1960年代から1980年代まで
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「ビルギット・ニルソン」の記事における「1960年代から1980年代まで」の解説
ニルソンは、当時の偉大なワーグナーソプラノ、特に偉大なノルウェーのソプラノであるキルステン・フラグスタートの後継者、とりわけブリュンヒルデとして広く知られている。ニルソンとやはり戦後最大のヘルデン・テノールとして知られたヴォルフガング・ヴィントガッセンの組み合わせは、当時最高の呼び物として世界中に知られていたが、ニルソンはワーグナーばかりを歌っていたという訳でもなく、多くのドラマティック・ソプラノのレパートリーを手がけており、多くの録音も残されている。代表的な役を挙げると、レオノーレ、アイーダ、トゥーランドット、トスカ、エレクトラ、サロメなど、枚挙に暇がない。ニューヨーク・タイムズによれば、彼女は「非の打ちどころのない本物で難攻不落のスタミナの声」を持っていた。 指揮者のエーリヒ・ラインスドルフは、彼女が長期間にわたって第一線で活躍できる理由は、フラグスタートのように、スカンジナビアの伝統と関係があると考え、特にワーグナーには「思慮深く、忍耐強く、几帳面な人」が必要だと述べている。一方で彼女は「私は特別なことは何もしていません。タバコは吸いません。ワインとビールを少しだけ飲みます。私はきちんとした両親のもとに生まれてきたのです」と語っている。 メトロポリタン歌劇場でニルソンは2回負傷し公演を中断している。1971年2月、彼女は『エレクトラ』公演中に足首を捻挫し、1つの公演をキャンセルした(これは、クリスタ・ルートヴィヒが出演する『フィデリオ』の歴史的な公演に置き換えられた)。ニルソンは回復し、2月27日に『エレクトラ』の放送公演を行った。もっと深刻だったのは、1974年3月、彼女は『神々の黄昏』リハーサル中に倒れて肩を脱臼した。ルーズベルト病院の病室で療養しているとき、彼女は「あざと肉体と精神が傷ついている以外は元気です」と言った。最初の2つの公演では、腕吊りに腕を入れてブリュンヒルデを歌うことができたが、以降はそのシーズンの『神々の黄昏』の放送を含む公演を見送った。3月8日のオープニングナイトのニューヨーク・タイムズによるレビューは、メトロポリタンオペラアーカイブに転載されている。
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