16世紀のカトリック受難曲とは? わかりやすく解説

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16世紀のカトリック受難曲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 00:22 UTC 版)

受難曲」の記事における「16世紀のカトリック受難曲」の解説

対位法に基づく多声受難曲は、16世紀イタリアで数多く作曲された。その大半応唱受難曲であり、フランチェスコ・コルテッチャ(1502年 - 1571年)の2曲の受難曲では、導入句、トゥルバ最後福音のみが多声で作曲されているのに対して、ジャケット・ド・マントヴァ(1483年 - 1559年)の『ヨハネ受難曲』等では、個々登場人物言葉も多声で作曲されるようになり、ガスパロ・アルベルティ(1480年頃 - 1560年頃)の『マタイ受難曲』では、これらに加えてイエス言葉も多声で作曲され当時マドリガーレ思わせる劇的な表現用いられている。一方イタリアにおける通作受難曲作例少ないが、ジョヴァンニ・ヤン・ナスコ(1510年 - 1561年)の『マタイ受難曲』や、チプリアーノ・デ・ローレ1516年頃 - 1565年)の『ヨハネ受難曲』が知られている。 カトリック圏内のドイツでは、オルランドゥス・ラッスス1532年 - 1594年)が1575年-1582年にかけてバイエルン宮廷礼拝堂のために作曲した4曲の応唱受難曲のほか、プラハ活躍したヤコブス・ガルスハンドル)(1550年 - 1591年)の3曲の通作受難曲や、ヤコブ・ルニャール1540年頃-1599年)の『マタイ受難曲』等がある。ラッスス作品は、多声のモテット様式イタリア風のファルソボルドーネを結びつけ、個々登場人物言葉は2声のビチニウムまたは3声のトリチニウムとして作曲されており、その後受難曲作曲に強い影響与えている。 スペインにおける16世紀代表的な受難曲としては、トマス・ルイス・デ・ビクトリア1548年 - 1611年)の2曲の作品や、フランシスコ・ゲレーロ1528年 - 1599年)の5曲の作品等がある。これらの受難曲はすべて応唱受難曲であるが、「激しく泣いた」、「悲しみ溢れ」といった福音史家特定の言葉も多声で作曲され感情高揚音楽的に強調されるのは、スペイン受難曲固有の特徴である。 これに対して宗教改革の影響強かった16世紀フランスイギリスでは、受難曲はほとんど作曲されていないわずかに残る作品としては、パリ出版業者ピエール・アテニャンが1534年出版した受難曲集」に収録されクローダン・ド・セルミジ1490年頃 - 1562年)の『マタイ受難曲』等がある。

※この「16世紀のカトリック受難曲」の解説は、「受難曲」の解説の一部です。
「16世紀のカトリック受難曲」を含む「受難曲」の記事については、「受難曲」の概要を参照ください。

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