NECのコンピュータの歴史
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「日本電気」の記事における「NECのコンピュータの歴史」の解説
パーソナルコンピュータに関しては、 PC-9800シリーズ などの「過去の製品の各項目」も参照 黎明期 NECのコンピュータは、戦前のリレー式自動電話交換機の開発に端を発し、日本電気の中島章は1936年(昭和11年)、後の真空管・半導体コンピュータの論理回路にあたるリレー回路の論理設計を論理数学(ブール代数)により行う理論を発表している。 戦後の1950年代には、パラメトロンコンピュータNEAC-1101シリーズ、トランジスタコンピュータNEAC-2201シリーズやFONTAC(富士通/沖/NEC共同コンピュータ)といわれる初期コンピュータを構築した。さらに、1960年代半ばに始まる経済産業省(当時)主体の大型プロジェクト超高性能電子計算機開発計画においては、IBMなどの海外のコンピュータベンダに寄らない日本独自のコンピュータシステムを構築すべく、電機メーカに対し通産省の元でコンピュータシステムの開発を進めた。 1970年代 1973年(昭和48年)、日本ではコンピュータの輸入自由化が決定された。IBMを初めとする海外メーカーに日本市場を席巻されると考えた通商産業省は国内コンピュータ業界の再編に乗り出し、当時6社あった国産コンピュータメーカーのうち東芝とNECを1つのグループとし、補助金を支給のうえ、各社に「IBM対抗機」を開発させた。この際に開発されたのが、メインフレームACOSシリーズである。「三大コンピューターグループ」を参照 1976年にはワンボードマイコンのTK-80、1979年には初期のパソコンPC-8001を発売した。 1980年代 それまでの汎用機に加えて、ミニコンピュータやオフィスコンピュータのMSシリーズ/N5200シリーズといった小型サーバ機のカテゴリにも進出した。1985年(昭和60年)には通産省主導のΣプロジェクトに参加し、EWS4800によるUNIXワークステーションといったUNIX製品群においても、CAE-2Dなどを発売した。また、同年(Cray-2がリリースされるまでのつかの間)スーパーコンピュータSX-2が世界最速のコンピュータとなった。さらに、1987年には家庭用ゲーム機のPCエンジンを発売した。 NECのパソコンは1980年前半には日本国内を代表するブランドとなり、1987年には国内シェア9割を握った。世界シェアでも上位を占めていた が、1990年代より海外市場でのシェアは低下していった。NECのPCは、Windows以降の巨大な勢力であるPC/AT互換機とも激しい競争を繰り広げ、日本メーカーでは最後まで独自規格を貫いたが、最終的には最後発となりながらも標準規格を採用した(なお、他の日本メーカーの規格は比較的早い段階で消えていった)。また、PC-9800シリーズ互換性で、産業用としての信頼性と耐環境性を備えたFC-98シリーズはファクトリーコンピュータという分野の開拓に貢献した。 1990年代 UNIX戦争の影響やその後の、Windows OSベースのサーバやワークステーションの躍進を受けての、国産UNIX市場の衰退により、自社独自開発のUNIX関連製品群を放棄、HP-UXのOEMへの縮退に至った。1990年代後半に至ると、国内PC市場でのPC/AT互換機によるシェア浸食が進み、1997年には遂にPC98規格(Wintelが策定したもの)に準拠したPC-98NXを発売し、営々と築き上げた独自規格を断念した。 2000年代 個人向けPC事業においては、長らく日本電気本体(一時期は新日本電気も含まれていた)が事業を統括して、傘下の生産子会社(NEC米沢・NEC群馬・NEC新潟・日本電気データ機器)で製造を行う形を取っていた。しかし、2001年(平成13年)10月に製造をNECカスタムテクニカ、個人向け(VALUESTAR・LaVie)の販売をNECカスタマックスに統合再編し、さらに2003年(平成15年)7月、この2社が合併したNECパーソナルプロダクツが個人向けの事業を行い、企業向け(Mate・VersaPro)についてはNECパーソナルプロダクツで製造、販売は日本電気(NEC)本体が担当した[リンク切れ]。2009年(平成21年)には海外のパソコン事業から撤退、国内専業に甘んじる状態となった。サーバービジネスにおいても、2000年代より急速に普及したパブリッククラウドというビジネス形態でアメリカの企業に独走を許すことになった。 2010年代以降 2011年、NECパーソナルコンピュータはレノボ傘下のNECレノボ・ジャパングループ入りすることとなった。2004年よりのItanium系サーバの展開は2012年をもって終了した。さらに、2015年にはオフィスコンピュータの製造より撤退した。保守サポートは2023年まで継続する。2017年より、海外勢より遅れを取っていた、サーバーとストレージを統合したハイパーコンバージド(HCI)型の製品を発売している。PCに関しては、往年の圧倒的シェアはないものの、レノボと合弁で国内シェアでトップを維持している。
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