AFCアジアカップ2007とは? わかりやすく解説

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AFCアジアカップ2007

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/29 08:05 UTC 版)

 AFCアジアカップ2007
2007 AFC Asian Cup
開会セレモニーの様子
大会概要
開催国 インドネシア
マレーシア
タイ
 ベトナム
(4か国共催)
日程 2007年7月7日 - 7月29日
チーム数 16 (AFC連盟)
開催地数(7都市)
大会結果
優勝 イラク (1回目)
準優勝 サウジアラビア
3位 韓国
4位 日本
大会統計
試合数 32試合
ゴール数 84点
(1試合平均 2.63点)
総入場者数 724,222人
(1試合平均 22,632人)
得点王 ユニス・マフムード
ヤセル・アル=カフタニ
高原直泰(4点)
最優秀選手 ユニス・マフムード
 < 20042011

AFCアジアカップ2007英語: AFC Asian Cup 2007インドネシア語マレーシア語: Piala Asia 2007タイ語: เอเชียนคัพ 2007ベトナム語: Cúp bóng đá châu Á 2007)は、2007年に行われた国際サッカー大会、第14回目のAFCアジアカップである。タイマレーシアベトナムインドネシアの4カ国の共同開催となり、アジアカップ史上初めて複数国の共同開催となった。2007年7月7日から7月29日まで開催され、イラクが初優勝を飾った。

大会開催の経緯と概要

  • 本大会は4カ国共催となった。このいきさつには、候補国が単独で大会を開催できるほどの経済的余力がなかったことと、候補国同士の誘致合戦が激しくなりすぎてしまった背景がある。本大会では、4カ国それぞれがグループリーグ6試合と、決勝トーナメント1~3試合を主催できるように、試合が配分された。
  • 本大会からFIFAワールドカップの翌年に開催される事となったため、その調整として前回大会から3年後の2007年に開催された。この変更の背景には、従来の開催時期では夏季オリンピックUEFA欧州選手権と開催年が重なるため注目度が低くなりがちだった事等が挙げられる。
  • AFCチャレンジカップが創設された影響で、この大会からFIFAランキング下位の予選参加国が大幅に減少した。総参加国数が前回大会は開催国なども含め43だったのに対し、今大会では28。
  • 今大会では、開催国が4カ国ある関係で、前回優勝国の本大会自動出場権がなくなり、前回優勝の日本は予選からの出場となった。また、2006年アジアサッカー連盟へ加盟したオーストラリアも予選第4シード国として初めて参戦した。
  • 開催国4カ国と、予選を勝ち抜いた12カ国を合わせた16カ国が本大会に出場。組合せ抽選は12月19日に実施(組み合わせ抽選の節を参照)。
  • 開会式及び開幕戦は2007年7月7日バンコク、決勝戦はジャカルタで開催された。

トピックス

イラク初優勝

本大会は、イラクが初の優勝を遂げた。

イラク戦争による政情不安が長く続き、代表選手はほぼ全員が海外でプレーしていた。代表の練習は欧州が拠点、ホームゲームはヨルダンで開催してきたイラクは、大会直前に代表監督が辞任し、新たにブラジル人のジョルバン・ビエイラを大会限定の短期契約で監督に迎えるなど、その厳しい環境条件から開幕前の下馬評は決して高くなかった。さらに、大会直前にチームに同行する予定だった理学療法士が死亡するなど、チームを取り巻く状況は大会開始まで好転しなかった。

しかし、アテネオリンピックベスト4のメンバーと前年のアジア大会準優勝のメンバーを中心としたイラクは、前線からの激しいプレッシャーと強いフィジカルコンタクトによる守備と、積極的な攻撃意識を武器にグループリーグを1位通過。決勝トーナメントでも、準決勝で韓国を下して初めて決勝戦へ進出。決勝戦では単独最多となる4度目の優勝を狙うサウジアラビアを1-0で破った。

