1960年代から1980年代までの成功とは? わかりやすく解説

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1960年代から1980年代までの成功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 10:19 UTC 版)

IBM」の記事における「1960年代から1980年代までの成功」の解説

IBMメインフレーム用オペレーティングシステムの歴史」および「フロッピーディスクの歴史」も参照 1960年代中にはIBMバロースUNIVACNCRCDCハネウェルRCAGEの、他のコンピュータ主要7社を圧倒して大きなシェア有したため、「IBMと7人の小人」と称された。その後1970年代IBMバロースUNIVACNCRCDCハネウェル市場生き残り、その頭文字から「IBMBUNCH」と改称された(英単語bunchには「束」「小さな(粒などの)カタマリ」という意味がある)。その後、これらの企業バロースとUNIVACスペリー)の合併誕生したユニシス以外はIBM独占するメインフレーム市場から事実上撤退した1964年4月発表されメインフレーム世界君臨したSystem/360は、IBM史にとどまらずコンピュータ史上において重要なコンピュータである。主記憶へのアドレス付けバイト単位とし、4バイトなどを1ワードとすること、科学技術計算用と事務処理用で別の命令セット別のコンピュータとするのではなく、またハイエンドからローエンドまで命令セットアーキテクチャを共通とした「シリーズ」とし、価格差は実装方法の差とするなど、コンピュータ大きな世代交代メインフレームミニコンピュータマイクロプロセッサ)を経た今も共通の標準は、System/360打ち立てられた。System/360絶対的に成功し他社圧倒してメインフレーム市場をほぼ独占した。またそのために、アムダール日本一部メーカーなどは、いわゆる互換機(Plug-Compatible Machine)による商法へと流れることとなったSystem/360アーキテクチャ何度かの(ちょうど30年後の1994年4月発表のS/390など)拡張を受けながらも、基本そのまま引き継がれこんにちSystem zz/Architecture至っている。 一方でこの独占は、国からも目をつけられる程のものであった1969年には遂に司法省により独占禁止法違反提訴されることになる(1969年1月17日)。IBM汎用電子デジタルコンピュータ市場(特にビジネス向けに設計されコンピュータ)を独占しようと謀りシャーマン独占禁止法2条違反したとの訴えである。具体的には、CDC 6600対抗機種発表してCDC側の販売打撃与え結局その対抗機種発売しなかったという件である。訴訟1983年まで続きIBM多大な影響与えた。同じ訴因CDCからも訴えられCDC側に有利な条件和解している。なお、IBM以前から度々独占禁止法違反訴えられてきた企業ではある。古く1933年パンチカード機器パンチカード抱き合わせ販売訴えられている。 1970年代に、当初IBMの住む世界とは遠く離れたSystem/36032ビットアドレス24ビットマシンであり、似たようなスペック68000登場したのは1980年である)電卓用などのちっぽけな4ビットプロセッサから始まったマイクロコンピュータは、しかし、革命という言葉すら使われるほどの(en:Microcomputer revolution変革となり、1970年代の末にはApple II代表されるen:Home computer一般への広い普及のきざしを見せ1979年VisiCalc登場する至ってビジネスの世界へ進出始まったIBMはこの乗り遅れ挽回するために、1981年パーソナルコンピュータIBM PC」をリリースする同機IBMエントリーシステム部門雇われフィリップ・ドン・エストリッジと "chess" と呼ばれるチームにより、「IBMとしては異例ずくめ」「突貫工事」で開発されたもので、1981年8月11日完成した標準価格は1,565ドル決し安くは無いがビジネス使用可能であり、PC購入したのも企業だった。IBM PCインテル8088使いOSIBM PC DOSという名前だが中身マイクロソフトMS-DOSであった1983年に「VisiCalcIBM PC版」と言えるLotus 1-2-3登場すると、企業中間管理職層がその可能性見出したIBMの名前に保証され、彼らはPC購入してビジネススクール学んだ計算PCで行うようになった。しかし、そのようにしてPC成功が広まる一方でそれまでビジネスである(PCから見れば大型コンピュータの、下位相当する部分PCに喰われる、というダブルバインド1990年代には大い同社苦しめることとなる。 パーソナルコンピュータパソコン)の世界では逆に先輩であったApple1984年発表発売したMacintoshは、洗練されたGUIなど多くの点でIBM機に先行するものであった1995年Windows 95の際に、Win95 = Mac84 などとも言われたほどであった)。しかし、ビジネスユースから広まったIBM PC(後には互換機)の牙城Macintoshはなかなか崩せず、2000年代Apple起点1998年iMacを待たねばならないこのように挽回成功したIBM PCではあったが、他社サードパーティー供給)による周辺機器とどまらず、「母屋」であるコンピュータ本体互換機作られてしまう事態至りIBMパソコン事業多く試行錯誤繰り返すことになる。1987年発売PS/2では、MCAという高性能高機能だがIBM主導権抑えたバス採用したが、普及させることはできなかった。CPUについては、1990年代自社Power ArchitectureベースとしたPowerPCにより今度Appleとも手を組みPRePCHRP次世代OSTaligentクロスプラットフォーム開発環境Kaleidaというプラットフォーム打ち出すも、いわゆるウィンテル」である、他社製PC/AT互換機MS-DOS(後にはWindows)というコンビを脅かすには至らなかった。OSについては、MS-DOSのようなシングルタスクではない、次世代本格的なマルチタスクOSとしてOS/2をマイクロソフト当初共同開発していたが、マイクロソフトが「NT」(後のWindows NT)を独自路線開発することを決定して決裂Windows NTは、旧来のWindowsからの移行パスにこそ苦労した当初95の次は、などとも言われいたものの、最終的に2000年Windows MEまで旧Windows残った)ものの、既存シェア強みでOS/2を寄せ付けず、「PC/AT互換機OS」の座はWindows NTのものとなった

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