 | 0 | 0 | 9 | 1 | |
![]() |
3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 4 |
![]() |
予選敗退 | ||||||
![]() |
準優勝 | 5 | 1 | 2 | 2 | 7 | 6 |
![]() |
予選敗退 | ||||||
![]() |
準優勝 | 6 | 4 | 1 | 1 | 12 | 6 |
![]() |
グループリーグ敗退 | 4 | 0 | 2 | 2 | 1 | 3 |
![]() |
準優勝 | 6 | 5 | 1 | 0 | 11 | 3 |
![]() |
予選敗退 | ||||||
![]() |
ベスト8 | 4 | 1 | 1 | 2 | 7 | 11 |
![]() |
3位 | 6 | 3 | 1 | 2 | 9 | 6 |
![]() |
ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 9 | 4 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
3位 | 6 | 1 | 4 | 1 | 3 | 3 |
![]() |
6 | 4 | 2 | 0 | 13 | 7 | |
![]() |
準優勝 | 6 | 5 | 0 | 1 | 8 | 2 |
![]() |
ベスト8 | 5 | 4 | 0 | 1 | 6 | 2 |
![]() |
ベスト4 | 6 | 2 | 3 | 1 | 11 | 10 |
合計 | 出場15回/優勝2回 | 73 | 38 | 19 | 16 | 117 | 74 |
ダイナスティカップ
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
優勝 | 3 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 |
![]() |
準優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 |
![]() |
3 | 1 | 2 | 0 | 4 | 1 | |
![]() |
3位 | 3 | 2 | 0 | 1 | 4 | 2 |
EAFF E-1サッカー選手権
開催国 / 年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
優勝 | 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 1 |
![]() |
4位 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 |
![]() |
優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 5 | 4 |
![]() |
準優勝 | 3 | 2 | 0 | 1 | 8 | 4 |
![]() |
3位 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 |
![]() |
優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 |
![]() |
3 | 2 | 1 | 0 | 7 | 3 | |
![]() |
3 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | |
![]() |
準優勝 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 3 |
合計 | 出場9回/優勝5回 | 27 | 13 | 10 | 4 | 39 | 20 |
歴代監督
- 出典[39]
在任期間 | 監督名 |
---|---|
1948年6月 | ![]() |
1948年6月 - 同年8月 | ![]() |
1948年12月 - 1949年2月 | ![]() |
1950年3月 - 1950年4月 | ![]() |
1953年4月 - 同年5月 | ![]() |
1954年2月 - 同年5月 | ![]() |
1954年5月 - 同年6月 | ![]() |
1956年2月 - 同年6月 | ![]() |
1956年8月 - 同年10月 | ![]() |
1958年1月 - 同年3月 | ![]() |
1958年4月 - 同年6月 | ![]() |
1959年7月 - 同年9月 | ![]() |
1959年11月 - 同年12月 | ![]() |
1960年2月 - 同年4月 | ![]() |
1960年7月 - 同年9月 | ![]() |
1960年9月 - 1961年6月 | ![]() |
1961年9月 - 1962年3月 | ![]() |
1962年5月 - 同年6月 | ![]() |
1962年7月 - 同年10月 | ![]() |
1963年7月 - 同年9月 | ![]() |