大会中も、勝利を喜び通りに集ったイラク市民を標的にした自爆テロが発生し、イラクが決勝進出を決めた日にはバグダードの2箇所の地域で50人が死亡した。また祝砲として民間に流出していた銃器が撃ち鳴らされた際に、流れ弾に当たるなどして7名以上の死者を出し、選手の親族も何名か亡くなったが、代表はそのたびに団結し、快進撃を見せた。

なお、前回大会まで6大会連続でサウジアラビアないし日本が立て続けに優勝を果たしていたが、1980年大会以来27年ぶりに2国以外が優勝を勝ち取った[1]

強豪国の復活、オーストラリアの苦戦

前回大会で大躍進した新興国は、本大会では軒並み苦戦を強いられた。前回準優勝の中華人民共和国はイランには2-2で引き分けたものの、ウズベキスタンに0-3で完敗しグループリーグ敗退。同ベスト4のバーレーンは、韓国に2-1で勝利したが、サウジアラビアに0-4で破れ、トーナメント進出はならなかった。同ベスト8のヨルダンは予選敗退して本大会に進出できず、継続的な強さは発揮されず終わった。

一方、前回大会でグループリーグ最下位に終わったサウジアラビアは復活した堅守速攻で、大会2連覇中の日本を準決勝で破り準優勝の成績をおさめた。A代表で参加するようになった1992年大会以降で日本がアジアカップで黒星を喫したのは、1996年大会の準々決勝クウェート戦以来11年ぶり2度目の事であった(この次の黒星は2019年UAE大会の決勝・カタール戦である(2015年オーストラリア大会の準々決勝・UAE戦は、PK戦負けのため引き分け扱い))。この大会は4位に終わり、次回のアジアカップ予選免除権は獲得できなかった。韓国は3位。

AFCに転籍したことにより本大会が初出場となるオーストラリアは、慣れないアジアの気候に加え、ヨーロッパのチーム所属の選手が多く選手のコンディションが悪かったこともあり[2]、最後まで強さを発揮できずにベスト8で敗退した。

開催国の健闘

大会開幕前は、近年のワールドカップ予選やアジアカップで全くふるわない開催国が、アジアの強豪が揃う本大会でどこまでやれるのかという点が疑問視されていた。しかし、3戦全敗に終わったマレーシアを除いた残り3か国は、下馬評以上の健闘を見せた。高温多湿の環境に強豪国が苦しむ中、豊富な運動量によるスペースへの進出と素早いパス回しで技術と体格の差を補い対抗したタイ、ベトナム、インドネシアの3か国は全てグループリーグで1勝を上げ、最終戦まで決勝トーナメント進出の可能性を残すとともに、各グループリーグを混戦に導いて大会の競技性を高めた。最終的に決勝トーナメントへ進出したのはベトナムのみだったが、この3か国の健闘と、見せたサッカーのクオリティの高さは、大会序盤を大いに盛り上げた。

運営面の問題

アジアカップとしては初の4か国共催として注目された大会だったが、大会運営に当たってのトラブルも相次いだ。AFCの不手際により日本がベトナムからインドネシアへ移動する際に、一度確保したはずの飛行機の座席がなぜか運営側によってキャンセルされたため、改めて飛行機を手配したが、到着時間が予定よりも丸一日遅れた。そのうえ、宿泊の手配ミスで部屋が足りず、選手は2人1部屋制を強いられ、スタッフは11人が1部屋に押し込まれることになった。また、優勝したイラクも宿泊の手配でミスが生じ、31人の選手・スタッフが8つの部屋に押し込まれた。その他、取材のマスコミも移動に難渋するなど大きな課題を残した大会となった。

予選

本戦出場16チームのうち、4枠は開催国に割り当てられ、残る12枠が予選で競われた。前大会と異なり、前回大会優勝チーム(日本)の予選免除はなされなかった。

本大会

優勝チームはFIFAコンフェデレーションズカップ2009南アフリカ大会)に出場する。

開催都市とスタジアム

都市 スタジアム 収容人員
インドネシア ジャカルタ ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアム 100,000
パレンバン ゲロラ・シュリーヴィジャヤ・スタジアム 40,000
マレーシア クアラルンプール ブキット・ジャリル国立競技場 100,000
シャー・アラム(スランゴール州) シャー・アラム・スタジアム 80,000
タイ バンコク ラジャマンガラ・スタジアム 65,000
スパチャラサイ国立競技場 35,000
ベトナム ハノイ ミーディン国立競技場 40,000
ホーチミン市 アーミー・スタジアム 25,000

