20世紀戦後とは? わかりやすく解説

20世紀戦後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 00:07 UTC 版)

魚津水族館」の記事における「20世紀戦後」の解説

1953年6月25日 - 富山産業博覧会機に初代水族館隣接地水族館建設決定会場予定地を使用している水産加工業者や定置網組合からの反対の声もあったが、地元一丸となって誘致活動行っていたことから、建設決定された。建設候補地は、前述の他は下中島地区道下地区経田地区誘致名乗りを上げていた。 1953年9月 - 2代目水族館着工1954年4月11日 - 富山産業博覧会魚津会場として、2代目水族館市立)が初代水族館跡の隣接地現在の本町一丁目個人宅跡)に開館広さ3,300㎡、建坪660木造モルタル2階建て(一部3階建て1階日本海展示する海水2階熱帯魚水槽標本室会議室3階展示室と会議室)で、展示生物150400体、標本1500種、海獣剥製海藻標本などで、当時日本海側最大水族館であった。なお、飼育海水水温調節設備無かったため、12月から3月冬季休館となっていた。博覧会開催中市道向かい側海浜地に蜃気楼館、ホタルイカ館、遊園地動物園設置されていて、水族館とは道路を跨ぐ大桟橋結ばれていた。 11月 - 魚津市役所商工水産課が水族館内に移転した1955年4月 - ホタルイカとマツサカウオを展示する施設として、龍宮城模したホタルイカ館を建設5月9日完成1961年10月14日 - 皇太子(現・明仁上皇夫妻来館1965年 - 地元漁業協同組合からの援助得て当時日本の水族館では珍しい『水産種苗飼育試験室』を設置1980年まで)。 1973年 - 水族館審議委員会により、3代目水族館に関する協議1976年まで行われる。なお、この年8月19日には、同日閉館後魚類標本展示室(旧・ほたるいか館)が老朽化のため崩落している。 1977年 - 魚津市議会水族館建設特別委員会設置1981年4月まで度々開かれ基本構想基本計画実施計画などの協議1981年4月まで行われる1979年4月 - 水族館建設事務所設置9月 - 社会教育施設補助金国庫補助金1億3千万円、富山県補助金1億円)を得て3代目水族館着工1980年8月 - 3代目水族館完成10月31日 - 2代目水族館閉館10月25日から同31日まで無料開放された(跡地大町公民館とこばと児童センターとなった)。 11月7日 - 展示生物3代目水族館移転する作業開始1981年4月9日 - 3代目水族館落成式4月10日 - 3代目水族館現在地三ケ魚津総合公園敷地内)に開館世界で初めてのアクリルでできたトンネルのある水槽や、当時としては珍しかった波の出る水槽取り入れた施設冷暖房完備となり、飼育設備集中管理方式となった。約66㎡のレストハウスや約200㎡の休憩所完備された。この他入り口には龍宮城イメージした門があった。同時に民生経済部から教育委員会所管となった1996年 - 3代目開館15周年合わせて外壁塗装塗り替える

※この「20世紀戦後」の解説は、「魚津水族館」の解説の一部です。
「20世紀戦後」を含む「魚津水族館」の記事については、「魚津水族館」の概要を参照ください。

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