1963年10月 - 同年12月 | ![]() |
1964年5月 - 同年10月 | ![]() |
1964年5月 - 同年6月 | ![]() |
1965年7月 - 同年8月 | ![]() |
1966年7月 - 同年9月 | ![]() |
1966年9月 - 同年12月 | ![]() |
1967年5月 - 同年10月 | ![]() |
1967年10月 - 1968年8月 | ![]() |
1969年9月 - 同年10月 | ![]() |
1969年11月 | ![]() |
1970年2月13日 - 1971年10月6日 | ![]() |
1971年11月 | ![]() |
1971年12月7日 - 1972年6月15日 | ![]() |
1972年6月16日 - 同年12月20日 | ![]() |
1972年12月21日 - 1973年11月20日 | ![]() |
1973年12月21日 - 同年12月25日 | ![]() |
1974年1月31日 - 同年11月17日 | ![]() |
1974年11月17日 - 1976年5月13日 | ![]() |
1976年5月14日 - 同年12月31日 | ![]() |
1977年1月1日 - 同年9月16日 | ![]() |
1977年9月17日 - 同年12月18日 | ![]() |
1978年3月2日 - 1979年3月28日 | ![]() |
1979年3月29日 - 1980年5月3日 | ![]() |
1980年5月3日 - 1982年6月20日 | ![]() |
1982年6月21日 - 1983年1月28日 | ![]() |
1983年1月29日 - 同年8月22日 | ![]() |
1983年8月23日 - 1984年7月2日 | ![]() |
1984年7月3日 - 1985年1月11日 | ![]() |
1985年3月19日 - 1986年11月19日 | ![]() |
1986年11月20日 - 1988年7月5日 | ![]() |
1988年7月6日 - 同年10月5日 | ![]() |
1988年10月6日 - 1990年7月2日 | ![]() |
1990年7月3日 - 同年8月8日 | ![]() |
1990年8月9日 - 同年10月23日 | ![]() |
1991年5月22日 - 同年7月27日 | ![]() |
1992年7月8日 - 1994年7月23日 | ![]() |
1994年7月24日 - 1995年2月26日 | ![]() |
1995年4月26日 - 同年7月31日 | ![]() |
1995年8月1日 - 同年8月12日 | ![]() |
1995年9月16日 - 同年9月30日 | ![]() |
1995年10月20日 - 同年10月30日 | ![]() |
1996年2月15日 - 1997年1月7日 | ![]() |
1997年1月8日 - 1998年6月21日 | ![]() |
1998年6月22日 - 1998年6月25日 | ![]() |
1998年10月14日 - 2000年11月13日 | ![]() |
2000年11月10日 - 同年11月20日 | ![]() |
2001年1月1日 - 2002年6月30日 | ![]() |
2002年11月18日 - 同年11月20日 | ![]() |
2003年2月3日 - 2004年4月19日 | ![]() |
2004年4月20日 - 同年6月15日 | ![]() |
2004年6月24日 - 2005年8月23日 | ![]() |
2005年10月1日 - 2006年6月30日 | ![]() |
2006年7月1日 - 2007年8月3日 | ![]() |
2007年12月7日 - 2010年6月30日 | ![]() |
2010年7月21日 - 2011年12月8日 | ![]() |
2011年12月21日 - 2013年6月19日 | ![]() |
2013年6月26日 - 2014年7月10日 | ![]() |
2014年9月5日 - 同年9月8日 | ![]() |
2014年9月8日 - 2017年6月15日 | ![]() |
2017年7月4日 - 2018年7月31日 | ![]() |
2018年8月17日 - 2022年12月6日 | ![]() |
2023年2月27日 - 2024年2月16日 | ![]() |
2024年2月27日 - 2024年7月29日 | ![]() |
2024年7月29日 - | ![]() |
歴代選手
- 太字は現役の選手
GK
DF
- 李栄杓(イ・ヨンピョ)
- 金珍圭(キム・ジンギュ)
- 金民友(キム・ミヌ)
- 宋鐘國(ソン・ジョングク)
- 李正秀(イ・ジョンス)
- 郭泰輝(カク・テヒ)
- 金泳徹(キム・ヨンチョル)
- 金致坤(キム・チゴン)
- 金致佑(キム・チウ)
- 金根煥(キム・クナン)
- 金亨鎰(キム・ヒョンイル)
- 趙容亨(チョ・ヨンヒョン)
- 金東進(キム・ドンジン)
- 曺秉局(チョ・ビョングク)
- 朴原載(パク・ウォンジェ)
