病臥と「病弱」イメージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:51 UTC 版)
「鈴木早智子」の記事における「病臥と「病弱」イメージ」の解説
鈴木は、Wink時代の最初期から風邪などでダウンすることがあり、1989年の初頭に、「デビューしてからホント急に体が弱くなっちゃって……」と語ったことがあるが、その後、1989年から翌1990年にかけての、Winkの最盛期で多忙を極めた時期には、以下のように病床に臥している。 まず、1989年5月29日に、咽頭炎で生放送番組の『歌のトップテン』(日本テレビ系)を欠場。 そのおよそ半年後、11月9日生放送の『音楽派Together』(TBS系)を急性胃炎により欠場。 翌12月にも腹痛でダウン。 『第31回日本レコード大賞』と『第40回NHK紅白歌合戦』を前日に乗り切った1990年の元日 には、ストレス性の急性胃腸炎で倒れ、入院することとなり、1月8日に『歌のトップテン』を欠場。また、その翌々日である10日に公演予定だった、静岡県の磐田市民文化会館における「Shining Star Concert」 が、同月22日に開催されることとなり、この公演が行なわれた日に生放送された『歌のトップテン』においては、コンサートを終えたWinkが同地から中継で出演している。 そして同年7月に急性肝炎で自宅療養を余儀なくされ、同月4日生放送の『夜のヒットスタジオSUPER』(フジテレビ系)や、15日放送の『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)、25日放送の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)を欠場した。これに加え、同じ月の14日から開催されたコンサート・ツアー「Especially For You II」は、暫く相田翔子が一人で行なうことになり、鈴木は同月26日の川崎公演から出演している。なお、この時の病臥に関し、週刊誌において、倒れた10日後にスタッフと共に飲酒していたと報じられたことがあるが、後年、これについて吉田豪が鈴木へのインタビュー中に言及した際には、彼女は、飲酒をしないためそれはありえない旨を語っている。 その他、左側の腎臓が生まれつき弱く、腎結石で血尿になったこともあるという。 これらによって、Wink時代には、鈴木に「病弱」というイメージがつくこととなったが、彼女自身が語るところによれば、Wink結成前には病弱ということはなく、「精神的なものが左右した」ものであった。その後、ヒット曲が少なくなってきた頃からは、余裕を持って歌を歌えることにより、やっと仕事が楽しめるようになったという。 なお、相田翔子にも「病弱」イメージが付されたことがあり、週刊誌の記事で「病弱アイドル」と形容されたこともある。
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