16世紀の繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:11 UTC 版)
15世紀末から16世紀にかけて、大航海時代を迎えたヨーロッパは世界の拡大(ヨーロッパの拡大)とともに繁栄を謳歌した。その諸相を概観すると、 金銀がもたらされたことによる価格革命 アメリカ大陸やアジア各地における植民地の増加 文化的に興隆したルネサンス コペルニクスやレオナルド・ダ・ヴィンチを始めとする科学革命の端緒 安定した社会がもたらした人口増加 といった現象が挙げられる。16世紀、とりわけその前半期のヨーロッパ経済はアルプス山脈以北に関しては異常なまでの好況に沸き、アルプス以南についても相応の活況を呈していた。とりわけ、ネーデルラントの港湾都市、アントウェルペン(アントワープ)の繁栄はめざましく、フランスの歴史家フェルナン・ブローデルは、「このスヘルデ川に臨む都市はじつに国際経済全体の中心にあった。」と記している。また、当時、ヴェネツィア共和国の大使だったフランチェスコ・グイチャルディーニが、アントウェルペンでは1日に何百もの船舶が往来し、2千もの荷馬車が毎週やってくることを描写し、「かれらは、女にいたるまで3つあるいは4つの国語をあやつる」と書き記しているように、イギリス商人、ドイツ商人、イタリア商人が数多く来住する一大国際都市であった。ドイツ史にあっても、16世紀は「ドイツ経済の英雄時代」「ドイツ巨商たちの黄金時代」などと呼ばれる経済的繁栄の時期であり、当時最も富裕な一族の名をとり「フッガー家の時代」とも称される。ところが16世紀後半、オランダ独立戦争(1568年-1648年)やフランスのユグノー戦争(1562年-1598年)など宗教戦争が熾烈化するとヨーロッパ社会は次第に安定性を失っていった。1585年、繁栄を謳われたアントウェルペンもスペイン軍猛攻の前に陥落し、毛織物生産とその流通を介して成り立っていたロンドンとアントウェルペンとの密接な関係も終焉を迎えたのである。
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