出場国

組み合わせ抽選

本大会の組み合わせ抽選は、2006年12月19日マレーシアクアラルンプールで行われた。

強豪国がグループリーグで集中するのを防ぐため、出場チームのポット分けは2006年10月のFIFAランキングに基づいて行われた(開催国の4チームをポット1とし、それ以外の12チームをランキング下位から順にポット2・ポット3・ポット4とした)[3]

かっこ内の数字はポット分けに用いられた(2006年10月の)FIFAランキング。

グループリーグ

4チームずつの4グループにわかれ、各グループ上位2チームが決勝トーナメントに進出。

グループA

国名 勝点 得点 失点 点差
イラク 5 3 1 2 0 4 2 +2
オーストラリア 4 3 1 1 1 6 4 +2
タイ 4 3 1 1 1 3 5 -2
オマーン 2 3 0 2 1 1 3 -2



オーストラリア 1 - 1 オマーン
ティム・ケーヒル  90+2分 バダル・アル=マイマニー  32分

タイ 2 - 0 オマーン
ピパット・トンカンヤー  70分78分

イラク 3 - 1 オーストラリア
ナシャト・アクラム  23分
ハワル・ムラ・モハメド  60分
カッラール・ジャーシム  86分
マーク・ヴィドゥカ  47分


グループB

国名 勝点 得点 失点 点差
日本 7 3 2 1 0 8 3 +5
ベトナム 4 3 1 1 1 4 5 -1
アラブ首長国連邦 3 3 1 0 2 3 6 -3
カタール 2 3 0 2 1 3 4 -1


ベトナム 2 - 0 アラブ首長国連邦
黄光清  63分
黎公榮  73分


ベトナム 1 - 1 カタール
潘清平  32分 セバスティアン・キンタナ  79分

アラブ首長国連邦 1 - 3 日本
アル=カース  66分 高原直泰  22分27分
中村俊輔  42分 (pen.)

カタール 1 - 2 アラブ首長国連邦
セバスティアン・キンタナ  42分 アル=カース  59分
ハリール  90分

ベトナム 1 - 4 日本
鈴木啓太  8分 (o.g.) 巻誠一郎  12分59分
遠藤保仁  32分
中村俊輔  53分

グループC

国名 勝点 得点 失点 点差
イラン 7 3 2 1 0 6 3 +3
ウズベキスタン 6 3 2 0 1 9 2 +7
中国 4 3 1 1 1 7 6 +1
マレーシア 0 3 0 0 3 1 12 -11


マレーシア 1 - 5 中国
インドラ・プトラ・マハユディン  74分 韓鵬  15分55分
邵佳一  36分
王棟  51分90+3分





グループD

国名 勝点 得点 失点 点差
サウジアラビア 7 3 2 1 0 7 2 +5
韓国 4 3 1 1 1 3 3 0
インドネシア 3 3 1 0 2 3 4 -1
バーレーン 3 3 1 0 2 3 7 -4


インドネシア 2 - 1 バーレーン
ブディ・スダルソノ  14分
バンバン・パムンカス  27分
サイード・マフムード・ジャラール  27分





決勝トーナメント

ノックアウト方式で行われ、90分間の試合で勝敗が決しない場合は30分の(ゴールデンゴール方式やシルバーゴール方式でない)延長戦が行われ、さらに勝敗が決しない場合はPK戦によって勝者を決した。

トーナメント

 
準々決勝準決勝決勝
 
          
 
7月21日 - バンコク
 
 
イラク2
 
7月25日 - クアラルンプール
 
ベトナム0
 
イラク (p)0 (4)
 
