ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムとは? わかりやすく解説

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ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 09:40 UTC 版)

グロラ・ブン・カルノ
Gelora Senayan
施設情報
所在地 ジャカルタ
位置 南緯6度13分7秒 東経106度48分9秒 / 南緯6.21861度 東経106.80250度 / -6.21861; 106.80250 (グロラ・ブン・カルノ・スタジアム)座標: 南緯6度13分7秒 東経106度48分9秒 / 南緯6.21861度 東経106.80250度 / -6.21861; 106.80250 (グロラ・ブン・カルノ・スタジアム)
起工 1960年
開場 1962年
所有者 ジャカルタ政府
運用者 Gelora Senayan財団
グラウンド 天然芝
ピッチサイズ 110 × 60 m
建設費 1250万ドル
使用チーム、大会
インドネシアサッカー協会
1962年アジア競技大会
AFCアジアカップ2007
2018年アジア競技大会
収容人員
77,193[1]

グロラ・ブン・カルノ・スタジアム(Gelora Bung Karno Stadium)はインドネシアジャカルタタナ・アバンにある競技場である。ジャカルタ国際スタジアムに次ぐインドネシア2番目の規模を持つ。旧称スナヤン・メイン・スタジアム。

競技場は1962年アジア競技大会開催のために作られ、1979年東南アジア競技大会、1987年東南アジア競技大会、1997年東南アジア競技大会、2011年東南アジア競技大会でも使用された。2002年のタイガーカップ決勝では、観客が殺到したため、安全面から大規模な改修工事を行った。2007年アジアカップなどいくつかのサッカーの国際大会の決勝戦の会場になった。2018年アジア競技大会では、開会式・閉会式・陸上競技が開催された。これに向けた改修工事が2016年に始まり、2017年に完成した。

正式名称はインドネシア語でスタディオン・ウタマ・グロラ・ブン・カルノ(Stadion Utama Gelora Bung Karno)。

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ E-Booking Stadion Utama Gelora Bung Karno”. gbk.id. 2018年10月3日閲覧。

外部リンク

先代
北京工人体育場
北京
AFCアジアカップ
決勝戦会場

2007
次代
ハリーファ国際スタジアム
ドーハ




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