20世紀後半の衰退と再生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 22:29 UTC 版)
「オマハ (ネブラスカ州)」の記事における「20世紀後半の衰退と再生」の解説
1950年代後半に精肉業でシカゴをしのいだオマハであったが、その後1960年代に入ると、それまでオマハの地域経済を支えてきた鉄道と精肉業がともに構造変化の波に遭い、10,000人が職を失った。オマハが地域経済構造を変革させていくのにはしばらく時間がかかった。この打撃を特に大きく受けたのはアフリカ系住民で、その集住地区であったノースオマハ地区においては貧困が広がった。1960年代だけで、ニアノースサイド地区のノース24thストリートでは大規模な人種暴動が3度起こり、地区の経済基盤が破壊され、復興するまでには数十年を要した。1968年4月にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が暗殺されると、その絶望感から、既に貧困層が大多数を占めていたローガン・フォントネル団地をはじめ、ノースオマハ地区で複数の暴動が起こった。 ジーン・レイヒー・モール オールド・マーケット 1969年、ダウンタウンに30階建て、高さ145.7mのウッドメン・タワーが建てられたのが、オマハ再生ののろしであった。1970年代以降、オマハの市域は西へと広がり、72ndストリートより西のウェストオマハ地区に、白人を中心に人口が集中するようになった。一方、ノースオマハ、サウスオマハの両地区は新しい移民を呼び込み、経済的・人種的に多様性を増していった。また、1970年代後半に入ると、ジーン・レイヒー・モールの設置やオマハ公立図書館の本館であるW・デール・クラーク図書館を皮切りに、ダウンタウンの再開発が始まった。1980年代には、オマハのダウンタウンの果物倉庫がオールド・マーケットというショッピングエリアに生まれ変わった。1989年には、荒廃していた倉庫街、ジョバーズ・キャニオン歴史地区の24棟の建物を取り壊し、跡地にコナグラ・フーズの本社が置かれた。しかし、国家歴史登録財に登録されていた、当時全米最大の歴史地区であったジョバーズ・キャニオン歴史地区を、取り壊しに同意しなければ本社を移転すると脅してまで取り壊させたコナグラ・フーズ社のやり方には批判も多く、これを契機に歴史的建造物保存の機運が高まった。ナッシュ・ブロックなど、周辺の建物のいくつかはコンドミニアムへと姿を変えた。オマハの精肉業隆盛の象徴であったストックヤードは、家畜取引所を除いて取り壊されたが、家畜取引所は1999年に国家歴史登録財に登録され 、多目的ビルへと転用された。 しかし再生が進む一方で、1980-90年代にかけて、少なからぬ企業の本社がオマハから離れていった。エンロンの起源の1つであったノーザン天然ガス会社は1930年にオマハで創業したが、1985年にヒューストン天然ガス会社と合併した後、本社がヒューストンに移された。大手クレジットカード決済会社であったファーストデータは、1971年にオマハで創業したが、オマハからデンバー都市圏へ、そしてアトランタへと移転した。1982年にオマハで創業したバルコムを起源の1つとするイナコムは2000年に倒産した。ノースウェスタン・ベルは1896年の創業以来オマハに本社を置いていたが、1991年にUSウェストに合併され、その本社が置かれているデンバーに移転した。レベル3コミュニケーションズおよびMFSはともに、オマハに本社を置くピーター・キューイット・サンズ社からスピンオフした会社であるが、前者は1998年にコロラド州ブルームフィールドに移転し、後者は1996年にワールドコムに合併され、その本社が置かれていたミシシッピ州クリントンに移転した。
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