アルシデス・ギジャ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/28 23:43 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はギジャ、第二姓(母方の姓)はペレイラです。(Template:スペイン語圏の姓名) |
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| 名前 | ||||||
| 本名 | アルシデス・エドガルド・ギジャ・ペレイラ Alcides Edgardo Ghiggia Pereyra |
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| カタカナ | アルシデス・ギジャ | |||||
| ラテン文字 | ALCIDES GHIGGIA | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
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| 生年月日 | 1926年12月22日 | |||||
| 出身地 | モンテビデオ | |||||
| 没年月日 | 2015年7月16日(88歳没) | |||||
| 身長 | 169cm | |||||
| 体重 | 62kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW (RWG) | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1950-1952 | |
12 | (4) | |||
| 1957-1959 | |
5 | (1) | |||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
アルシデス・ギジャ(Alcides Ghiggia、1926年12月22日 - 2015年7月16日[1])は、ウルグアイ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(右ウイング)。
経歴
1950年のブラジルW杯で事実上の決勝戦となった、第2次ラウンド最終戦のウルグアイ対ブラジル戦にて、右ウイングのギジャは後半34分に決勝点となる2点目を挙げ、ウルグアイを2度目のワールドカップ優勝に導いた。ギジャがゴールを決めた瞬間、マラカナンに集まった20万人の大観衆は静まり返ったという(→マラカナンの悲劇参照)。同大会では出場した4試合すべてで1ゴールずつを挙げている。
大会後はイタリアのASローマに移籍し、イタリア代表としてプレイした。1968年に41歳で現役を引退した。
2013年12月6日にブラジル・サルヴァドールで行われた2014年W杯組み合わせ抽選会には、86歳の高齢ながらドロワーとして参加した。
2015年7月16日、心不全のため88歳で死去。この日はマラカナンの悲劇からちょうど65年後であった[1]。 ギジャの死去によりマラカナンの悲劇のウルグアイ代表メンバーは全員が他界する運びとなった。
所属クラブ
代表歴
ウルグアイ代表 1950-1952
- 1950年 - ワールドカップ・ブラジル大会 (優勝、4試合出場4得点)
イタリア代表 1957-1959
脚注
- ^ a b 「マラカナンの悲劇」の英雄ギジャ氏が死去 GOAL 2015-7-17
固有名詞の分類
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