16世紀のカトリック受難曲
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「受難曲」の記事における「16世紀のカトリック受難曲」の解説
対位法に基づく多声受難曲は、16世紀のイタリアで数多く作曲された。その大半は応唱受難曲であり、フランチェスコ・コルテッチャ(1502年 - 1571年)の2曲の受難曲では、導入句、トゥルバと最後の福音のみが多声で作曲されているのに対して、ジャケット・ド・マントヴァ(1483年 - 1559年)の『ヨハネ受難曲』等では、個々の登場人物の言葉も多声で作曲されるようになり、ガスパロ・アルベルティ(1480年頃 - 1560年頃)の『マタイ受難曲』では、これらに加えて、イエスの言葉も多声で作曲され、当時のマドリガーレを思わせる劇的な表現が用いられている。一方、イタリアにおける通作受難曲の作例は少ないが、ジョヴァンニ・ヤン・ナスコ(1510年 - 1561年)の『マタイ受難曲』や、チプリアーノ・デ・ローレ(1516年頃 - 1565年)の『ヨハネ受難曲』が知られている。 カトリック圏内のドイツでは、オルランドゥス・ラッスス(1532年 - 1594年)が1575年-1582年にかけてバイエルンの宮廷礼拝堂のために作曲した4曲の応唱受難曲のほか、プラハで活躍したヤコブス・ガルス(ハンドル)(1550年 - 1591年)の3曲の通作受難曲や、ヤコブ・ルニャール(1540年頃-1599年)の『マタイ受難曲』等がある。ラッススの作品は、多声のモテット様式にイタリア風のファルソボルドーネを結びつけ、個々の登場人物の言葉は2声のビチニウムまたは3声のトリチニウムとして作曲されており、その後の受難曲の作曲に強い影響を与えている。 スペインにおける16世紀の代表的な受難曲としては、トマス・ルイス・デ・ビクトリア(1548年 - 1611年)の2曲の作品や、フランシスコ・ゲレーロ(1528年 - 1599年)の5曲の作品等がある。これらの受難曲はすべて応唱受難曲であるが、「激しく泣いた」、「悲しみが溢れ」といった福音史家の特定の言葉も多声で作曲され、感情の高揚が音楽的に強調されるのは、スペインの受難曲に固有の特徴である。 これに対して、宗教改革の影響が強かった16世紀のフランス、イギリスでは、受難曲はほとんど作曲されていない。わずかに残る作品としては、パリの出版業者ピエール・アテニャンが1534年に出版した「受難曲集」に収録されたクローダン・ド・セルミジ(1490年頃 - 1562年)の『マタイ受難曲』等がある。
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