- 趙晟桓(チョウ・ソンファン)
- 朴柱昊(パク・チュホ)
- 呉範錫(オ・ボムソク)
- 金昌洙(キム・チャンス)
- 金英權(キム・ヨングォン)
- 黄錫鎬(ファン・ソッコ)
- 張賢秀(チャン・ヒョンス)
- 金珍洙(キム・ジンス)
- 洪正好(ホン・ジョンホ)
- 尹錫榮(ユン・ソギョン)
MF
- 李浩(イ・ホ)
- 金相植(キム・サンシク)
- 金斗炫(キム・ドゥヒョン)
- 金南一(キム・ナミル)
- 高宗秀(コ・ジョンス)
- 崔成國(チェ・ソングク)
- 崔成勇(チェ・ソンヨン)
- 朴智星(パク・チソン)
- 柳想鐵(ユ・サンチョル)
- 尹晶煥(ユン・ジョンファン)
- 崔孝鎭(チェ・ヒョジン)
- 呉章銀(オ・ジャンウン)
- 金正友(キム・ジョンウ)
- 李青龍(イ・チョンヨン)
- 奇誠庸(キ・ソンヨン)
- 鄭又榮(チョン・ウヨン)
- 金甫炅(キム・ボギョン)
- 尹ビッカラム(ユン・ビッカラム)
- 具滋哲(ク・ジャチョル)
- 韓国栄(ハン・クギョン)
- 李在成(イ・ジェソン)
- 権昶勲(クォン・チャンフン)
- 白昇浩(ペク・スンホ)
- 李康仁(イ・カンイン)
FW
- 車範根(チャ・ボムグン)
- 許丁茂(ホ・ジョンム)
- 徐正源(ソ・ジョンウォン)
- 黄善洪(ファン・ソンホン)
- 崔龍洙(チェ・ヨンス)
- 李東國(イ・ドングク)
- 車ドゥリ(チャ・ドゥリ)
- 曺宰溱(チョ・ジェジン)
- 朴主永(パク・チュヨン)
- 涂罠逼(ヤン・ミンヒョク)
- 薛琦鉉(ソル・ギヒョン)
- 鄭暻鎬(チョン・ギョンホ)
- 安貞桓(アン・ジョンファン)
- 李天秀(イ・チョンス)
- 曺永哲(チョ・ヨンチョル)
- 安孝錬(アン・ヒョヨン)
- 李根鎬(イ・グノ)
- 孫興慜(ソン・フンミン)
- 南泰煕(ナム・テヒ)
- 池東沅(チ・ドンウォン)
- 石現俊(ソク・ヒョンジュン)
- 黄義助(ファン・ウィジョ)
- 黄喜燦(ファン・ヒチャン)
- 李昇祐(イ・スンウ)
歴代記録
出場数ランキング
水色は現役代表選手
|
得点数ランキング
水色は現役代表選手
|
脚注
- ^ Bum-Kun Cha - Century of International Appearances
- ^ a b サッカーダイジェストWeb編集部「韓国代表のレジェンドが語るマラドーナへの“テコンドーサッカー”「同じことをやったらきっと全員退場だ」」サッカーダイジェスト、2022年1月11日。2025年2月3日閲覧。
- ^ a b ben2「テコンの戦いに持ち込んだ韓国が号泣して敗北のテコンサッカー」KJCLUB、2023年10月1日。2025年2月3日閲覧。
- ^ 「韓国のレジェンドが過去のW杯をぶっちゃけ回顧「テコンドーサッカーは今なら全員退場だ」」『東スポWEB』東京スポーツ新聞社、2022年1月11日。2025年2月3日閲覧。
- ^ “アジア制覇狙う韓国、「夢見心地」の日本を迎え撃つ”. スポーツナビ. (2010年10月12日) 2011年1月26日閲覧。
- ^ “韓国、ついに悲願のW杯初勝利 ポーランドに2−0快勝”. 동아일보 (2002年6月5日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “W杯1次リーグ結果/韓国1-0ポルトガル”. 四国新聞社. 2025年5月25日閲覧。
- ^ “「守備から作り直す」 アジア王者奪還失敗でボンフレール監督”. 동아일보 (2004年8月2日). 2025年5月26日閲覧。
- ^ “W杯速報、韓国勝利”. ゲキサカ (2006年6月14日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “W杯速報、フランス分ける”. ゲキサカ (2006年6月19日). 2025年5月26日閲覧。
- ^ “Switzerland 2-0 South Korea” (英語). (2006年6月23日) 2025年5月25日閲覧。
- ^ “Bahrain 2-1 South Korea (Jul 15, 2007) Final Score” (英語). ESPN. 2025年5月25日閲覧。
- ^ “韓国 ギリシャを下し白星発進、W杯”. www.afpbb.com (2010年6月12日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “アルゼンチン、4-1で韓国を圧倒 2連勝飾る”. 日本経済新聞 (2010年6月17日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “韓国が16強入り、ナイジェリアとドロー、W杯”. www.afpbb.com (2010年6月23日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “ウルグアイ40年ぶりの8強、韓国に勝利 W杯”. www.afpbb.com (2010年6月27日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “韓国朴智星不在も3-2で3位/アジア杯 - アジア杯2011”. nikkansports.com. 2025年5月25日閲覧。
