20世紀後半のイタリア哲学とは? わかりやすく解説

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20世紀後半のイタリア哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/10 21:20 UTC 版)

イタリア現代思想」の記事における「20世紀後半のイタリア哲学」の解説

ファシストだったためにパルチザンによって殺害され戦後クローチェ比してその影を潜めていったジェンティーレだが、しかし大学での教育活動にも熱心だったジェンティーレのもとからは、戦前からひきつづいて戦後活躍する多く哲学者あらわれる。ジュゼッペ・サイッタ(Giuseppe Saitta, 1881-1965)、ヴィート・ファツィオ・アルマイエル(Vito Fazio Allmayer, 1885-1965)、ウーゴ・スピリト(Ugo Spirito, 1896-1979)、グイド・カロージェロ(Guido Calogero, 1904-1986)らは、ジェンティーレ活動主義的観念論引き継いで深化させ、とりわけスピリトはそこから独自の思想形成おこなったまた、アルマンド・カルリーニ(Armando Carlini, 1878-1959)、アウグスト・グッツォ(Augusto Guzzo, 1894-1986)、ミケーレ・フェデリカ・シャッカ(Michele Federica Sciacca, 1908-1975)らの「キリスト教スピリチュアリスム(新スピリチュアリスム)」もまた、ジェンティーレ活動主義的観念論多かれ少なかれ引き継いでいる。 ジェンティーレ活動主義的観念論は、そのほかにも、アントニオ・ネグリAntonio Negri, 1933- )のマルクス主義にも少なからず影響与えた。なお、アントニオ・グラムシAntonio Gramsci, 1891-1937)を筆頭とするイタリアマルクス主義は、戦後はガルヴァーノ・デッラ・ヴォルペ(Galvano della Volpe, 1895-1968)やチェーザレ・ルポリーニ(Cesare Luporini, 1909-1993)らによって引き継がれ後述するバンフィやパーチなどマルクス主義には収まりきらない哲学者も生みだす一方でネグリ思想をひとつの主軸にした「マルチチュード派」が形成され、アウグスト・イッルミナーティ(Augusto Illuminati, 1937- )やパオロ・ヴィルノ(Paolo Virno, 1952- )といった哲学者あらわれている。 ジェンティーレ影響下にあるキリスト教スピリチュアリスムとは別にイタリアのキリスト教哲学大きな位置占めるものとして、エミリオ・キオケッティ(Emilio Chiocchetti, 1880-1951)、アマート・マスノーヴォ(Amato Masnovo, 1880-1955)、フランチェスコ・オルジャーティ(Francesco Olgiati, 1886-1962)、グスターヴォ・ボンタディーニ(Gustavo Bontadini, 1903-1990)らの「新トマス主義」がある。アリストテレス主義スコラ哲学擁護する点で、新トマス主義は、前述キリスト教スピリチュアリスム対立した。なお、ボンタディーニのもとからは、マルティン・ハイデッガー影響下に「パルメニデス帰れ」と唱えて西洋形而上学ラディカル問いなおしをおこなっているエマヌエーレ・セヴェリーノ(Emanuele Severino, 1929- )があらわれている。 また、こうした流れとは一線を画しつつ、宗教社会について独自の思索おこなった哲学者に、ジュゼッペ・カポグラッシ(Giuseppe Capograssi, 1889-1956)、アウグスト・デル・ノーチェ(Augusto del Noce, 1910-1989)、ピエトロ・ピオヴァーニ(Pietro Piovani, 1922-1980)、セルジョ・クインツィオ(Sergio Quinzio, 1927-1996)などがいる。 しかし、こうした戦後動向なかでもっとも大きな位置占めたのは「現象学」と「実存主義」である。現象学は、新カント主義マルクス主義から出発したアントニオ・バンフィ(Antonio Banfi, 1886-1957)、マルクスおよびフッサールホワイトヘッドとの対決通してその実主義的な思想形成したエンツォ・パーチ(Enzo Paci, 1911-1976)らによって導入され、ジッロ・ドルフレス(Gillo Dorfles, 1910- )、ルチャーノ・アンチェスキ(Luciano Anceschi, 1911-1995)、ディーノ・フォルマッジョ(Dino Formaggio, 1914- )などのおもに美学領域活躍した哲学者たちも生みだした美学と結びついた現象学流れその後連綿と続き、現在ではメルロ=ポンティ研究者としても国際的に活躍するマウロ・カルボーネ(Mauro Carbone, ?- )のような現象学者を生みだしている。実存主義については、キリスト教スピリチュアリスム哲学者たちは多かれ少なかれその影響下にあり、実存主義一端担ったが、それとは異な立場から実存主義展開した哲学者に、前述パーチ、およびニコラ・アッバニャーノ(Nicola Abbagnano, 1901-1990)、ルイジ・パレイゾンLuigi Pareyson, 1918-1991)らがいる。