オブドゥリオ・バレラとは? わかりやすく解説

オブドゥリオ・バレラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 17:36 UTC 版)

オブドゥリオ・バレラ
名前
本名 オブドゥリオ・ハシント・ムイニョス・バレラ
Obdulio Jacinto Muiños Varela
ラテン文字 Obdulio VARELA
基本情報
国籍 ウルグアイ
生年月日 (1917-09-20) 1917年9月20日
出身地 モンテビデオ県モンテビデオ
没年月日 (1996-08-02) 1996年8月2日(78歳没)
身長 178cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1936-1938 デポルティーボ・フベントゥ 60 (20)
1938-1943 モンテビデオ・ワンダラーズFC 105 (42)
1943-1955 CAペニャロール 302 (72)
代表歴
1939-1954 ウルグアイ 45 (9)
監督歴
1955 CAペニャロール
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

オブドゥリオ・バレラ(Obdulio Varela, 1917年9月20日 - 1996年8月2日)は、ウルグアイモンテビデオ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションミッドフィールダー。守備的ミッドフィールダーとして活躍し強烈なリーダーシップを発揮した。サッカー史上最高のキャプテンの一人とも見なされている。

略歴

1936年にデポルティーボ・フベントゥでプロデビューを果たし、その2年後にモンテビデオ・ワンダラーズFCへと移籍。1943年からはCAペニャロールでプレーし、ウルグアイリーグを6度制した。1955年に引退。

ウルグアイ代表として45試合9得点。1942年コパ・アメリカ優勝。1950年FIFAワールドカップではキャプテンとして出場し、ここでも優勝に貢献した。特に決勝のブラジル戦では、引き分けでも優勝可能なブラジルに対して先制されるも冷静にチームを牽引。ボールをフィールド中央に持って行き、「さあ勝つ時が来た」と叫んだことは今でも語り草となっている。1954年FIFAワールドカップにも出場したものの準々決勝のイングランド戦で負傷。以降離脱を余儀なくされウルグアイは準決勝で敗退した。それまでウルグアイはヴァレラがいた時、ワールドカップで無敗だった。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オブドゥリオ・バレラ」の関連用語

オブドゥリオ・バレラのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オブドゥリオ・バレラのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオブドゥリオ・バレラ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS