B事件(第2の事件)
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「広島タクシー運転手連続殺人事件」の記事における「B事件(第2の事件)」の解説
事件発生:1996年8月13日0時50分ごろ 被害者:女性B(事件当時23歳・広島市安佐南区八木八丁目在住) - 1985年(昭和60年)3月に安佐南区内の別の地区から事件当時の住居へ両親・妹弟計5人とともに転居し、事件当時はスナックバーで勤務していた。近隣住民によれば「挨拶をきちんとするさっぱりした性格」で夜間に出掛けることが多く、1996年8月12日(事件当日)以降は行方が分からなくなっていたが、家族から捜索願は出されていなかった。 殺害現場:広島県広島市安佐南区八木・「太田川橋」(一級河川・太田川に架かる)橋付近・路側帯 死体遺棄現場:広島県広島市安佐北区白木町小越・関川(太田川水系三篠川支流)沿い斜面(広島県道46号東広島白木線の脇)東広島市との市境から北方約700 m地点で、周辺の民家はわずか3軒しかなく、周囲は雑木が茂った急勾配だった。 A事件から約3カ月が経過した1996年8月になってもHの周囲には捜査の手が及ばなかったため、やがてHは「自分は絶対に警察になど捕まらない、悪運の強い特別な人間だ」という自信や「『他人の死をも支配できる』という一種の満足感・快感」を覚えるようになった。しかしその一方で被害者Aから奪った金(5万円)は借金返済には充てず、その後も返済の努力をしなかったために督促状が自宅に届き、妻に借金の存在を知られてしまった。やがて消費者金融の取り立てが深夜に及ぶほど厳しいものになったことから離婚騒動に発展し、家族が消費者金融に対し貸付の停止を申し入れた。これによりHは金融業界の「ブラックリスト」に載り借り入れができなくなったため、不満が募って自暴自棄になっていた。 1996年8月12日夜、Hは「自分と接点のない売春婦を殺害して所持金を奪おう」と計画した上で、再び新天地の繁華街をタクシーで流しながら次の標的として「男から声を掛けられるのを待つ売春婦」を物色した。「ホテルを出てから殺せばセックスもタダでできる」と考えていたHは新天地公園で見つけた被害者女性Bに声を掛け乗車させ、車中で現金3万円を渡して安心させた上でラブホテルに入ったが、Bは「自分の父親は暴力団組員だ。怒ると何をするかわからない」と話した。Hは「それは怖いね」と返しながら被害者Bと性行為をし、翌日(1996年8月13日)になって2人でラブホテルを出るとコンビニに立ち寄り缶ビール・軍手を購入した上で山道に入った。 1996年8月13日0時50分ごろ、Hは「太田川橋」付近で突然タクシーを停車し、A事件の時と同じく燃料切り替えスイッチの操作でエンジンを停止させてエンストを装い、タクシーのエンジンの仕組みを知らない被害者Bを油断させた。その上でBに「(この車は)よく故障するんだよ」と言って床のシートをめくるよう頼み、軍手を嵌め被害者Bの背後からネクタイでBの首を絞めた。Bは咄嗟に自分の首とネクタイの間に右手を差し込んで抵抗し、「さっきの『父親がヤクザだ』という話は嘘だ。金は返すから許して」と命乞いしたが、Hはそれを聞き入れずにBの首を絞め続けて被害者Bを絞殺した。Hは1時ごろにタクシーを発進させて遺体遺棄現場への移動を開始し、被害者Bの遺体を物色して所持金52,000円を奪った上で、2時20分ごろに安佐北区白木町小越の関川沿い斜面でBの遺体を遺棄した。
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