20世紀後半頃までの芸術
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「女性アーティスト」の記事における「20世紀後半頃までの芸術」の解説
ドロシア・ラング、「移民の母」、1936年頃 ジナイーダ・セレブリャコワ、「収穫」、1915年 アレクサンドラ・エクステル、「ロミオとジュリエットの衣装デザイン」、1921、M.T.エイブラハム財団 フローリン・ステットハイマー、「熱気」、1919年頃、ブルックリン美術館 フリーダ・カーロ美術館「青い家」 ハノーファーにあるニキ・ド・サンファルの屋外彫刻、「ナナ」 マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ(1865–1933)はスコットランドの芸術家で、1890年代から20世紀はじめの「グラスゴー・スタイル」を決定するのに活躍した。夫である建築家でデザイナーのチャールズ・レニー・マッキントッシュとしばしば協働しており、その作品はヨーロッパ美術に影響を及ぼした。1900年にウィーン分離派展に出展し、グスタフ・クリムトのような分離派の画家に影響を与えたと考えられている。 ウィルヘルミナ・ウェーバー・ファーロング(1878–1962)はニューヨークで活動したアメリカの初期モダニストであり、アート・スチューデント・リーグやホイットニー美術館に作品が所蔵され、現代アメリカの芸術に非常に貢献した。 アレクサンドラ・エクステルリュボーフィ・ポポーワはロシア構成主義、立体未来主義、シュプレマティスムの芸術家であり、20世紀初頭のキエフ、モスクワ、パリで非常によく知られ、尊敬を受けていた。他にロシア・アヴァンギャルドの女性芸術家で著名な人物としてはナタリア・ゴンチャロワ、ワルワーラ・ステパノワなどがいる。 ソニア・ドローネーは夫ロベール・ドローネーとともにオルフィスムを創始した。 アール・デコの時代にはヒルドレス・メイエール(Hildreth Meiere)が大規模なモザイクを作成し、アメリカ建築家協会のファインアーツメダルを獲得した最初の女性となった。タマラ・ド・レンピッカもこの時代のポーランド出身のアール・デコ画家である。修道女であるシスター・マリア・スタニシアは主に聖職者の肖像画で有名な肖像画家となった。 ジョージア・オキーフは19世紀後半に生まれ、花、骨、ニューメキシコ州の風景を描いた絵で有名になった。1927年にはドッド・プロクターの絵「朝」がロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの夏の展示で「今年の絵画」に選ばれ、デイリー・メイルが購入してテイト・ギャラリ-に入った。好評を博し、ニューヨークで展示され、英国内でも2年間ツアーをした。 シュルレアリスムは1920年代から30年代にかけて重要な芸術様式であり、多数の傑出した女性アーティストを生んだ。ドロテア・タニング、レオノーラ・キャリントン、ケイ・セージ、レメディオス・バロ、レオノール・フィニなどがあげられる。メキシコを代表する画家であるフリーダ・カーロもシュルレアリスムの流れに位置づけられる女性芸術家である。 ダダイスムにおいても女性芸術家の活躍が見られる。「毛皮の朝食」を制作したメレット・オッペンハイムや、フォトモンタージュ技法のパイオニアのひとりであるハンナ・ヘッヒなどはダダの流れに位置づけることができる芸術家である。 リー・ミラーはソラリゼーションを再発見し、ハイ・ファッションの写真家となった。ドロシア・ラングは大恐慌を写真でとらえた。マーガレット・バーク=ホワイトの写真が『ライフ』創刊号の表紙を飾った。ダイアン・アーバスは主流社会の外にいるアウトサイダーたちを撮影した。グラシエラ・イトゥルビデの作品はメキシコの生活とフェミニズムを題材とし、ティナ・モドッティは1920年代メキシコの「革命のアイコンたち」を撮影した。アニー・リーボヴィッツの写真はロックスターや有名人を題材としている。 版画・彫刻の分野で活躍したアーティストとしてはケーテ・コルヴィッツがあげられる。ベルリン分離派やフランス印象派などさまざまな作風から影響を受けつつ、労働者や女性についての作品を制作した。ドイツを代表する芸術家として高い評価を受けていたが、ナチスの台頭後は不遇であった。 メアリー・キャロル・ネルソンはマルチメディアレイヤリズム協会(Society of Layerists in Multi-Media, SLMM)を設立し、メンバーはエミール・ビストラムと超越絵画グループの伝統や、太平洋北西ヴィジョナリー・アート・スクールのモーリス・グレイヴズなどの伝統に倣った。1970年代にはジュディ・シカゴが「ディナー・パーティ」を制作し、フェミニズムアートの最も重要な作品になった。 ヘレン・フランケンサーラーは抽象表現主義の画家であり、ジャクソン・ポロックなどに影響を受けた。リー・クラズナーも抽象表現主義の芸術家であり、ポロックと結婚してハンス・ホフマンに師事した。エレイン・デ・クーニングはウィレム・デ・クーニングの弟子で、のちに妻となったが、本人も表現主義の画家であった。この他に抽象表現主義の画家としてはアン・ライアンなどもいる。ジェーン・フランクはやはりハンス・ホフマンの弟子であり、カンバスにミクストメディアを用いて制作した。カナダではマルセル・フェロンがオートマティスムの代表者となった。 フランスのニキ・ド・サンファルは60年代に射撃絵画で名をあげた後、明るい色彩で女性を表現した立体作品「ナナ」を作成した。「ナナ」などの作品は世界各地に屋外彫刻などの形で設置されている。晩年にはイタリアのトスカーナにタロット・ガーデンを建設した 日本のアーティスト、草間彌生の絵画、コラージュ、ソフト・スカルプチュア、パフォーマンスアート、環境インスタレーションはどれも反復、型、蓄積への執着という共通点を有している。草間の作品はフェミニズム、ミニマリズム、シュルレアリスム、アール・ブリュット、ポップアート、抽象表現主義などの特徴があり、自伝的・心理的・性的な意味合いに満ちている。2008年11月、ニューヨークのクリスティーズのオークションハウスで、草間の1959年の絵画"No. 2"が510万ドルで売れ、これは存命の女性アーティストの作品としては最高値であった。 日本のアーティストとしてはオノ・ヨーコも世界的に著名である。フルクサスなどと協働したのち、1960年代にコンセプチュアル・アート的な作品を多数発表した。ジョン・レノンの妻である。 1960年代以降、フェミニズムは女性の芸術家とその研究に対する関心の高まりに大きく貢献した。美術史やフェミニスト批評の主要な研究者として、ジャーメイン・グリア、グリゼルダ・ポロック、リンダ・ノックリンなどをあげることができる。アルテミジア・ジェンティレスキやフリーダ・カーロのような芸術家は比較的知られていなかったが、フェミニズムの文化的アイコンになった。 ゲリラガールズは1985年に結成された匿名の女性グループであり、「芸術界の良心」を名乗っている。ジェンダーと人種に対する芸術界の無関心と不平等に対抗する活動を行った。ゲリラガールズは啓発と変化のため、しばしばユーモラスなポスターを作成した。
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