16世紀以前
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686年2月15日(天武天皇15年1月14日) - 難波宮火災。 1177年6月3日(安元3年4月28日) - 安元の大火(太郎焼亡)、京都。 1178年4月13日(治承2年3月24日) - 治承の大火(次郎焼亡)、京都。
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16世紀以前
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「地震の年表 (中国)」の記事における「16世紀以前」の解説
512年5月21日 山西、代県地震 - M7.4、死者5,310人。 1038年1月10日 山西、忻州地震 - M7.3、死者3万2,300人。 1143年4月 寧夏回族自治区、銀川地震。 1290年9月27日 直隷(河北省)、直隷地震 - 死者10万人。 1303年9月17日 山西、洪洞地震 - M8.0、死者20万人(47万5,800人とも)。 1306年9月13日 寧夏?、開城地震 - M6.5、死者5,000人。 1411年9月29日 チベットで地震 - M8.0、死者多数。 1487年8月10日 陝西省、臨潼地震 - M6.5、死者2,000人。 1515年6月17日 雲南、鶴慶地震 - M7.8、死者数千人。 1536年3月19日 四川、西昌地震 - M7.5、死者数百人。 1556年1月23日 陝西省、華県地震 - M8.0、死者83万人またはそれ以上(地震による死者数としては人類史上最悪)。 1561年7月26日 寧夏、中寧地震 - M7.3、死者5,000人。
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16世紀以前
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年日本日本国外紀元前 中国春秋戦国時代:『管子』。「九恵の教」として、老人、児童、孤児、障害者、未亡人、病人、貧者、被災者への救済を説く。 中国春秋戦国時代:『礼記』。孔子の「大同社会」思想。 中国春秋戦国時代:『墨子』。墨子の「兼愛交利」思想。 越:勾践が人口増加政策を実施。 魏:李克の平糴法。穀物価格の安定化を図る。 中国春秋戦国時代:通糴制度。諸国で穀物を融通。 前漢:紀元前200年、劉邦が国民の出産時に2年間免税する詔令を出す。 前漢:紀元前54年、耿寿昌が常平倉制度を創設。穀物価格の安定化を図る。 前漢:紀元前22年、70歳に達した高齢者に鳩杖を下賜し優遇する制度(「王杖十簡」)。 85 後漢:章帝、胎養令。 87 後漢:章帝、養老に関する詔令。 5世紀末頃 斉:蕭長懋が六疾館を置き、窮民を養う。 521 梁:蕭衍が建康に孤独園を置き、孤児・老人を収容。 585 隋:長孫平の上奏により義倉が設置される。 593 聖徳太子により四個院(施薬院、悲田院、敬田院、療病院)が設置される。(なお、大阪市天王寺区にある勝鬘院愛染堂が「施薬院」跡、四天王寺病院(設置主体 四天王寺福祉事業団)が施薬療病院、として継承されている。) 701 - 704 唐:仏教寺院が展開していた悲田院(悲田坊)に対し、長安年間に武則天が役人を置く。 723 興福寺に施薬院と悲田院が設置される。 730 皇后宮職下に施薬院が設置される。 845 唐:悲田院が会昌の廃仏に伴い仏教と切り離され、悲田養病坊となる。 960 - 1279 宋:広恵倉が設置される。被災者・貧困者の救済。 宋:挙子倉が設置される。貧困家庭の子育ての支援。 宋:福田院が設置される。悲田院の後継。 宋:民間施設として、居養院(身寄りのない者など困窮者の収容施設)、安済坊(病人の収容施設)、養済院(居養院と安済坊の機能を持つ施設)、恵民薬局(薬の販売所)、漏澤園(貧民用の公設墓地)が設置される。 宋:1069年、青苗法施行。常平倉・広恵倉に備蓄された穀物を基にした金銭の貸付制度。 南宋:董煟(中国語版)『救荒活民書』。過去の救荒政策をまとめ、自身の考案した政策を提唱。 1130年代 イギリス:Hospital of St. Cross設立。現存する最古の救貧院。 1250年頃 真言律宗僧侶の叡尊・忍性が鎌倉幕府の有力者の後援の元、貧民やハンセン病患者への支援を行う。北山十八間戸、極楽寺が創設された。 時宗の一遍が踊念仏を始める。民衆(下人や非人も含む)も盛んに参加したのと記録が残る。 1271 元:クビライが鰥寡孤独の者や障害で生活できない者を収容し食料等を支給する命令を下す。 それらの人々は養済院に収容された。 1279 元:全国に安楽堂が設置される。病人に医療を、飢餓者に食料を提供し、死者は埋葬した。 1230年頃 琵琶法師で視覚障害者の明石覚一が室町幕府有力者の庇護を受けて、自分の屋敷に当道座を設立。明治時代初期まで続く検校制度を確立した。 1370 明:恵民薬局が設置される。 1374 明:養済院・漏澤園が設置される。 1386 明:朱元璋が養老之政を制定。長寿者への食糧や生活用品の支給制度。 1389 明:『大明律直解』。鰥寡孤独の者を政府が収容し養護すると規定。 1531 イギリス:ヘンリー8世の救貧令。労働不能貧民には物乞いの許可を与え、労働可能なのに働かない貧民には鞭打ち刑を与える。 1536 イギリス:ヘンリー8世、救貧法。救貧令の成文化。 1557年 イエズス会のルイス・デ・アルメイダが大友宗麟に願って土地をもらいうけて、大分に日本初の西洋医学に基づく病院を設立した。 1575 イギリス:ブライドウェル懲治場を設置し、労働可能貧民を強制労働させる。 1590 明:楊東明が虞城県で同善会を創設。地方名士による民間福祉組織。以後、中国各地で同善会が創設される。 1597 イギリス:1597年救貧法。ワークハウス(授産施設型の救貧院)の起源。 1600頃 明:善会・善堂(民間運営の慈善団体とその施設)による「善挙」が始まる。
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