Wink時代(1988年 - 1996年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:27 UTC 版)
「相田翔子」の記事における「Wink時代(1988年 - 1996年)」の解説
1988年4月、高校卒業後に鈴木早智子とWinkを結成し、CX系ドラマ『熱っぽいの!』 主題歌「Sugar Baby Love」で歌手デビューする。デビュー当時は、頼りなさげな素人っぽい雰囲気を残し、ブレイク前の1988年夏のキャンペーンでは観客が入らず、楽屋で泣くこともあったという。1歳年上の鈴木早智子を「明るくて凄い優しい人だなって思って。お姉ちゃんと同じ歳で相談とかできていいんじゃないかなと」と慕う一方、「どんどん勉強して実力をつけて。あと、自分の書いたもの(註・詞だそうです)を人に見てもらえる位になりたい」と作詞に対する意欲を語っている。 1988年11月、シングル3作目となるCX系ドラマ『追いかけたいの!』 の主題歌「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」でブレイクを果たす。以降、1990年3月にリリースされた「Sexy Music」まで5曲連続オリコンチャート1位を獲得した。この間人気は頂点に達し、トップアイドルの仲間入りを果たす。さらに、ブレイク後の1989年12月には同年7月にリリースされたシングル5作目となる「淋しい熱帯魚」で第31回日本レコード大賞を受賞している。 Wink時代、特に全盛期には無表情でほとんど笑わないアイドルとして知られ、当時の所属事務所からは、笑うよう叱責されていた。本人は「当時は突然の人気に戸惑い、ずっと緊張が解けなくて笑うことができなかった」と回想している。その一方で、オルゴール人形のように無表情で独特な振り付けは、Winkのキャラクターとして定着していく。気負いのない素直な振舞いは、時にやる気がないとバッシングを受けることもあったが、本人はWink時代を通して音楽に打ち込み、挑戦を重ねてきた。また、周囲に媚びを売らず大人の対応をするように教えられたことはありがたかったと後に感謝の意を述べている。アルバムのソロ楽曲では、ノーランズ、ジョン・レノン、ベット・ミドラー、チャカ・カーン等、海外アーティストのカヴァーを積極的に取り上げ、歌手としての表現の幅を広げる(「#Wink時代のソロ楽曲」を参照)。さらに中期以降は、アルバムごとに自作曲を発表するようになる。1993年のアルバム『Αφροδιτη(アプロデーテ)』に収録された「おしえて」は、しっとりとしたバラードの曲想にのせて、切ない恋心を歌い上げた佳曲である。また、1994年のアルバム『voce』に収録された「裸足のマリオネット」は、ボサノヴァ志向を明らかにし、後のソロ活動を予見させるものとなった(「#Wink時代の自作曲」を参照)。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1995年3月、ソロ・プロジェクトに着手する[要出典]。そして、ソロ活動とのけじめをつけるため[要出典]、1996年3月をもってWinkとしての活動を停止する。アイドルユニットとしては異例の長期にわたるWink時代の約8年間は、あらゆる意味で鈴木早智子との厚い友情と周囲の熱意に支えられたものであり、自らの芸能活動の原点となったWinkについて、本人は「夢のようで刺激的で濃厚で鮮烈」なものだったとし、今でもWinkやその楽曲を大事に思うファン、当時のスタッフ、そして「早智子とじゃなければ私には出来なかったこと」と語っている。また、鈴木との仲についても、「Wink時代から不仲であり、それが原因で活動を停止した」という説が囁かれたこともあったが、実際には活動停止後も会ったり電話で話したりする機会も多く、自身の結婚式にも招待するなど、現在も交流は続いている。
※この「Wink時代(1988年 - 1996年)」の解説は、「相田翔子」の解説の一部です。
「Wink時代(1988年 - 1996年)」を含む「相田翔子」の記事については、「相田翔子」の概要を参照ください。
Wink時代(1988年 - 1996年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:51 UTC 版)
「鈴木早智子」の記事における「Wink時代(1988年 - 1996年)」の解説
1988年、ミス・アップ第9代グランプリである 相田翔子とWinkを結成し、4月27日のシングル「Sugar Baby Love」発売を以って歌手デビュー。Winkは、翌1989年には、年間62.95万枚を売り上げた「愛が止まらない」や、同じく54.873万枚を売り上げた「淋しい熱帯魚」などのヒット曲に恵まれ、この年の12月31日には、『第31回日本レコード大賞』での日本レコード大賞受賞 や『第40回NHK紅白歌合戦』への出場 を果たすなど、一躍スターダムに上りつめる。 Winkの各アルバムには、『At Heel Diamonds』(1988年12月1日発売)を除き鈴木のソロ曲が1曲または2曲収録されており、クール&ザ・ギャングのカバーや来生たかおの提供曲などを歌っているが、その他、鈴木単独としては、以下のような動向が見られた。 1990年12月22日公開の映画『きんぴら』に単独出演するが、この時期にはそれ以外のソロでの活動は行なっていない。 1991年11月25日発売のアルバム『Sapphire』以降、Winkの活動期間中には、Miyoko.A名義で3曲、鈴木早智子名義で2曲の作詞を手掛けた。 1992年3月25日、Wink時代唯一のソロ・アルバム『Mode』を発売。この年に特に集中的に、テレビドラマの脇役やバラエティ番組のゲストなどとして、単独でテレビ番組に出演している。 1993年10月20日より翌年9月7日までの1年間、『志村けんはいかがでしょう』(フジテレビ系)のコントにレギュラー出演。テレビドラマ以外ではWink時代唯一のテレビ番組単独レギュラー出演となった。 1994年11月、単身渡米し、およそ2週間、ニューヨークでダンスのレッスンやボイストレーニングを受ける。 1995年3月18日より26日まで公演された舞台『怪盗チェリーのレストラン』で、主演としてチェリー役を演じ、初めて舞台に出演。 この年、日本ボウリング場協会のCM「ボウリング マジック!!」に起用され、初のCM単独出演を果たしている。 1996年2月25日、Wink時代唯一のソロ・シングル「La Gioconda」を発売。 この年3月5日放送の『江戸の用心棒II』(日本テレビ系)において時代劇に初出演するが、2月下旬乃至3月初頭に京都の太秦でその撮影を終え、帰京した直後、所属事務所の社長より鈴木一人が社長室へ呼び出され、突如としてWinkの活動停止を宣告された。 同月31日を以ってWinkは活動を停止。鈴木は、2010年に上梓した自叙伝『負けじ魂』で、「今もって活動停止の理由や原因は分かりません。聞かされてもいないし、知らされてもいない。」と述べている。 その後の鈴木は、自らが専ら歌手であるという認識を保ち続けてゆくが、下記の通り、主にタレントや女優として芸能活動を継続することとなる。
※この「Wink時代(1988年 - 1996年)」の解説は、「鈴木早智子」の解説の一部です。
「Wink時代(1988年 - 1996年)」を含む「鈴木早智子」の記事については、「鈴木早智子」の概要を参照ください。
- Wink時代のページへのリンク