NECのコンピュータの歴史とは? わかりやすく解説

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NECのコンピュータの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:53 UTC 版)

日本電気」の記事における「NECのコンピュータの歴史」の解説

パーソナルコンピュータに関しては、 PC-9800シリーズ などの「過去の製品の各項目」も参照 黎明期 NECコンピュータは、戦前リレー自動電話交換機開発端を発し日本電気中島章1936年昭和11年)、後の真空管半導体コンピュータ論理回路にあたるリレー回路論理設計論理数学ブール代数)により行う理論発表している。 戦後1950年代には、パラメトロンコンピュータNEAC-1101シリーズトランジスタコンピュータNEAC-2201シリーズFONTAC富士通/沖/NEC共同コンピュータといわれる初期コンピュータ構築した。さらに、1960年代半ばに始まる経済産業省当時主体大型プロジェクト高性能電子計算機開発計画においてはIBMなどの海外のコンピュータベンダに寄らない日本独自コンピュータシステム構築すべく、電機メーカ対し通産省の元でコンピュータシステム開発進めた1970年代 1973年昭和48年)、日本ではコンピュータ輸入自由化決定された。IBM初めとする海外メーカー日本市場席巻されると考えた通商産業省国内コンピュータ業界再編乗り出し当時6社あった国産コンピュータメーカーのうち東芝NEC1つグループとし、補助金支給のうえ、各社に「IBM対抗機」を開発させた。この際開発されたのが、メインフレームACOSシリーズである。「三大コンピューターグループ」を参照 1976年にはワンボードマイコンTK-801979年には初期パソコンPC-8001発売した1980年代 それまで汎用機加えてミニコンピュータオフィスコンピュータMSシリーズ/N5200シリーズといった小型サーバ機のカテゴリにも進出した1985年昭和60年)には通産省主導Σプロジェクト参加しEWS4800によるUNIXワークステーションといったUNIX製品群においても、CAE-2Dなどを発売したまた、同年Cray-2リリースされるまでのつかの間スーパーコンピュータSX-2が世界最速コンピュータとなった。さらに、1987年には家庭用ゲーム機PCエンジン発売したNECのパソコン1980年前半には日本国内代表するブランドとなり、1987年には国内シェア9割を握った世界シェアでも上位占めていた が、1990年代より海外市場でのシェア低下していった。NECPCは、Windows以降巨大な勢力であるPC/AT互換機とも激し競争繰り広げ日本メーカーでは最後まで独自規格貫いたが、最終的に最後発となりながらも標準規格採用した(なお、他の日本メーカー規格比較早い段階消えていった)。また、PC-9800シリーズ互換性で、産業用としての信頼性耐環境性備えたFC-98シリーズファクトリーコンピュータという分野開拓貢献した1990年代 UNIX戦争影響その後の、Windows OSベースサーバワークステーション躍進受けての、国産UNIX市場衰退により、自社独自開発UNIX関連製品群を放棄HP-UXOEMへの縮退至った1990年代後半に至ると、国内PC市場でのPC/AT互換機によるシェア浸食進み1997年には遂にPC98規格Wintel策定したもの)に準拠したPC-98NX発売し営々と築き上げた独自規格断念した2000年代 個人向けPC事業においては長らく日本電気本体一時期新日本電気含まれていた)が事業統括して傘下生産子会社NEC米沢NEC群馬NEC新潟日本電気データ機器)で製造を行う形を取っていた。しかし、2001年平成13年10月製造NECカスタムテクニカ、個人向けVALUESTARLaVie)の販売NECカスタマックスに統合再編し、さらに2003年平成15年7月、この2社が合併したNECパーソナルプロダクツが個人向け事業行い企業向けMateVersaPro)についてはNECパーソナルプロダクツで製造販売日本電気NEC本体担当した[リンク切れ]。2009年平成21年)には海外パソコン事業から撤退国内専業甘んじる態となった。サーバービジネスにおいても、2000年代より急速に普及したパブリッククラウドというビジネス形態アメリカ企業独走を許すことになった2010年代以降 2011年NECパーソナルコンピュータレノボ傘下NECレノボ・ジャパングループ入りすることとなった2004年よりのItaniumサーバの展開は2012年をもって終了した。さらに、2015年にはオフィスコンピュータ製造より撤退した保守サポート2023年まで継続する2017年より、海外勢より遅れを取っていた、サーバーストレージ統合したハイパーコンバージド(HCI)型の製品発売している。PCに関しては、往年の圧倒的シェアはないものの、レノボ合弁国内シェアトップ維持している。

※この「NECのコンピュータの歴史」の解説は、「日本電気」の解説の一部です。
「NECのコンピュータの歴史」を含む「日本電気」の記事については、「日本電気」の概要を参照ください。

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