1990年死刑確定囚とは? わかりやすく解説

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1990年死刑確定囚(7人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:37 UTC 版)

日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の記事における「1990年死刑確定囚(7人)」の解説

事件名死刑囚名)判決確定事件発生備考執行日など)東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (N) 1990年2月22日 1978年5月21日1978年6月10日 1946年昭和21年12月18日生まれ1980年1月18日東京地裁小野幹雄裁判長)で死刑判決を、1982年1月21日東京高裁市川郁雄裁判長)で控訴棄却判決受けた共犯のHは1988年上告取り下げ死刑確定自身1990年2月1日最高裁第一小法廷四ツ谷巖裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑確定した1996年12月20日東京拘置所死刑執行50歳没)。 熊本主婦殺人事件金川一) 1990年4月21日 1979年9月11日 1950年昭和25年7月7日生まれ2020年9月27日時点福岡拘置所収監中(現在71歳)。客観的証拠がなく、第一審途中から無実主張したが、1982年6月14日熊本地裁八代支部河上元康裁判長)で無期懲役判決控訴審・福岡高裁緒方誠哉裁判長)では1983年3月17日一審破棄死刑判決受けた1990年4月3日最高裁第三小法廷安岡満彦裁判長)で上告棄却判決受けた異議申立同月20日付で棄却され同月21日付で死刑確定永山則夫連続射殺事件永山則夫1990年5月9日正式な死刑確定日) 1968年10月11日 - 11月5日警察庁広域重要指定108号事件」。1949年昭和24年6月27日生まれ。各事件当時19歳少年死刑囚1979年7月10日第一審・東京地裁刑事第5部原茂裁判長)で死刑判決受けた控訴し1981年8月21日控訴審・東京高裁刑事第2部船田三雄裁判長)は第一審判決破棄自判して無期懲役判決言い渡した。しかしこの控訴審判決不服とした東京高検最高裁上告したところ、1983年7月8日最高裁第二小法廷大橋進裁判長)は上告審判決公判で「死刑回避した控訴審判決量刑不当破棄しなければ著しく社会正義反する」などとして原審破棄し審理東京高裁差し戻した最高裁量刑不当理由被告人不利益な方向控訴審判決破棄して高裁への差し戻し命じた事例戦後刑事裁判史上初で、最高裁同時に判決理由死刑適用基準について初め詳細に明示した(後の「永山基準」)。差し戻し後の控訴審では1987年3月18日東京高裁刑事第3部石田穣一裁判長)が第一審死刑判決支持して被告人永山控訴棄却する判決言い渡した。そして1990年4月17日最高裁第三小法廷安岡満彦裁判長)が上告棄却判決差し戻し控訴審死刑判決支持)を言い渡し永山は同判決対し訂正申し立てたが、これも最高裁第三小法廷坂上壽夫裁判長)から棄却決定出されたため、(決定永山通達された)1990年5月9日死刑確定1997年8月1日東京拘置所死刑執行48歳没)。 長崎3人殺事件竹正博) 1990年4月27日 1978年3月21日 1944年昭和19年3月30日生まれ第一審長崎地裁佐世保支部亀井義朗裁判長)では情状酌量により無期懲役判決1983年3月30日)を受けたが、控訴審・福岡高裁桑原朝裁判長)で1985年10月18日一審破棄死刑判決受けた1990年4月27日最高裁藤島昭裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定1998年6月25日福岡拘置所死刑執行54歳没)。 空知連続殺人事件 (H) 1990年10月25日正式な死刑確定日) 1972年5月6日1972年8月19日1974年5月12日 1934年昭和9年5月8日生まれ離婚後重機運転手として勤務しながら男で1つ小学生息子2人育てていたが、1972年5月6日空知支庁管内月形町女子専門学校生A(当時19歳)を乗用車内で暴行し窒息死させた(殺人強姦致死事件)ほか、同年8月19日には同管内奈井江町デパート店員女性B当時19歳)を同様の手口殺害して遺体山林遺棄した(殺人強姦致死および死体遺棄事件)。また1974年5月12日には奈井江町内で農家主婦C(当時40歳)を乗用車拉致し、強姦し負傷させた上で農道上に放置する事件強姦致傷事件)を起こし同年5月26日C事件容疑緊急逮捕された。その後A・B両被害者殺害自供し1974年6月6日C事件強姦致傷)の加害者として、同月22日にはA事件殺人強姦致死)とB事件殺人強姦致死および死体遺棄)の加害者としてそれぞれ起訴された。「証拠違法捜査による自白のみで物証がない」として無罪主張1976年6月24日札幌地裁岩見沢支部罪状のうち死体遺棄無罪判断し殺意否定して無期懲役判決言い渡したが、被告人H・検察官とも控訴したその後札幌高裁検察官主張全面的に認め1979年4月12日原判決破棄して死刑判決言い渡した上告審では安田好弘らが弁護団再編し弁護活動行ったが、1990年9月13日最高裁角田礼次郎裁判長)で上告棄却判決を受け、同年10月23日付で判決訂正申し立て棄却されたため、同月25日死刑確定死刑確定後1992年9月24日札幌高裁再審請求したが、2001年2月16日再審請求棄却決定なされた同月19日異議申し立てをしたが2003年3月31日異議申し立て棄却されたため、同年4月7日最高裁特別抗告していた。札幌刑務所札幌拘置支所収監されていたが、2003年8月スキルス性胃癌診断され同年12月には胃の全摘手術八王子医療刑務所受けた後、収監先・札幌拘置支所戻り療養していた。しかし2004年6月4日、癌性悪液質により札幌刑務所病舎内で病死70歳没)。 三崎事件荒井政男) 1990年10月16日 1971年12月21日 1927年昭和2年2月4日生まれ1976年9月25日横浜地裁横須賀支部(秦不二裁判長)で死刑判決を受け、1984年12月18日には東京高裁小野慶二裁判長)で控訴棄却判決1990年10月16日最高裁坂上壽夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定東京拘置所収監されていたが、再審請求中の2009年9月3日所内病死82歳没)。死後家族再審引き継いだ救援会機関紙潮風』がある。

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