7月22日 - クアラルンプール
 
韓国0 (3)
 
イラン0 (2)
 
7月29日 - ジャカルタ
 
韓国 (p)0 (4)
 
イラク1
 
7月21日 - ハノイ
 
サウジアラビア0
 
日本 (p)1 (4)
 
7月25日 - ハノイ
 
オーストラリア1 (3)
 
日本2
 
7月22日 - ジャカルタ
 
サウジアラビア3 3位決定戦
 
サウジアラビア2
 
7月28日 - パレンバン
 
ウズベキスタン1
 
韓国 (p)0 (6)
 
 
日本0 (5)
 

準々決勝


日本 1 - 1
(延長)
オーストラリア
高原直泰  72分 ジョン・アロイージ  69分
ハノイ, ミーディン国立競技場
観客数: 25,000人
主審: サアド・カミル・アル・ファドリ
    PK戦  
中村俊輔
遠藤保仁
駒野友一
高原直泰
中澤佑二
4 – 3 ハリー・キューウェル
ルーカス・ニール
ティム・ケーヒル
ニック・カール
デヴィッド・カーニー
 

    PK戦  
フェリドーン・ツァンディ
メフディ・マハダヴィキア
レザ・エナヤティ
ラスール・ハティビ
2 – 4 李天秀
金相植
金斗炫
曺宰溱
金正友
 

サウジアラビア 2 - 1 ウズベキスタン
ヤセル・アル=カフタニ  3分
アハメド・アル・ムサ  75分
パヴェル・ソローミン  81分
ジャカルタ, ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアム
観客数: 12,000人
主審: クォン・ジョンチョル

準決勝

イラク 0 - 0
(延長)
韓国
クアラルンプール, ブキット・ジャリル国立競技場
観客数: 12,500人
主審: サアド・カミル・アル・ファドリ
    PK戦  
ハワル・ムラ・モハメド
クサイ・ムニル
ハイダル・アブドゥル-アミル
アハマド
4 – 3 李天秀
李東国
曺宰溱
廉基勲
金正友
 

3位決定戦

    PK戦  
曺宰溱
呉範錫
李根鎬
李浩
金珍圭
金致佑
6 – 5 中村俊輔
遠藤保仁
阿部勇樹
駒野友一
中澤佑二
羽生直剛
 

決勝

最終結果

 AFCアジアカップ2007優勝国 

イラク
初優勝

表彰

MVP 得点王 フェアプレー賞
ユニス・マフムード ユニス・マフムード
ヤセル・アル=カフタニ
高原直泰
日本

得点ランキング

4 ゴール
3 ゴール

脚注

  1. ^ [アジアカップ過去の優勝国]”. ゲキサカ. 2023年7月8日閲覧。
  2. ^ Nour Abuzant (2008年1月11日). “Qatar and Iran in goalless draw”. Gulf Times. 2011年4月27日閲覧。
  3. ^ AFC Asian Cup 2007 Organising Committee approves team classification for Final Draw”. アジアサッカー連盟 (2006年12月21日). 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月24日閲覧。

関連項目

外部リンク


AFCアジアカップ2007

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 14:41 UTC 版)

ハリー・キューウェル」の記事における「AFCアジアカップ2007」の解説

W杯終了後からしばらくの間は代表の試合出場することが出来なかったが、2007年6月行われたシンガポールとの親善試合復帰果たしたアジアカップ前の最後試合であったが、65分から交代出場し、1ゴール、1アシスト活躍見せたキューウェルアジアカップ出場したオーストラリア代表重要な役割担った4-0勝利したタイ戦ではチーム4点目となる得点挙げたグループリーグ突破して迎えた準々決勝日本戦ではマーク・ヴィドゥカ代わり65分から出場しPK戦では最初キッカー務めた止められてしまい、チーム敗退した

※この「AFCアジアカップ2007」の解説は、「ハリー・キューウェル」の解説の一部です。
「AFCアジアカップ2007」を含む「ハリー・キューウェル」の記事については、「ハリー・キューウェル」の概要を参照ください。

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