フアン・ホーベルクとは? わかりやすく解説

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フアン・ホーベルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 04:54 UTC 版)

フアン・ホーベルク
名前
本名 フアン・エドゥアルド・ホーベルク
ラテン文字 Juan Hohberg
基本情報
国籍 ウルグアイ
アルゼンチン
生年月日 (1926-06-09) 1926年6月9日
出身地 コルドバ
没年月日 (1996-04-30) 1996年4月30日(69歳没)
身長 178cm
選手情報
ポジション FW(CF)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1946 セントラル・コルドバ・デ・ロサリオ 7 (2)
1947-1948 ロサリオ・セントラル 51 (31)
1949-1959 ペニャロール 130 (95)
1960 ラシン・モンテビデオ 6 (3)
1961 ククタ・デポルティーボ 37 (19)
代表歴
1954-1959  ウルグアイ 8 (3)
監督歴
1962-1963 ククタ・デポルティーボ
1964-1966 アトレティコ・ナシオナル
1968 パナシナイコス
1969-1970  ウルグアイ
1971 ペニャロール
1972 スポルト・ボーイズ
1974-1975 ウニベルシタリオ・デポルテス
1977  ウルグアイ
1977-1979 アリアンサ・リマ
1981  エクアドル
1981-1982 エメレク
1982 フアン・アウリチ
1983 デポルティーボ・ムニシパル
1985 スポルト・ボーイズ
1991-1992 デポルティーボ・ムニシパル
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フアン・エドゥアルド・ホーベルクスペイン語: Juan Eduardo Hohberg1926年6月19日 - 1996年4月30日)は、アルゼンチンウルグアイのサッカー選手、サッカー指導者。ウルグアイ代表選手。ウルグアイ代表監督、エクアドル代表監督を歴任。選手時代のポジションはFW

クラブ歴

1946年にセントラル・コルドバ・デ・ロサリオで選手となった。1947年にCAロサリオ・セントラルに移籍。

1948年にCAペニャロールに移籍し1959年まで在籍した。彼の在籍期間中にペニャロールは6回リーグ制覇をいた。

その後、ラシン・クラブ・デ・モンテビデオククタ・デポルティーボFCに在籍し引退した。

代表歴

ウルグアイ代表として1954 FIFAワールドカップに出場し3得点をあげた。そのうち2得点はハンガリー代表との準決勝に決めたもので、86分の彼の2点目で2-2となった試合は延長戦にまで縺れ込んだが、コチシュ・シャーンドルに2得点を浴びて敗北した。

監督歴

選手を引退したククタ・デポルティーボで監督となった。アトレティコ・ナシオナルの監督を経てパナシナイコスFCの監督に就任した。

1970年にはウルグアイ代表監督に就任し1970 FIFAワールドカップに出場、4位の結果を残した。

その後は、ペニャロールで監督した。1972年にスポルト・ボーイズの監督となりペルーに渡った。1974年にウニベルシタリオ・デポルテスでリーグ制覇、1977年と1978年にはアリアンサ・リマで再びリーグ制覇を達成した[1]

1981年にエクアドル代表の監督をし、1982年にCSエメレクの監督をした。その後は再びペルーで監督業を続けた。

個人

孫のアレハンドロ・ホーベルクはペルー代表のサッカー選手[2]

参考文献

  1. ^ Behr, Raúl. “La Curva Diagonal: De dos caras felices” (Spanish). Dechalaca.com. 2013年6月21日閲覧。
  2. ^ Alejandro Hohberg”. 2018年4月29日閲覧。

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