- ^ “韓国が逃げ切り3位!ウズベキスタン反撃届かず - スポニチ Sponichi Annex サッカー”. スポニチ Sponichi Annex. 2025年5月25日閲覧。
- ^ 最終予選(4次予選)では、グループA、Bのそれぞれで5チーム中上位2チームが直接出場権獲得、3位が5次予選(AFCプレーオフ)に出場するという形式であった。
- ^ “Chosun Online | 朝鮮日報”. www.chosunonline.com. 2025年5月26日閲覧。
- ^ 「サッカー=韓国監督「自分の責任」、イランに敗れ2位通過」『Reuters』2013年6月19日。2025年5月26日閲覧。
- ^ “ロシアと韓国、1-1で引き分け サッカーW杯”. 日本経済新聞 (2014年6月18日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “韓国崩壊4失点…アルジェリアは32年ぶりW杯勝利”. ゲキサカ (2014年6月23日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “10人のベルギーが韓国下し3連勝…アジア勢4チームは未勝利全滅”. ゲキサカ (2014年6月27日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “【アジア杯2015】韓国がオーストラリアを破り3連勝、グループ首位に|Qoly サッカーニュース”. Qoly. 2025年5月25日閲覧。
- ^ “韓国がイラクを撃破、アジアカップ決勝へ”. www.afpbb.com (2015年1月27日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “オーストラリア、延長で韓国下し初優勝 アジアカップ”. www.afpbb.com (2015年2月1日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “韓国、連敗で自力突破消滅 孫興民「申し訳ない」/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2025年5月26日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “韓国のラフプレーにメキシコ指揮官憤慨。ファウル24回は今大会最多【ロシアW杯】”. フットボールチャンネル (2018年6月24日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ Co.,Ltd, livedoor (2018年6月28日). “ドイツ、韓国に敗れ最下位でW杯終了…前回王者が3大会連続グループ敗退”. サッカーキング. 2025年5月25日閲覧。
- ^ “王者ドイツ、衝撃のグループ敗退! 韓国も敗退に終わったが歴史的1勝【ロシアW杯】”. フットボールチャンネル (2018年6月27日). 2025年5月25日閲覧。
- ^ “2度ポストに救われた韓国代表、W杯ドロー発進。ウルグアイ代表と0-0で勝ち点1奪取”. Goal.com. 2023年6月10日閲覧。
- ^ “【動画】ガーナ、クドゥスの2ゴールで打ち合い制し今大会初勝利!韓国は2点差追いつくも及ばず…”. Goal.com (2022年11月29日). 2023年6月10日閲覧。
- ^ “韓国コーチ、敗れたガーナ戦後に「結果は完全にアンフェア。ドローですらフェアな結果ではない」”. Goal.com (2022年11月29日). 2023年6月10日閲覧。
- ^ “韓国代表、後半ATの劇的弾でポルトガルに大金星! 勝ち点&得失点で並んだウルグアイを総得点数で上回る、3大会ぶり決勝Tへ”. Goal.com (2022年12月3日). 2023年6月10日閲覧。
- ^ “W杯決勝T進出に喜びの涙を流したソン・フンミン「この瞬間を長い間待っていた」”. Goal.com (2022年12月3日). 2023年6月10日閲覧。
- ^ “韓国指揮官ベントがブラジル戦後に退任発表「彼らの監督であったことに誇りを感じている」”. Goal.com (2022年12月6日). 2023年6月10日閲覧。
- ^ “韓国、アジア杯4強で敗れる!! 圧巻の大声援受けたヨルダンが史上初の決勝進出”. ゲキサカ (2024年2月7日). 2024年2月7日閲覧。
- ^ “ko:역대 대표팀 감독”. 大韓サッカー協会. 2024年1月24日閲覧。
関連項目
- 大韓サッカー協会
- 坡州蹴球國家代表訓錬院 - 専用練習場
- ソウルワールドカップ競技場
- 日韓戦 - ダービーマッチ
外部リンク
- 大韓サッカー協会
- サッカー大韓民国代表 (KFA) - Facebook
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