20世紀戦後
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1953年6月25日 - 富山産業大博覧会を機に初代水族館隣接地に水族館の建設を決定。会場予定地を使用している水産加工業者や定置網組合からの反対の声もあったが、地元が一丸となって誘致活動を行っていたことから、建設が決定された。建設候補地は、前述の他は下中島地区、道下地区、経田地区も誘致に名乗りを上げていた。 1953年9月 - 2代目の水族館が着工。 1954年4月11日 - 富山産業博覧会の魚津会場として、2代目の水族館(市立)が初代水族館跡の隣接地(現在の本町一丁目、個人宅跡)に開館。広さ3,300㎡、建坪660㎡木造モルタル2階建て(一部3階建て、1階が日本海の魚を展示する海水槽、2階が熱帯魚の水槽や標本室や会議室、3階が展示室と会議室)で、展示生物は150種400体、標本1500種、海獣剥製、海藻類標本などで、当時は日本海側最大の水族館であった。なお、飼育海水の水温調節の設備が無かったため、12月から3月は冬季休館となっていた。博覧会開催中は市道の向かい側の海浜地に蜃気楼館、ホタルイカ館、遊園地、動物園も設置されていて、水族館とは道路を跨ぐ大桟橋で結ばれていた。 11月 - 魚津市役所商工水産課が水族館内に移転した。 1955年4月 - ホタルイカとマツサカウオを展示する施設として、龍宮城を模したホタルイカ館を建設、5月9日完成。 1961年10月14日 - 皇太子(現・明仁上皇)夫妻が来館。 1965年 - 地元の漁業協同組合からの援助も得て、当時の日本の水族館では珍しい『水産種苗飼育試験室』を設置(1980年まで)。 1973年 - 水族館審議委員会により、3代目水族館に関する協議が1976年までに行われる。なお、この年の8月19日には、同日の閉館後に魚類標本展示室(旧・ほたるいか館)が老朽化のため崩落している。 1977年 - 魚津市議会に水族館建設特別委員会を設置。1981年4月まで度々開かれ、基本構想、基本計画、実施計画などの協議が1981年4月まで行われる。 1979年4月 - 水族館建設事務所を設置。 9月 - 社会教育施設補助金(国庫補助金1億3千万円、富山県補助金1億円)を得て、3代目水族館着工。 1980年8月 - 3代目水族館完成。 10月31日 - 2代目水族館閉館。10月25日から同31日まで無料開放された(跡地は大町公民館とこばと児童センターとなった)。 11月7日 - 展示生物を3代目水族館に移転する作業を開始。 1981年4月9日 - 3代目水族館落成式。 4月10日 - 3代目の水族館が現在地の三ケ(魚津総合公園敷地内)に開館。世界で初めてのアクリルでできたトンネルのある水槽や、当時としては珍しかった波の出る水槽を取り入れた。施設も冷暖房完備となり、飼育設備も集中管理方式となった。約66㎡のレストハウスや約200㎡の休憩所も完備された。この他、入り口には龍宮城をイメージした門があった。同時に民生経済部から教育委員会の所管となった。 1996年 - 3代目開館15周年に合わせて、外壁塗装を塗り替える。
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