NECの半導体の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:53 UTC 版)
NECは1947年からマイクロ波通信用の半導体レーザーの研究に着手していた。1958年には新しい事業として半導体開発部がスタートした。1960年代には集積回路 (IC) の事業化へとこぎつけた。海外にも進出し、1983年には英国女王の臨席を得てNECスコットランドの開所式を行い、それに先立つ1978年には米国シリコンバレーでエレクトロニック・アレーズ9002(英語版)を開発したエレクトロニック・アレーズを買収、また、ブラジル、シンガポールにも進出した。1980年代には「日の丸半導体」の一角を担い、メモリ、プロセッサなどで世界上位にあり、多大な利益を上げていた(1985年から1991年まで売上世界首位)。 しかし、貿易摩擦や、東アジアにおいて日本製製造装置を輸入して完成品の半導体を製造するサムスンなどの韓国や台湾の半導体企業群の隆盛による価格下落の影響で利益を上げることが難しくなった。更に1990年代に入ると委託生産のため上記のアジア諸国メーカーへの積極的な技術供与も行われていて、先端品に近い半導体の製造技術まで流れることとなった。業況悪化を受け、まずメモリ部門を2000年に日立製作所との合弁という形でNEC日立メモリ(現:エルピーダ→マイクロンメモリジャパン)として、原点であるマイクロ波半導体を含む化合物半導体部門は2001年にNEC化合物デバイス(2006年に後述のNECエレクトロニクスと合併)として分社、続いて集積回路部門も2002年にNECエレクトロニクス(現:ルネサスエレクトロニクス)として分社化した。いずれの企業もその後、経営危機に伴う出資比率の変更に伴い、NECの関連会社から離れることになった。半導体事業が斜陽化した点については、選択と集中を進められなかったことが原因として指摘されている。
※この「NECの半導体の歴史」の解説は、「日本電気」の解説の一部です。
「NECの半導体の歴史」を含む「日本電気」の記事については、「日本電気」の概要を参照ください。
- NECの半導体の歴史のページへのリンク