実存主義根ざしつつも独自の「解釈学」を打ち立てたパレイゾンのもとからは、ウンベルト・エーコUmberto Eco, 1932- )、ジャンニ・ヴァッティモGianni Vattimo, 1936- )、マリオ・ペルニオーラMario Perniola, 1941- )、セルジョ・ジヴォーネSergio Givone, 1944- )、ディエゴ・マルコーニ(Diego Marconi, 1947- )らをはじめとした数多く哲学者あらわれた。とくにエーコの「記号学」とヴァッティモの「解釈学」は、イタリア国内だけでなく、国際的に大きな影響与えている。 新観念論スピリチュアリスムから批判され実証主義は、戦後、「分析哲学」の成果取り入れつつあらたに息を吹き返すカルナップらの「論理実証主義」が導入される一方とりわけポパーの「批判的合理主義」が広く受容され、ルドヴィコ・ジェイモナト(Ludovico Geymonat, 1908-1991)やジュリオ・プレーティ(Giulio Preti, 1911-1972)らのような科学哲学者を生みだした。ほかにも、前述のバンフィによる「批判的現象学」にもとづく科学哲学展開されるこうした動きは、パオロ・ロッシPaolo Rossi, 1924- )、エンリコ・ベッローネ(Enrico Bellone, 1938- )らによる科学史成果あわせて戦後イタリア科学哲学分析哲学大きな流れとなり、現在では、ジュリオ・ジョレッロ(Giulio Giorello, 1945- )、エヴァンドロ・アガッツィ(Evandro Agazzi, l934- )、マルチェッロ・ペーラ(Marcello Pera, 1943- )、マリア・ルイザ・ダッラ・キアラ(Maria Luisa dalla Chiara, 1938- )とジュリアーノ・トラルド・ディ・フランチャ(Giuliano Toraldo di Francia, 1916- )など、数多く哲学者受け継がれている。また分析哲学は、エーコらの記号学とも密接な関わり見せている。 しかしその一方で戦後実証主義への問いなおしは継続する。新スピリチュアリスム実存主義による問いなおし以後動きは、科学哲学者アルド・ガルガーニ(Aldo Giorgio Gargani, 1933- )の編による『理性危機』(1979)、そして前述ジャンニ・ヴァッティモとピエル・アルド・ロヴァッティ(Pier Aldo Rovatti, 1942- )の編による『弱い思考』(1983)という二冊の書物象徴されている。『理性危機』に象徴されるニヒリズム的・否定的な傾向は、マンリオ・ズガランブロ(Manlio Sgalambro, 1924- )、レオナルド・ヴィットリオ・アレーナ(Leonardo Vittorio Arena, 1953- ) そして 前述セルジョ・ジヴォーネらにも共有され70年代イタリアで大きな影響力をもった。また、ヴァッティモの「弱い思考」は、ニーチェハイデッガーにもとづく徹底した反基礎付け主義とその独自の解釈学とが相俟って1980年代イタリア思想界を席巻し、国際的に大きな反響呼んだ。この「弱い思考」は今日でもなおイタリア現代思想主流のひとつをなしており、ヴァッティモのもとで学んだジャンニ・カルキア(Gianni Carchia, 1947-2000)やマウリツィオ・フェラーリスMaurizio Ferraris, 1956- )、あるいは社会学者のアレッサンドロ・ダル・ラーゴ(Alessandro dal Lago, 1947- )など、「弱い思考」から出発して独自の思索紡いでいる哲学者数多く存在するこうした流れとは独立してジョルジョ・アガンベンGiorgio Agamben, 1942- )、マッシモ・カッチャーリMassimo Cacciari, 1944- )、前述マリオ・ペルニオーラら、美学から出発した哲学者たちの活躍がある(なお、ヴァッティモ、エーコ、ジヴォーネらも美学研究から出発している)。アガンベンとカッチャーリはともに、ハイデッガーベンヤミンの強い影響下に思考形成しマルチチュード派との関わり見せつつも、それとは異な政治哲学展開している。かつてはネグリとともに活動していたカッチャーリは、1970年代に「否定思考」を打ち出してネグリ決別して以後実際に行政にたずさわりつつ(国会議員ヴェネツィア市長歴任し、現在もヴェネツィア市長の座にある)、抽象度が高いながら実践的な政治哲学展開しており、1980年代にはイタリア思想界をヴァッティモと二分するほどの影響力発揮今日もなおイタリア現代思想において中心的な位置占めている。また、おもにフランスで高く評価され近年ようやくイタリア国内でも重要視されはじめたアガンベンは、フーコー生政治論を受容している点でマルチチュード派に近しい面もあるが、とはいえ決定的な点で異なっており、その政治哲学どちらかといえばナンシー接近している。ほかにもナンシー近しいイタリア哲学者には、マキアヴェッリなどの政治学研究から出発しつつ生政治論を展開しているロベルト・エスポージト(Roberto Esposito, 1950- )、ナンシーとの共著複数ある美学者フェデリコ・フェラーリFederico Ferrari, 1969- )などがいる。バタイユクロソウスキーブランショ研究から出発したペルニオーラは、ニーチェハイデッガー思想受容しているかぎりにおいてヴァッティモに接近しつつも、ヴァッティモの「弱い思考」への批判最初に展開しイタリア現代思想のどの流れにも属さない独自の位置保っている。

※この「20世紀後半のイタリア哲学」の解説は、「イタリア現代思想」の解説の一部です。
「20世紀後半のイタリア哲学」を含む「イタリア現代思想」の記事については、「イタリア現代思想」の概要を参照ください。

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